とおいみらいのおはなし
「ひなた!」
穏やかな風が図書室の中に流れ込むとても気持ちのいい午後。一人の少女がテーブルに着き本を片手にうとうと微睡んでいた。黒く長い髪が風に揺れ、とてもゆったりとした時が流れていた図書室に、突如一人の少年の声が飛び込んでくる。
少女は少年の声にぴくりと反応し、しかし然程動くことはなく再び気持ちの良い眠りに入ろうとする。
「ひなた、起きろって!」
「陣……うるさい」
駆け込んできた元気な少年は何の躊躇いもなく少女の体を揺らし、眠りの世界から帰還させた。ひなたと呼ばれた少女はやや鬱陶しげに少年――陣を睨み付けたが、彼は意に介すことなく抱えていた一冊の本をひなたの眼前に突き付けた。
「ほら、ひなた様の伝記! 貸出中だったけど先生が持ってて貸してくれたんだ!」
「……ふーん」
「何だよノリが悪いな。ひなたは誰の伝記にするか決まったのか?」
早くしないと感想文書く時間なくなるぞ、と陣はひなたを窺ったが、彼女は無言でただ首を横に振るだけで答えた。
特に気を悪くした様子もない少年はひなたの目の前の椅子に腰掛け、持ってきた本をパラパラと捲り出す。
「本当にすごいよなー、不知火ひなた様。お前も同じ名前なんだから少しは興味持てばいいのに」
「……百年前の人間なんてどうでもいいもん」
「たった百年だろうが。お前も不知火の人間ならひなた様のことは覚えておくべきだ!」
そう言って陣は無動作に捲っていたページを一番最初に戻し、伝記の人物である不知火ひなたについて朗々と読み上げ始めた。
曰く、不知火ひなたとは百年前に活躍した桜将軍の騎士の一人であること。元々の出身は剣の名門である鳴神家で――ここで少年が自分の家である鳴神家の自慢をし始め、少女に促されて話を戻す――とある事件により片目を失い隻眼の騎士となる。
同じ桜将軍である不知火陣と共に功績を残し、二人での戦いは見る者を圧倒するものだったという。
「隻眼なのに騎士になれたとか、本当にすごいよなあ。俺が一番尊敬する人だ」
「いつもいつも話されれば分かるわよ」
少女はうんざりする顔を隠そうともせずに大きくため息を吐いた。
「俺もいつかひなた様みたいにすごい騎士になるんだ」
「……そんなに好きならひなた様と組めばいいじゃない」
「何か言ったか?」
「別に」
ぼそぼそと呟くように吐き出された言葉は伝記に夢中な少年には届かなかったようで、不思議そうに首を傾げている。対して少女は窓の外に顔を向け、拗ねるように口を尖らせた。
しかしそんな態度も少年は気付く様子もなく、またもや伝記の騎士の話に戻ってしまう。
「しっかし、夫婦で桜将軍なんてかっこいいよなー。俺達も絶対になろうな!」
「え?」
窓の外に目を向けていた少女は慌てて少年へと視線を戻し、狼狽えたように目を泳がせた。
「絶対になるって……?」
「だから、桜将軍に決まってるだろ!」
「そ、そうね……そっちね」
あからさまにがっかりした少女にどうしたのか、と少年が尋ねたものの、なんでもない! と強く突っぱねられてしまう。
気を取り直したひなたは、少し考え込むように顔を俯かせたが、すぐに勝気な態度で陣を見つめた。
「あんたは私くらいの魔術師がいないと心配だし、仕方がないからなってあげる」
「やった、俺の剣とお前の魔術があれば百人力だもんな! よろしく頼むぞ!」
がたん、と静かな図書館には似つかわしくない派手な音を立てて椅子から立ち上がった陣は、その勢いのまま机を回り込んで彼女の手を握った。そしてぶんぶんと音が鳴るくらい上下に握手をしていると、鬱陶しい! と少女が風の魔術を発動させた。
隣の机まで吹っ飛ぶ陣。魔術の余波を受けて床に落ちる伝記。司書教諭から発せられる怒声。焦ったように謝るひなたの声――。
空いている窓から再び風が吹き、床に落ちた伝記が捲られる。
そうして開かれたページの中の写真には、隻眼の女性と仏頂面の男が二人を見守るように映っていた。
これにて終了です。
本編はこれで完結ですが、番外編も少しずつ書き始めているのでまた終わり次第更新したいと思います。
今までお読みくださった方々、本当にありがとうございました。
活動報告の方にあとがきを置いておきます。




