第一話「タレ耳のオオカミ!?(狛犬談議)」〈3〉
「……ちなみに、狛犬は銀(白)、獅子は金(黄色)と決まっていたようです。『春日曼荼羅』などの絵画や絵巻にも辟邪像の狛犬が白と黄色で描かれています」
神原芳幸は事務所の本棚から数冊の美術全集をぬきだすと、私たちの前へひらいてみせた。
「ホントだ」
「ホントだ、じゃないですよ。友紀さんの本棚じゃないですか。今まで調べもしなかったんですか?」
マヌケな感想をもらす私に、まどかクンがあきれた。
そもそも年賀状制作から狛犬と云う「カタチ」に着目しただけで、狛犬の歴史を調べていたわけではない。
……などと云いわけしたところで、まどかクンと神原芳幸のふたりには云い負かされるにちがいない。
それに好奇心の裾野は連想ゲームのようにひろげていける方が、ゆたかで楽しいに決まっている。
私は目の前にころがっていた「好奇心(娯楽)のタネ」を見落としていたのである。実にもったいない。
「ほら、友紀さん。加茂大社の社殿にも大きな木製狛犬がありますよ」
美術全集のページをパラパラとめくっていたまどかクンがうれしそうに指さした。
国宝の神社の写真には社殿のぐるりをめぐるわたり廊下(縁)に、狛犬一対が鎮座している。
「そのように、神殿両わきや拝殿の中に置かれている狛犬を、狛犬フィールドワークの第一人者である三遊亭円丈師匠は〈神殿狛犬〉とよんで、ふつうの狛犬(参道狛犬)と区別しています」
紅茶のおかわりを自分で煎れていた神原芳幸が、犬サブレーを口にしながらうしろからのぞきこんだ。
「戌年限定」で鳩ならぬ犬サブレーが販売されていたそうだ。神原芳幸自身のおみやげである。ウチはともかくよそへもっていってよろこばれるかどうかはアヤシい。
「参道狛犬って、なんですか?」
まどかクンも少しけげんそうな顔で犬サブレーの袋をあけながら訊ねた。大丈夫。バッタもんではないし、味は鳩サブレーとかわらない。
「社寺の境内にある石造りや銅製の狛犬を指します。ようするに、まどかさんが初詣で見てきた狛犬のことです」
「そう云えば、まだ石造り(あるいは銅製)の、ふつうの参道狛犬の話は出ていませんよね。いつ頃登場したんですか?」
まどかクンが神原芳幸へ訊ねた。
「建久7(1196)年につくられた奈良東大門の狛犬が日本最古の石造狛犬と云われています。宋から石工をよんでつくらせたものだそうです。ただし、この狛犬は両方とも口をあけた「阿形」なので、厳密に云えば、狛犬ではなく、唐獅子となります」
たとえば、中華料理屋の門前に鎮座しているのが唐獅子である。狛犬ともシーサーとも異なる。
「また、岐阜・日吉神社と下宮日吉神社には、天正5(1577)年に、そこの城主から奉納された石造狛犬があります。しかし、石造の参道狛犬そのものが巷へ浸透していくのは江戸時代です。日光東照宮造営後に関心が高まったとも云われています」
「日光東照宮! 云われてみれば、あのネオ・バロック建築は霊獣動植物装飾の宝庫だね」
「東照宮・本宮階段下にある狛犬は、寛永13(1636)年、東日本最古の参道(石造)狛犬だそうです。本宮を造営した大名が狛犬奉納をねがいでたもので、これ以降、参道に狛犬を奉納する風習が生まれたと云う説もあります」
「なるほどね」
私は一応、理解したつもりだが、まどかクンにはまだまだナゾがのこされているらしい。
「質問よいですか? 狛犬は奉納されるそうですけど、最初から神社空間のデザインにはふくまれていないんですか?」
「そのようですね。もっとも、江戸時代以降に建立された(あるいは建てなおされた)神社には、はじめから一対くらい狛犬や石灯籠の配置を考慮しているものもあるようです。たとえば、まどかさんが初詣に行った神社には二対の狛犬があったんでしょう? 文久と大正年間とでは時代にひらきがあります。少なくとも、大正年間の狛犬は神社空間のデザインにふくまれていなかったと考えるのが妥当でしょう?」
「そっか。そうですね」
「たくさん奉納されている社寺には、たくさんの狛犬がありますし、奉納されていなければ、神社に狛犬はいません」
「狛犬のいない神社もあるんですか?」
まどかクンの発した疑問符に私がしゃしゃりでてこたえた。
「あったあった。石灯籠しかない神社もあったし、石灯籠すらない神社も見たよ。そう云えば、神原さん、さっきから時々、社寺って云っているけど、狛犬って寺にもいるの?」
「東京最古の石造狛犬は、承応3(1654)年、目黒不動尊のものだそうです。ここはお寺ですね。神社にくらべると、お寺に狛犬がいる確率はグッと少なくなりますが、いないことはありません。そもそも、狛犬の造型は仏教(密教)の影響が強いのです。まどかさんは狛犬のどこに仏教(密教)の影響があるかわかりますか?」
3枚目の犬サブレーを片手に、まどかクンしばし熟考する。
「わかりました! 阿吽の造型ですね」
「ピンポン、正解。阿吽は梵語の最初と最後の音で仏教思想を汲むものです。また、狛犬の獅子の頭には宝珠をのせているものがあります。これはもともと密教教義にある「頭頂のチャクラ」をあらわしたものです」
チャクラとは、古代インドのヨガや気功などで「気のエネルギー」を溜める場所とされている。頭頂、眉間、喉、心臓、へそ、脾臓、根(性器)にあると云う。
呼吸法や瞑想で体内に生じた気のエネルギーをチャクラに集めて活性化させると霊的な進化をとげるのだとか。
たとえば、腹式呼吸で「丹田を意識しましょう」と云う時の「丹田(おへその下)」もチャクラのひとつである。
「ネパールやチベット山地の宮殿や寺院にある獅子像の頭上にも宝珠がのっているそうです(ネパールの信仰基盤はヒンドゥー教と密教)。頭頂に開いた第7のチャクラは4枚の蓮華をかたどっていてシヴァ神が坐るとも考えられています」
「すごいな。イメージが時空を超えて世界をめぐるながれの一端をかいま見た気がする。……しかし、狛犬の話からチャクラなんて言葉まででてくるとは。夢枕獏の世界だ」
私がツマラナイ感心の仕方をしていると、まどかクンがふしぎなことを云いだした。
「夢枕獏?『NARUTO』じゃないんですか?」
「ナルト? また、練りものの話?」
一体、練りものとチャクラになんの関係があると云うのだろう。たしかに「チャクラを練る」などと云うが……。
「ちがいますよ。マンガの話です。友紀さん、知らないんですか?」
「マンガ雑誌は長いこと読んでいないからなあ」
「『NARUTO』も知らないなんてオッサンですね」
「こら、オッサンとはなんだ、オッサンとは。歳は6つしかはなれておらんだろうが」
「四捨五入すれば三十路じゃないですか」
「むりやり四捨五入する必要がどこにある? まどかクンだって四捨五入すれば20歳じゃないか」
「19が20歳になったところで痛くもかゆくもありませ~ん。三十路はオッサンです。けって~い!」
「おい、神原さん。君もバカにされているぞ」
「紅茶のおかわりいただきますよ」
神原芳幸がこの低俗な会話にくわわる気はないらしい。