第一話「タレ耳のオオカミ!?(狛犬談議)」〈2〉
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「そもそも、狛犬っていつ頃からあったんですか?」
まどかクンが神原芳幸に訊ねた。
「狛犬って日本のオリジナルなんだよね?」
彼女の尻馬にのって私も訊ねる。
「社寺の辟邪として置かれている狛犬は、日本のオリジナルです」
「辟邪って、なんじゃ?」
「貴人の墓や王城の門などを守護し、魔を祓う霊獣(空想上の動物)のことです。中国には仏教をつうじて獅子の図像が普及する以前から、そう云った神聖な場所に辟邪像が置かれていたそうです」
「じゃあ、狛犬が日本のオリジナルとは云えないんじゃないですか?」
と、まどかクン。
「厳密には辟邪がどんな動物の姿をしていたのかわかっていません。また、狛犬と云う霊獣像も中国や朝鮮半島には見あたらないのです」
「でも、狛犬の『狛』は『高麗』からきているそうじゃないか。ようするに、外国の犬と云う意味だよな? 狛犬のモデルになったものはあるんだろう?」
神原芳幸は軽くうなずいて話をつづけた。
「「ジ」や「カイチ」と云われる霊獣にその面影をかさねる研究者も少なくありません」
「……カイジ?」
「勝手にひとりでざわざわしていてください」
神原芳幸が私の茶利をうけながして解説をつづけた。
「ジ」や「カイチ」は古いタイプの狛犬同様、頭の上に角をもつ特徴があるそうだ。しかし「ジ」はサイ、あるいは古代に生息した青黒い毛をもつ野牛の一種とされている。
一方の「カイチ」は人間の不正を見ぬく霊獣である。
人があい争う時、正しくない者を角でつくと云う。そして「カイチ」の足はひづめなので、狛犬そのものでないことがわかる。
「……ただ、そう云った一本角の霊獣像が、獅子とともに獅子舞や舞楽のかぶりものとして、奈良時代から平安時代にかけて日本へ伝わりました。これが先程、友紀さんのおっしゃったように、高麗からもたらされた舞楽面だったので、狛犬と命名されたようです」
「最初は舞楽面として伝わったものだったんですか。でも、獅子舞はともかく狛犬舞って聴いたことありませんよね? 私が知らないだけかな?」
まどかクンが首をかしげる。
「いや、おれも知らん。まどかクンの意見に一票」
「たとえば『枕草子』の221段、278段に「舞う獅子・狛犬」と云う記述があります。狛犬の舞曲は相撲や蹴鞠の時に奏されたようです」
神原芳幸は少しあきれたようすで私を一瞥した。いやはや、不勉強で申しわけない。
「今で云う応援団とかチアリーディングみたいに、試合を盛り上げるための舞曲だったわけか。いわゆる宮中のみやびな儀式とはチト路線がちがう感じだね。それで廃れたのかな?」
「さあ、どうでしょう?」
今度は神原芳幸が首をかしげた。
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「そう云えば、神社にある狛犬って、右の阿形(口をあけている)が獅子でメス、左の吽形(口をとじている)が狛犬でオスだそうだが、舞楽として日本に伝来された当初から獅子と狛犬はコンビだったわけ?」
「そのようです。ただ、雌雄と云う概念がつけ足されるのは江戸期に入ってからのことでしょうね。竜虎のように異なる種類の動物や霊獣がコンビにされるのはめずらしいことではありません。しかし、なんの知識もなく獅子と狛犬を別種と見わけるのは難しいと思います。友紀さんだって見て知ったわけではないでしょう?」
「たしかに」
「私は今はじめて知りました」
と、まどかクン。
「そのため、雌雄とかんちがいされたのでしょう。古今東西、一対になっているものを雌雄と判断するのは「世界のお約束」です」
「世界のお約束……?」
「たとえば、紀元前14世紀、ヒッタイトの首都・ボアズカレ城にきづかれた「獅子門」には、門の左右にライオン像があります。それこそ獅子や狛犬と云うイメージ・デザインの遠い祖先にあたるものですが、それですら右がオス、左がメスと云われているくらいですから」
「何千年何万年がすぎても、しょせん人は人と云うわけだね」
「ところで、その狛犬がいつ辟邪としての狛犬になったんですか?」
まどかクンが訊ねた。少し話が脱線していたようだ。しかし、脱線ついでに思いだしたことがあるので私も訊いてみた。
「そう云えば、狛犬を『広辞苑〈第三版〉』で引いたらヘンなことが書いてあったんだ。……昔は宮中の門扉・几帳・屏風などの動揺するのをとめるためにも用いた、だって。門扉はともかく、几帳や屏風が動かないように狛犬を置いたなんて信じられるか? あんな重いモノ、いちいち動かしていられないよなあ?」
神原芳幸が私の質問に失笑した。
「神社にあるような石造りの狛犬を、几帳や屏風どめにしていたとしたら、さぞ大変でしょうね」
「ちがうの?」
「当初の狛犬は木製や銅製の置物や香炉でした。たとえば、春日大社・若宮御料古神宝類(国宝)のひとつで、平安時代の銅造狛犬は17.5センチしかありません。しかも用途は香炉のフタ置きだったそうです」
「香炉のフタ置き?」
「ええ。対となるのが、宋からの渡来品で白磁製の獅子です。香炉のフタとしてもちいられたようです。また『宇津保物語』には「大いなる銀の狛犬四つに同じ火取り据ゑて、番の合せの薫物絶へず焚きて……(蔵開上)」と云う記述があります。狛犬型の香炉もありました」
「キティちゃんの蚊とり線香置きみたいなものか?」
私が適当に云うと、
「そんなのあるんですか?」
意外なことに、まどかクンではなく神原芳幸の方が食いついた。
「いや、知らないけど……ほしいの?」
「いいえ、全然。ですが、ゆらゆらと細くやわらかな煙を吐きつづけるキティちゃんと云うのはなかなか笑えます。キティちゃんって口はありませんでしたよね? どこから煙がでるのでしょう? お腹? それとも目や耳の穴からでしょうか?」
「それ、オッカシー」
まどかクンもケラケラと笑う。
「話がそれました。現在、重要文化財に指定されている古い狛犬のほとんどは木製で、大きさは50センチから70センチ前後と云うところです。そう云ったものが几帳や屏風どめとして使われていたのでしょう」
それが次第に宮中で辟邪としての役割をになうようになり、天皇・皇后の御座の前にすえられるようになったらしい。
『皇代記』によると、長暦3(1039)年に、後朱雀天皇が伊勢神宮へ金銀の獅子・狛犬を奉納しているそうだ。
つまり、社寺の辟邪としての狛犬のルーツは、後朱雀天皇が嚆矢と云える。