第二話「華麗なる陰謀!?(蠣崎波響『夷酋列像』) 」〈7〉
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「あ、なんか余計なこと云おうとしてますね。神原さんの前で恥をかいても知りませんよ」
まどかクンが私に忠告する。鳴く前に殺してくれるなホトトギス。
「『東武画像』は写生にもとづくすばらしいアイヌ肖像画だと思う。ただ、波響の作品かって云われると、筆法とか落款とか款記とか腑に落ちないことが多いんだよね」
「腑に落ちないこと?」
「波響は若い頃、南蘋派の宋紫石(正徳5~天明9・寛政元[1715~1789]年)に絵を学んだと云われているんだけど『東武画像』は南蘋派の人物画の画風じゃないんだ」
もっとも異なるのは、衣紋線の表現である。
南蘋派の人物画やそれ以外の波響の人物画で、これだけ強弱のついた衣紋線を描いた作品はない。
また『東武画像』では、ひげや髪の量感を出すために、薄墨で全体をぼかした上からていねいに毛描きしているのだが、波響の師事した宋紫石『関羽図』を見るかぎり〈美髭公〉とうたわれた関羽のひげは、薄墨の下地なしで、そのまま毛描きされている。
武士がひげをのばすことを禁止されていた江戸時代に、長いあごひげをたくわえたアイヌ男性は古代中国の豪傑になぞらえられる威容を示していた。そんな彼らを描くのに『関羽図』の描法をとり入れていないのもオカシな話である。
もっとも、ひげの表現は『東武画像』の方が『関羽図』よりも豊かだと思うが。
「落款については?」
神原芳幸が訊ねた。
「実のところ、波響と云う画号がつかわれるようになるのは、文化[1804~1818]年間からでね。『東武画像』以降、東岱・杏雨(京雨)・源廣年と云う画号を経て、ようやく波響になってる」
『東武画像』前後に波響と云う落款の作品は1点もない。しかも20数年を経て同じ筆致の落款が記されるのだから不可解と云うほかない(ただし、波響の落款には、サンズイやニスイなど数種類の筆致がある。真贋をふくめた研究課題と云える)。
「それに波響の印章もアヤシイ。方印に縦書きで〈波響〉と云うのは、この作品にしか用いられていないんだ」
方印に横書きで〈波響〉と云う印章もあるのだが、字体が同じことも気にかかる。
「なんで印章の字体が同じだと気になるんですか?」
と、まどかクン。
「落款の偽造に比べると、印章の偽造はバレやすいんだ。手書きの落款なら多少の差異があっても云いわけがきくけど、偽造された印章は、ちょっとした差異でもニセモノとバレてしまう可能性が高い」
文化年間に使用された印章をそのまま偽造すれば、そこからニセモノとバレてしまう可能性も高くなるが、ありそうでなさそうな印章を偽造すれば、
「ひょっとすると、未発見の作品があるだけで、こう云った印章をつかった可能性もあるかもかも」
と、判断を保留されるからである。
「じゃあ、友紀は『東武画像』の落款・款記・印章を、後世に書きこまれたニセモノと考えているんですね?」
神原芳幸が楽しそうに訊ねた。
「正直〈蝦夷紋別酋長東武〉と書かれた款記もアヤシイ。この款記が波響直筆だとするならば、波響は自分がスケッチしたアイヌ酋長の名前を知らなかったと云うことになる」
〈蝦夷東部(武)紋別酋長〉と記されていたのならまだわかる。
東蝦夷地・紋別のアイヌ酋長と意味がとおるからである。
個人名を記さず、東蝦夷地の猛々(たけだけ)しいアイヌと云う意味で〈東武〉とするのであれば〈紋別酋長〉と明記しながら、その名を記していないのは不自然と云える。
「アイヌの肖像画はそれだけでもめずらしいし、しかも当のアイヌに乞われて描くのだから、さらにめずらしい。そんな豪快なアイヌを実際に写生したであろう波響が、相手の名前を知らなかったなんてことがあるもんかね?」
「そう云われてみれば、そうですね」
まどかクンも首肯する。
「しかも依頼品だ。依頼品イコールプレゼントではないかもしれないけど、これがモデルのアイヌへプレゼントする作品だったとしたら、相手の名を書きこまないのは不自然だろう? たとえば、まどかクンがオレに肖像画を依頼したとする。描き上がった肖像画に〈練り物女王 湯島〉としか書いてなかったらどうよ?」
「〈練り物女王〉だけでパンチっすね」
まどかクンが私の下アゴに、右フックを入れるマネをした。湯島は彼女の実家である。〈練り物女王〉については『タレ耳のオオカミ(狛犬談義)』参照のコト。
「アイヌの人たちに漢字が読めましたかね?」
神原芳幸が〈練り物女王〉と云う茶利に笑いをかみ殺しながら訊ねる。アイヌ文化に文字はない。また和人はアイヌに日本語を学ぶことを禁じていた。
「どうせなにが書いてあるか読めないんだから適当でよいや、ってか? 波響がそんな失礼なマネをするとは思えないなあ」
百歩ゆずって『東武画像』を波響自身が描いたとすれば、落款を記したのは描いた当時ではなく、20数年後と考えるしかない。
それならば、制作年はともかく、モデルの名前を失念したと云うことも、一応、納得もできよう。しかし、印章の謎はのこる。
「『東武画像』へ記されたのがニセ落款だとしたら、あきらかに売買目的だ。犯人はそれなりに歴史の勉強もしていただろう。『東武画像』はすばらしい作品だけど、文化・文政期の波響作品とは画風がまったく異なるから、すぐにバレてしまうこともわかっていたはずだ。だから、あえて空隙をつくような波響の若い時代に設定した」
「だったら、波響って落款にしなければよかったじゃないですか」
そう思うのが、素人の浅草浅草寺。
「北海道では、落款なしのアイヌ絵よりも〈波響〉ブランドの作品の方が高値で売れたそうだ。たとえば〈東岱〉と云う号で波響の作品と理解できるのは、よほどの専門家や好事家だけだろうし、そう云う相手へ売りつけるには、バレるリスクも高くなる」
よしんば、東岱と云うニセ落款を記して、素人の骨董収集家に「東岱と云うのは、波響の若い頃の画号だったんです」と説明しても、信用してもらえなかったら、かえって作品を売るチャンスをのがすことになる。
落款を無視して虚心に考えれば『東武画像』は幕末に描かれた可能性だって出てこないともかぎらない。そうなれば、ますます波響とは関係がない。
「〈波響〉ブランドに目がくらむ程度の相手をだまくらかすには、どうしたって〈波響〉の落款が必要だったってことだろうね。贋作はそこんとこのバランスが難しいんだよ」
「本業の贋作者みたいな口ぶりじゃないですか。……まさか、画廊主は表の顔で、裏では贋作の売買とかしてないでしょうね!?」
まどかクンがわざとらしい驚きの演技で私の顔を見つめる。女優のクセにヘタだな、おい。
「あほか。んなことしてたら、とっくに先の事件で逮捕されとるわい」
私の茶利に心なしかまどかクンの瞳がくもった。しまった! 彼女はその〈事件〉を気に病んでいたから、私をここへ誘ったんだったっけ。
「友紀の『東武画像』音声ガイド、なかなかおもしろいお話でしたけど、美術史の定説となるには弱いですね」
神原芳幸が云った。神原芳幸は、まどかクンの動揺に気づかぬふりをしていたが、アイコンタクトで私の不注意をやんわりと咎めた。
「一番のネックは、やはり、同時期に描かれた波響の作品が現存しないため、比較・検討のしようがないと云うことです。同時期に描かれた波響の作品か『東武画像』を描いた真の絵師の作品なり存在なりの新発見でもあれば、この疑問に終止符を打つことができるのですが」
神原芳幸の云うとおりである。私はしぶしぶうなづいた。
「個人的には、宝暦6~9[1756~59]年の間に、松前廣長が描いた(描かせた)トヒカラインの肖像画だったらおもしろいと思うんだけどな」
「……それはステキな妄想ですね」
神原芳幸もうなづいた。
本気なのか茶利なのか皮肉なのかわからないのが、この男の悪いところである。




