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第一話「タレ耳のオオカミ!?(狛犬談議)」〈1〉

     1



 (いぬ)年である。


 正月休みもおわり、ふだんの喧噪(けんそう)をとりもどしつつある銀座の街とは裏腹に、水羊亭画廊ではあいかわらずしずかな時間がながれていた。


 一般的に年末年始の寒い時期と真夏の暑い盛りは画廊への客足が遠のく。


 昭和初期にたてられたレンガ造りの小さなビルの2階にある画廊なぞ、よほどの美術愛好家でもなければ目をとめるはずもなく、足を向けることもない。


 そんなわけで、ふだんから客足の少ない水羊亭画廊は完全に閑古鳥(かんこどり)の越冬地と化していた。


 その上、ちまたでは記録的な寒さを更新しているにもかかわらず、どうにも暖房の調子が悪く、ゴオゴオと大きな音をたてるだけで室内は一向に暖まらない。


 画廊の奥にある事務所兼アトリエで、私と美術評論家の神原芳幸が白い息を吐きながら紅茶をすすっていると、画廊の方から「カロン」と小さなベルの音が聴こえた。扉のひらいた音だ。


「お客さんかな?」


「主よ。奇跡に感謝いたします」


「なんだそりゃ? 失礼な」


 神原芳幸はちゃきちゃきの華厳(けごん)宗である。私が席を立ちかけると、事務所兼アトリエへ若い女性が息をはずませながら元気よく飛びこんできた。


「あけましておめでとうございまーす。あ、神原さんもいる。おめでとうございます」


 松本まどかクン。女子大生で女優の卵でもある。


 水羊亭画廊の数少ない常連客のひとりで(ただし売り上げには貢献しない)画廊認定の絶滅危惧(きぐ)種である。


「私は保護動物か?」


「それだけ貴重ですばらしい存在だと云うことです」


 神原芳幸がかわって弁解する。私はまどかクンのために紅茶を煎れながら訊ねた。


「それはそうと、まどかクン、アメリカ留学中じゃなかったっけか?」


「現在、帰省中」


「サナダ虫ですか」


「そりゃ、寄生虫でしょ!? 神原さん、あいかわらず涼しい顔で冗談云うね」


「寒いくらいだ」


 私が笑っても、


「それは、この部屋です」


 神原芳幸にあっさりきりかえされた。


「ほんと、寒っむーい」


 まどかクンが部屋のすみにある暖房操作パネルへ近づくと笑いながら云った。


友紀(ともき)さん、これ送風になってますよ。暖房のスイッチ入ってない」


「え、マジ?」


 彼女が暖房のスイッチを入れると、暖房から聴こえていた音がわずかにかわり、暖かい風がふきはじめた。


「ほらね。ふたりもいて気がつかないなんてオッカシー」


「いや、なに。アラバマじゃ部屋を寒くしながら紅茶を飲むことで、暖かい紅茶のありがたみを知ると云う風習があって……」


 私が茶利(ちゃり)を云いかけると、


「ウソです。オクラホマの風習で〈オクラホマ・ミキサー〉と云うんです」


 神原芳幸がシレッとのっかる。


「ふたりとも、ウソだ」


 私たちマヌケなふたり組のホラ話は、まどかクンに電光石火で看破された。



   2



「そう云えば、アメリカのお正月ってどんな感じ?」


 ようやく室内も暖まり、すっかりくつろいだところで、まどかクンに訊いてみた。


「基本的になにもないんですよ。一応、年越しのカウントダウンみたいなことはあるんだけど、翌日からフツーですよ。年賀状もなければ、おせち料理もないし……」


「おせちがないと云うのは、食い道楽のまどかさんには死活問題ですね」


 そう云う神原芳幸の茶々をまったく意に介さず、


「でしょう? お正月くらいおいしいもの食べたいじゃないですか」


 と切実である。


 しかし私は知っている。彼女はいつでもおいしいものを食べたがっていると云うことを。


「なんか云いました?」


 まどかクンが私をねめつける。


「いいや。思っただけ。おれなんか独り身だから、さすがにおせちはしないなあ。かんたんな雑煮くらいつくるけど。だいたい、この時期はカマボコも高いし……」


 私のなにげない一言に、まどかクンが過剰な反応をしめした。


「カマボコ! なんて甘美な響き。そうなんですよ、アメリカじゃおいしい練りものが食べられなくて。日本はよいですよね。コンビニに入ればいつでも練りもの盛りだくさんのおでんが食べられるんですから。まさに天国です」


 静岡県民ではあるまいし「いつでも練りものが食べられる」と云うだけの天国に魅力を感じるのは至難である。


「まどかさん、初詣(はつもうで)にはいかれましたか?」


 神原芳幸が訊くと彼女は楽しげにこたえた。


「行きました! やっと新年をむかえたって感じしましたねー。そうだ、狛犬も見ましたよ。ホントにいろんなカタチの狛犬がいるんですね。ウチの近所の神社のは、文久3年の鞠仔(マリコ)型と、大正14年のお座り型でした。友紀(ともき)さんの「101匹狛犬年賀状」の中にもあったカタチでしたけど、なんかグニャグニャでかわいかったですよ」


「グニャグニャって……」


 画廊主でもあり絵描きでもある私は、先週、今年の干支の「(いぬ)」にちなんで『101枚ワンちゃん年賀状展』と云う個展をおこなった。


 イヌをモチーフにした年賀状を101枚デザインしたのである。画廊ウェブサイトでも公開しているので彼女はそれを見たらしい。


挿絵(By みてみん)


 最初の20枚くらいは楽に制作できたのだが、さすがに途中でネタがきれた。


 そのたびにイヌがモチーフになっているものをさがしまわり、狛犬へいきついたのである。


 私も神社へ取材にいってはじめて、狛犬のデザインが多岐(たき)にわたることを知った。知っているようで知らないことは多いなあ、とあらためて思う。


 洗練されたデザインの狛犬は迫力があってカッコイイし、朴訥(ぼくとつ)なデザインの狛犬は実に愛くるしい。個人的には後者の方が好みである。


 ちなみに、まどかクンの云う「鞠仔(マリコ)型・お座り型」とはポーズ上の分類である。


 ふつうに、ただ座っているだけのものを「お座り型」。


 前片足を少し上げているものを「お手型」。


 お尻をつきだして身まがえているものを「身がまえ型」。


 狛犬の足元や背中に仔狛犬がいるものを「仔づれ型」。


 足元に(まり)のあるものを「鞠つき型」。


 狛犬一対(一組)のうち、一方が鞠つきで他方が子づれのものを「鞠仔(マリコ)型」とよんでいる。

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