第二話「華麗なる陰謀!?(蠣崎波響『夷酋列像』) 」〈8〉
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「うひょ~、きやがった、きやがった!」
菊千代みたいな気分(?)を押し殺しつつ、私は展示ケースをながめた(この比喩がわからない人は、黒澤明監督の映画『七人の侍』を観ませう)。
本日のメインイベント、蠣崎波響『夷酋列像』(寛政2[1790]年)である。
A3ほどの大きさの絹本へ11人のアイヌが1人ずつ緻密に描かれている。私がフランスのブザンソン市立美術館で観たいと思っていた作品だ。
「……スゴイ。これまで観てきたアイヌ絵とは完成度が全然ちがいますね」
まどかクンも、その華麗さに圧倒されて思わず息を呑む。
「この作品が松前藩の命運をにぎっていたと云っても過言ではありませんからね」
「どう云うことですか?」
神原芳幸の言葉に、まどかクンがふりかえる。
「ハイ、友紀〈音声ガイド〉どうぞ」
神原芳幸が私にふってきた。めんどうくさい解説を押しつけるつもりである。
「どっから話せばよいかな? ……『夷酋列像』制作の裏側には〈国後・目梨の乱〉とよばれる、歴史上最後のアイヌ武装蜂起事件があったんだ」
寛政元[1789]年5月、場所請負人・飛騨屋久兵衛の暴虐に苦しんでいたアイヌの一部が、クナシリの運上屋(アイヌとの交易の拠点)や、停泊していた商船を襲い、和人71名を殺害すると云う事件が勃発した。
松前藩はアイヌとの全面戦争の可能性に恐怖した。
しかも、この武装蜂起の背景には、ロシアの後押しがあるなどの流言も飛びかい、一時は幕命で津軽藩や南部藩にも出兵の準備がくだされるほどの緊張感につつまれた。
〈ロシア後押し説〉も根拠のないものではなかった。
松前藩は〈クナシリ・メナシの乱〉をさかのぼること11年前(安永8[1779]年)、すでにロシアから通商を求めてやってきた使者のシャリバンらと秘密裏に会談をおこなっている。
「あれ? 最初にロシアから日本へ通商を求めてやってきたのは、ラックスマンじゃありませんでしたっけ?」
成績優秀まどかクンが話の腰を折る。
「秘密裏に、と云ったろ。松前藩はシャリバンのきたことを幕府へ報告していないんだ」
ラックスマンの根室来航は寛政4[1792]年。
この時は幕府と交渉がおこなわれたので、日本史にはラックスマンの名前がのこり、シャリバンの名前はのこらなかった。
「……シャリバンの名前がのこっていたら、今頃、宇宙刑事の赤いヤツは〈ラックスマン〉だったかもしんないね。〈宇宙刑事ラックスマン・スーパーリッチ〉なんつって」
「なんの話ですかっ!?」
昔懐かし特撮ヒーロー物の話である。私も観たことはない。
余談だが、ラックスマン根室来航の報告をうけた老中・松平定信は、
「(北海道は)日本地にあらざれば追ひ払ふべきこともなき」
と云ったらしい。少なくとも、まだこの時点で幕府に北海道を日本の領土とみなす発想は生まれていない。
一方のロシアは、もっと早い時期(享保11[1734]年)から、千島パラシムル島などでロシア正教の布教活動をおこない、200名以上のアイヌをロシア正教に帰依させている。
北海道をロシアの領土とするべく、北端からじわじわとその触手を伸ばしていたのである(今もその機会をうかがっている?)。
ラックスマン根室来航から4年後の寛政8[1796]年。クナシリ・択捉を探索した近藤重蔵らは、エトロフ島でロシア人の立てた十字架を引き倒し「大日本恵登呂府」と云う標柱を立ててきたらしい。
この時、日本の北海道植民地(領土化)政策のはじまりを告げるゴングがしずかに鳴ったと云えるだろう。
「ただ〈クナシリ・メナシの乱〉を引き起こしたアイヌたちにロシアのうしろ盾はなかった。松前藩との全面戦争ともなれば、アイヌに勝ち目のないこともみえていた。そのため、アイヌの蜂起者たちは、アイヌ最大の実力者ツキノエなどの勧告で、松前藩と干戈をまじえることなく降伏した」
結局、蜂起したアイヌの主だった者は全員処刑され、降伏勧告に尽力したアイヌたちも松前城下へ連行され、あらためて松前藩に服従を宣誓させられた。
108名(処刑されたアイヌもふくむ)もの人命が失われた最後のアイヌ蜂起は、実質4ヶ月で幕を閉じる。
「船戸与一『蝦夷地別件』(新潮文庫)は〈クナシリ・メナシの乱〉を主題とした小説だから、機会があったら読んでみるとよいかも」
私の言葉にまどかクンが小さな口をとがらせた。
「そう云うの、先に教えてくれれば、ちゃんと読んできたのに」
「あのなあ、君が電話をかけてきたのは昨日の夜だよ。500ページ以上の文庫本で3巻もあるんだ。一晩で読破するのは無理だろう? ……画廊の本棚にあるから、帰りによってけば貸してあげるよ」
「あ、じゃあそうします」
すなおでよろしい。私は〈音声ガイド〉をつづけた。




