第二話「華麗なる陰謀!?(蠣崎波響『夷酋列像』) 」〈14〉
「たしかに平澤屏山もすばらしいアイヌ絵師ですが、蠣崎波響『夷酋列像』も江戸時代のアイヌを後世に伝える上で多大な貢献をしていると云えるでしょう」
「あれ? 神原は『夷酋列像』批判論者じゃないのか?」
「いつ私が『夷酋列像』を批判しました? 私は『夷酋列像』がアイヌ顕彰の目的で描かれた作品ではないと云っただけです。
神原芳幸がデキの悪さを哀れむようなマナザシで私を見やる。
「たしかに『夷酋列像』はアイヌ風俗を正しく描写した作品ではありません。それでも平澤屏山のアイヌ絵が表現し得なかったことを表現しています」
ふに? 平澤屏山のアイヌ絵が表現し得なかったこと?
私のとなりで、まどかクンも首をかしげながら、灰色の脳細胞をフル活動させている。神原芳幸はそんな私たちの表情を愉快そうにながめている。
「ダメだ。わからん。神原、教えてくれ」
私は〈一時の恥〉を発動した。まどかクンのつぶらな瞳も白旗をかかげている。異論はあるまい。
「平澤屏山は名もなきアイヌの人々とその現状を描きましたが、蠣崎波響『夷酋列像』は虚像とは云え、アイヌの〈個〉を描いた作品です」
アイヌの〈個〉? ショート寸前だった私の思考回路がひとつの答えを導き出す。
「……ひょっとして、名前?」
私は少しあきれた。
「そのとおりです。平澤屏山のアイヌ絵でモデルとなった個人を特定することはできませんが、『夷酋列像』には12人のアイヌの人々の名前が記されています。つまり『夷酋列像』の鑑賞者は〈アイヌの人々〉と云う平均化されたイメージではなく、アイヌのだれそれと〈個人〉をイメージすることができるのです」
「えっと、ごめんなさい。よくわからないんですけど」
まどかクンが、おそるおそる云った。
「たとえば、若い女性を描いた絵画があったとする。その題名を『貧乳図』にするか『松本まどかの肖像』にするかで、鑑賞者のイメージが変わるってコトさ」
私が説明した。
「今なんかヘンなコト云いました?」
まどかクンのこめかみに、ぶっといドラゴン怒りの血管がうかんでいる。私はあわててごまかした。
「聴きまちがいじゃないかなっ? オレは『美人図』って云ったはずだよ」
「……2度目はありませんからね」
まどかクンの可憐な唇から絶対零度のささやきがもれる。髪の毛が一本立ちした。丸刈りだけど。
題名が『貧乳図』だと、乳ビンボーな女のヒトと云う平均化されたイメージしかないが、題名が『松本まどかの肖像』だと〈まどかクン=貧乳〉と具体的にイメージできると云うコトなのだが、こんな説明をしたら、私の命は風前の灯である。別のたとえをひねり出す。
「旧一万円札の肖像画にも採用された『聖徳太子二童子像』と云う奈良時代の絵画があるんだけど、のちの研究で、冠や衣服が半世紀以上あとのモノと判明した。つまり、描かれたのは聖徳太子ではない可能性が高い」
「私たちの日本史の教科書には、聖徳太子って名前がなかったですもん。厩戸皇子です」
まどかクンが云った。
聖徳太子は空海(弘法大師)さながらに伝説が多い。だからと云って、伝説的人格を〈聖徳太子〉、史実的人格を〈厩戸皇子〉と二分するのは誤りであろう。
聖徳太子は諡号(=亡くなってから与えられた名前)である。諡号で表記するのを歴史的な誤りとするのであれば、ほとんどの天皇の名前を書きなおさねばならなくなる。
実のところ『聖徳太子二童子像』が疑問視されるようになった頃と前後して、日本史へ刻まれた〈聖徳太子〉の存在がゆらいだのではないか? と、ひそかに疑っている。よくも悪くもイメージ(思いこみ?)の呪縛は大きい。
「近い時代で云えば、西郷隆盛の肖像画なんかもそうだよな。西郷隆盛の死後、イタリア人画家キヨッソーネが、一番西郷隆盛に似ていたと云われる親類なんかを参考にそれっぽく描いただけで、本当に似ているかどうかはアヤシイらしい。それに上野公園の西郷隆盛の銅像だって……」
「あ、それ知ってます。除幕式で銅像を見た奥さんが「全然似てない」って落胆されたんでしょ?」
「そうそう」
私の言葉をついだまどかクンへ首肯する。
ついでに云うと、最大の誤りは〈西郷隆盛〉と云う名前である。実はコレまちがっているのだ。
本名は西郷隆永である。まちがった名前がひろまった経緯は、司馬遼太郎『翔ぶが如く』(文春文庫)にくわしい。
西郷隆永(吉之助)の顔を知らない外国人の描いた『西郷隆盛像』でも、彼を私淑する人々にとっては、いまだに〈個人〉を偲ぶよすがとなる。映像記録のない時代の人物は、聖徳太子のように実在したのかどうかすらアヤシくなる。
歴史は過去の出来事であるはずなのに、時代時代でどんどん書き換えられてゆく。過去が〈新しい歴史〉としてリニューアルされる。
ガクシャの誤謬、史料・考古学的新発見、解釈の変化など、さまざまな要因があげられるが、映像記録のない時代の歴史とは、それぞれの時代の人々の思考が生み出した一種の共同幻想とも云えるだろう。
「ようするに『夷酋列像』は、現代の私たちにとって、江戸時代を生きたアイヌの〈個人〉を視覚的にイメージできるよすがを与えてくれただけでも貴重なのです」
神原芳幸がつづける。
「蠣崎波響が『夷酋列像』を描いた頃は、華麗な衣装や描かれたケモノから〈鬼〉と云う連想をひきだすのは容易でしたが、その後、北斎や国芳などの荒々しい武者絵が登場することで、巨大生物を組み伏す荒武者は民衆の〈英雄〉へと昇華していきました」
〈英雄〉と云っても、ダーク・ヒーローの趣きが強い。
今でもライトノベルの異世界ファンタジーの主流(主役)を占めるのが、神や勇者ではなく魔王であることを思えば、普遍的な感覚なのかもしれない。
「さらに数百年と云う歳月を経て、当初の政治的思惑なぞ忘れ去られた現在において『夷酋列像』は〈アイヌ礼讃の肖像画〉と称えられるとともに、ひとつの純粋な絵画作品として江戸絵画史に燦然とかがやいています」
たしかに、今の時代『夷酋列像』がアイヌ差別や偏見を助長するようなことはあるまい。むしろ誇り高き少数民族の勇姿としか映らないであろう。
「真の芸術は善悪の彼岸にあり……か。松前藩の華麗なる陰謀は田河水泡ミズノアワ。松前藩にのこったのは悪評だけだもんな。今頃、波響も草葉の陰で、こう云ってるかもしれないね。「勝ったのはワシらではない。勝ったのはアイヌたちだ」って」
「それって、もしかして映画『七人の侍』の志村喬のマネですか? ぜんっぜん似てない」
私の茶利を、まどかクンが炎髪灼眼の討ち手みたいな早業で一刀両断する。
区立美術館『江戸のアイヌ絵展』をすべて観おえたまどかクンが、数歩先んじて第二展示室をあとにすると、ふりかえって云った。
「友紀さん、私、図録欲しいっ!」
要約すると、私に「買え」と云っている。
「ぬあっ!? どうしてオレが……」
「遅刻したでしょ?」
明確な回答が私をぐっとつまらせる。入館料でチャラになってないのか。
「お気の毒さまです」
神原芳幸のちっとも同情していないセリフが私を追いぬいていく。
「神原さん、お昼ご飯どうしますか?」
神原芳幸と肩をならべて、まどかクンが訊ねた。
「まどかさんは本を借りに『水羊亭画廊』へよるんですよね。じゃあ、東京・八重洲に美味しい北海道料理のお店がありますけど、スイヨウどうでしょう?」
あいかわらず涼しい顔でツマラナイ茶利を云う男である。ちなみに『水曜どうでしょう』は、北海道マイナーだった大泉洋や安田顕が全国区へと踊りでたTVの伝説的人気バラエティー番組で……などと説明するのも鬱陶しい。
「わ、嬉しい! そうしましょう。友紀さん、ゴチになります!」
まどかクンは決定事項として朗らかに宣言すると、ミュージアムショップへ駆け出した。
ちょっと待て。今の北海道料理なんて、明治以降に入植(侵略)したデコポン人たちの料理がメインではないか。たとえばジンギスカン料理なんて実のところ発祥は東京だぞ。
そんな風にありったけの詭弁を弄して『サブウェイ』あたりで手を打ってもらおうと口を開きかけた時(『すき屋』とか云わないだけ、私としてはがんばっている方だ)、神原芳幸がささやいた。
「北海道料理なんてアイヌを侵略した和人の文化じゃないか、などと詭弁を弄して『サブウェイ』あたりで手を打ってもらおうなんて考えてはいませんよね?」
ここまで私の思考を正確にトレースできるとは。よもや、この男エスパーではあるまいな?
「そう云う考え方こそ〈和人差別〉です。過去の軋轢を許し、互いの文化を尊重し、よいところを学びあう姿勢こそが差別撤廃の道です。それに、友紀は道民でないから無関係みたいな顔をしていますが、あなただってアイヌから見れば立派な和人ですよ」
そりゃそうだ。
「友紀が和人として生まれてきたことに罪がないように、今の北海道の和人であることも罪ではありません。アイヌだって同じです。和人だアイヌだと云うものさしで人を量るのではなく、単なる地球人、単なる人間として向きあうことが大事なのです。どんな国の人であろうと、よい人もいれば悪い人もいるのは当たり前です。育ってきた環境がちがえば、夏がダメだったり、セロリが好きだったりするでしょう?」
伝統や文化や宗教が異なれば、考え方が異なるのは仕方がない。その上で相手を理解し、互いに歩みよっていく姿勢が大切だと云いたいのだろうが、最後のたとえに盗作疑惑がのこる。とは云え、正論か。
「そうだな、うん。オレがまちがってた」
私がすなおにそう答えると、
「わかっていただけてよかった。それじゃ、私もゴチになります」
神原芳幸は微笑をうかべながら、まどかクンの背中を追ってミュージアムショップへ消えていった。
……ん? なんか今、どさくさにまぎれて、神原芳幸の昼食代までおごらされることになったような。
しかし、私はこれ以上の抗弁をあきらめた。とどのつまりは神原芳幸にやんわりと云いくるめられてしまうにちがいない。どっと疲れた。
緩慢な動作で上着の内ポケットから薄い財布をとりだすと残金を確認した。
「10分遅刻っ! 罰金1万円っ!」
美術館前でそう笑ったまどかクンのセリフがぐぐっと現実味を帯び、私は心の底から嘆息した。
とっほっほ。
【おわり】
いきなり無粋で申しわけなくぞんじますが『水羊亭画廊』は私(よのすけ名義)のウェブサイトで実在いたしません。
現実にはない画廊。しかし、ウェブサイトは存在し、そこには第1話で語られていた絵画展(『101枚ワンちゃん年賀状展』)の図版や『写楽狂躁曲』第一章に予告されていた美術エッセイ(徒然美術読本第9回)が掲載されています。
インターネットと云う仮想空間で「現実と虚構が微妙にはみだしながら交差する状況がつくりだせればおもしろいのではないだろうか?」と云う遊び心から、小説〈水羊亭画廊シリーズ〉は生まれました。
そのため、当初は狂言まわしが〈柏木友紀〉ではなく〈よのすけ〉でした。
今回、名前を変更したのは、この作品を綾乃弓彦名義で発表しなおしたことと、長編本格美術ミステリ『写楽狂躁曲』へ設定をよせるためです。
本来、第1話は「北斎遺体発掘事件!?」と云う掌編でしたが『あるてび! ~私立アルテア学園付属美術館部~ 葛飾北斎篇』の第1話で同じネタをつかったため、こちらでは割愛しました。あわせてご笑読いただければさいわいです。
まっとうな美術史ネタは『水羊亭つれづれ美術読本』の方でとりあげているので(?)小説〈水羊亭画廊シリーズ〉では、あえてマニアックなテーマをとりあげました。
『水羊亭随筆 Classics』には『狛犬道!』と云う狛犬紹介ブログや『狛狗コマコの憂鬱!』と云う狛犬解説マンガも掲載しております。あわせてご笑読いただければさいわいです。
次回作のテーマは、おそらく美人画になるかと思います。
さいごまでおつきあいいただきありがとうございました。
『水羊亭随筆 Classics』http://ameblo.jp/suiyou-tei-classics/
『狛狗コマコの憂鬱!』http://ameblo.jp/suiyou-tei-classics/entry-10658477926.html




