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4 佐伯光太郎の一日

 早朝、日の出と共に――時期によってはそれよりも早く、私の一日は始める。



 まだ他に誰も起きていない静寂に包まれた家の中を歩き、新聞を取ってから手始めに洗濯を開始する。

 当主様が起きて来られる前に朝食とコーヒーを用意し、それから今日は弁当が必要だったか否かと考えて、そういえばもう作らなくてよかったのだと思い出す。



 数か月前までは高等部に通う坊ちゃまと、訳あってこの家に滞在されている昴様の分の弁当を平日の週三日ほど作っていた。残りの二日はどうしていたのかというと、ひなた様が坊ちゃまの弁当を持参されていたのである。


 それに合わせるように、自分の分だけ弁当を作るのは面倒だろう、とその日は昴様も学食を利用されたり、恋人に作ってもらったりしていたようである。



 ……正直言って、非常に助かっていた。弁当ぐらいと思われるかもしれないが、仕事は他にも山ほどあり、それなりに要領の良いと自負しているものの時間はいくらあっても足りないのである。


 それに、ひなた様が弁当を作ってくださる日は、坊ちゃまの機嫌が無条件に良くなるのもありがたかった。





「佐伯、おはよう」

「おはようございます」



 思考を巡らせていると、リビングへ当主様が下りて来られた。


 早速作っておいた朝食とコーヒーを並べ新聞を手渡す。




「本日の予定を確認いたしますか?」

「頼む」



 ……今日は少し面倒な案件があったはずだ。いけ好かない社長との会食、それから新作魔道具の発表へ向けての打ち合わせ、それと並行して魔道具の最終調整と広報との会議。遅くまで掛かりそうだ。


 全てを伝え終えると、当主様は「うわあ」と嫌そうな顔を隠そうともせずに、むしろ全面に押し出した。




「魔道具はいいとして、あの社長とか……嫌だ」

「そうおっしゃらずに。早く仕事を片づければそれだけ面会の時間が増えますよ。というよりも早く終わらせないと今日は間に合いそうになさそうですね」

「頑張るしかないか……」



 先日坊ちゃまは無事に退院なされたものの、ひなた様と昴様は未だに入院中である。

 なんとか面会時間を捻出しようと頭を捻らせている当主様を置いておき、私は次の仕事にかかった。










 当主様は決して他の人間を雇うつもりがない。私の手が回らない時や休日は、それこそ自分達でどうにか家事をこなし、やり過ごしているのである。


 そもそも、私は元々不知火の分家生まれだった縁で当主様の秘書をしていただけだった。それなのに運転手や家事までこなしているのは、正直私が勝手にやっているだけのことだ。その分まできっちり給料に上乗せしてくれるのは大変ありがたいが、たまに少し申し訳なくなる。




 奥様が亡くなった後の不知火家は、本当に酷い状況だった。



 いつも明るく振る舞っていた彼女の存在が家にぽっかりと穴を開け、当主様は仕事こそきちんとするものの無気力になり、司様は部屋に籠ってばかりになった。坊ちゃまはそんな空気を感じとって泣き出し、時々秋乃様が様子を見に来るものの、奥様が亡くなったことで坊ちゃまへの怒りが抑えきれずに――しかし二歳の子供に怒鳴ることも出来ずに、苦しんでいる。



 はっきり言って、見ていられなかった。奥様は私の学生時代の後輩で昔から親しかったから尚更に、今の家の状況を見たら悲しむだろうと思った。





 元々は一人暮らしだったのを不知火へと移り住んで、私は黙々と家事を始めた。そうして時間を掛けてでも次第に和らいでいく家の中の雰囲気に一番ほっとしたのは私だ。



 ひとつ誤算があったとすれば、私がそれまで自分の味覚の異常さに気付いていなかったということである。初めて人に自分が作った料理を食べさせた結果、実はとんでもない劇物を作り出していたようなのだ。


 私自身、基本的にどんなものでも美味しく食べられてしまう為、全く気付きもしなかった。



 それからはレシピを参考に料理を作り、時々自分なりのアレンジを加えると大半は好評だった。……が、中には口に入れた瞬間椅子から司様が転がり落ちて気絶したものもあったのは忘れたい記憶である。












 次に起きてきた司様に蘇った罪悪感をひた隠し、テーブルに朝食を並べる。最近はそんなに忙しい訳ではないのだが、彼の出勤は早い。司様が失恋の痛みを忘れる為に仕事に打ち込んでいるのでは、と当主様はおっしゃっていたが実際の所どうなのかは分からない。


 当主様がコーヒーを飲み終わった頃、最後に起きていたのは坊ちゃま――陣様である。



「佐伯、俺もコーヒー飲む」

「準備しておりますよ」



 朝食と共にコーヒーを差し出すと、今度は空いた皿を洗い、そして出勤の準備を始める。


 これまでは学園への送り迎えも必要だったのだが、坊ちゃまもとうとう学園を卒業し魔術師となった今、それも行われなくなった。




「今日も、遅くなる」

「承知いたしております」



 魔術師になりたての坊ちゃまにはまだ然程残業は課せられていないらしいが、当主様と同様に、いや坊ちゃまに至っては毎日病院へ通い、ひなた様を見舞っている。彼女のリハビリも手伝っているらしく、帰りは基本的に面会時間ぎりぎりである。



 準備の整ったご兄弟をお見送りしてから、私は当主様と共に家を出る。


 こんな感じで、私の一日は流れていく。


















 本日の業務が全て終了したのは、病院の面会時間をとっくに過ぎた時間だった。


 がっくりと項垂れる当主様を車のミラー越しに見つけながら、私は明日の休日をどう過ごそうかと頭を巡らせている。



「佐伯、明日どうせ競馬行くだろ。ついでに病院まで乗せてってくれ」

「構いませんよ」



 どう過ごすか考えると言っても、競馬以外の予定である。


 競馬場と病院の位置を頭の中で把握してルートを割り出していると「お前本当に競馬好きだよなあ」と呆れた声で言われた。

 当主様は行ったことがないから分からないのだ。




「この前も何万無駄遣いして帰って来たんだよ」

「無駄遣いではありませんよ。その日一日楽しむ為に必要な額だっただけです。いいじゃないですか、どうせ寂しい一人身なんですから多少は自由に使っても」

「寂しい一人身、ねえ。……お前さ、結婚する気ないのか?」



 珍しいことを聞かれた。真意を測ろうと再びミラーへと視線を向けるが、窓の外を眺める横顔しか捉えることが出来ず、意図は分からなかった。




「……私は、今の生活で満足していますよ」

「まだ、姉さんのこと吹っ切れてないのか?」

「……」


 一瞬、ハンドルを切るのが遅くなる。まさかばれているとは思わなかった。




 昔、それこそ二十年以上前、私は秋乃様に想いを寄せていた。亡くなった奥様が突風と共に暖かさを連れて来る春一番だとすれば、秋乃様は真夏の太陽のような苛烈さを持っている。強気ではきはきとした性格、思い立ったら一直線な所に気が付いたら惹かれていた。


 しかし結局私は何一つ伝えることが出来ずに沈黙し、彼女が好きな男に嫁いでいくのをただ見ていることしかしなかった。




「まったく……司といいお前といい、不知火の血を引く男は皆執念深いというか」

「再三再婚を打診されて来た癖に全て一刀両断したあなたにだけは言われたくないですね」



 国内でも有数の名家である不知火だ。亡くなった奥様の後釜を狙う女性は数知れない。しかし当主様はどんな取引を持ちかけられても、せめて見合いをと打診されても全て断ってきた。




「秋乃様のことは、私にとってはもういい思い出ですよ」



 あの頃を思い出すと少々苦い気持ちにならないでもないが、それでも消化してしまった想いだ。彼女を忘れられなくて結婚していない訳ではない。



「なら尚更、結婚とか考えないのか?」

「こんな五十過ぎたおじさんに嫁ごうなんて考える女性なんていませんよ。まして他の家庭の家事を優先するような男に」

「見た目どう見ても三十代にしか見えない癖によく言う」

「童顔なのは佐伯の血筋なので」

「お前のは血筋ってレベルか?」



 赤信号で車を止めると、やけに車内が静まり返った。音量を絞ったクラシックだけが寂しげに鳴り続けている。





「……お前には、苦労掛けたからな。そろそろ自分の幸せを探してほしいと思ったんだ」

「当主様……」

「今まで不知火に縛り付けておいて言うのも何だが、もっと自由に生きていいんだぞ?」



 成程。やたらと結婚に拘ると思えば、そういうことだったのか。


 信号が青になり、車が動き出す。





「当主様。私、夢があるんですよ」

「何だ?」

「坊ちゃまとひなた様のお子様をお世話することです」



 将来、そんな光景がきっと訪れるであろう。その瞬間が楽しみで仕方がない。


 私がそう告げると当主様は沈黙し、そして僅かな間の後にくすり、と笑い声を漏らした。




「陣のことだから、まだまだ先は長いぞ」

「ええ。ですから、まだしばらくは不知火から離れられませんね」



 当分辞めるつもりはないのだと言外に伝える。


 どんなに忙しくても、大変であろうと、それ以上に幸せになれるこの仕事を辞めるつもりは微塵もないのだから。






小話だけでは短いので、特に需要もない佐伯さんの話も一緒に更新です。


次でラストです。


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