75話 「守れ」
走る私の背後から前方へ、私を通り抜けるように暴風が吹き荒れ魔物を吹き飛ばす。何とか持ちこたえた個体も即座に斬り伏せ、輪に穴を開けた。
「みーちゃん!」
「すぐに戻ります、無事でなかったら許しませんわ!」
勇ましくそう言った彼女は昴を背負い――騎士科といえど火事場の馬鹿力か――全速力で魔物の輪を突破する。
彼女の背を追いかける魔物は再び私と陣によって殲滅し、そして……五秒後、輪は元の姿に戻った。
この場に残っているのは私と陣、そして大量の魔物と正体不明の女性。しかも魔物は倒しても補充されてしまう。戦況は圧倒的に不利だ。
「あの女、幽霊だ」
「……やっぱり」
この世界の幽霊は魔科学的に存在が確認されている。陣と背中合わせになり、魔物を屠りながら思考した。
昴のお母さんは彼が子供の時に殺されたと聞いていた。だからこそ目の前に現れたのに昴は驚いたことだろうし、まして攻撃されるなんて夢にも思わなかっただろう。
しかし、幽霊は魔力がなくなれば消滅してしまう。こんなに長い間存在し続け、まして魔術を行使するほどの魔力を保持しているなんて、一体どういうことだろうか。
その答えは既に陣が持っていた。魔物を炎に沈めながら、言葉を纏めることなく考えたことをそのまま口にする。
「さっきから倒した魔物の魔力がここら一帯から減っていない。おまけに何もない場所から魔物は出現し続けている。……恐らくあの女、俺達が倒した魔物の魔力を吸い取って自分のものにし、更にその魔力で魔物を作り出している……倒してもきりがないな」
「魔物の、魔力を吸い取る!?」
「今までもそうやって存在を維持し続けてきたんだろう。藍川の母親は魔物を操れると言っていた、つまり魔物の魔力との相性がいいんだ」
陣の眼前に迫る魔物を薙ぎ払い、そうして出来た隙に襲い掛かる牙を雷が打ち払う。
「……半年前の魔物討伐。恐らくそのタイミングでこの女は倒された魔物達の膨大な魔力を取り入れた。そう考えれば藍川の言っていた時期が早すぎるという理由も分かる」
魔物が倒されていても、その魔力は霧散せずにここに――この女性に留まっていた。そして彼女が再び魔物を作り出したことによって倒したはずの魔物がまた激増した、ということか。
「陣っ、あの人!」
一瞬周囲の魔物の数が減ったかと思うと、女性の元から不穏な気配を覚えた。本能のままに陣に注意を促すと、次の瞬間陣に向かって巨大な火球が勢いよく飛ばされたのだ。
「くっ」
即座に結界を張り魔術を防いだ陣だったが、その表情は険しい。
「……結界だけで、これだけの魔力を持って行かれるとはな」
「陣、大丈夫なの!?」
「ああ……ただ、長期戦になるとやばい、かもな」
今まで魔力切れを起こしたことがない陣がそう言うのだから、相当凄まじい攻撃だったのだろう。
「すばる……すばるすばる、すばる」
未だに憎しみで満たされた顔でそれだけ呟いている女性。
この人は、どうして昴を恨んでいるのだ。自分の子供なのに。
再び数が増えた魔物を見て、陣が雨を振り払いながら言う。
「……攻撃時に魔物が減ったということは、魔物に回している魔力を魔術に使ったんだろう。そして、魔術を行使している間は魔物の制御まで手が回らなくなる、ということか」
隙を突くことが出来るならその時だが、魔術を防ぎながら攻撃できるか……と、苦しそうに息を吐きながら、それでも魔術を使い続ける陣。私も彼をフォローしながら魔物を倒していくが、それでも疲れはどんどんと蓄積していく。
あの女性を止めることが出来ればどうにかなるが、彼女に刃が届く前に魔物が邪魔をする。
何度か攻撃を受け、口の中で血の味がした。まして雨は気が付けば土砂降りになっており、体力は奪われていくし足場は徐々に悪くなっていく。
昴を追いかけて辿り着いたここは山の中でもかなり深い場所である。みーちゃんが昴を連れて戻り、さらに他の騎士を呼んでこちらに戻ってくるまではまだまだ時間がかかるかもしれない。
雨だか汗だか分からない水滴を拭いながら、魔物が減ったのを確認した。……つまり、魔術が来る!
轟音を立てて発生した雷が陣に向かうのを見て、そして彼の結界が間に合わないのを知って、私は迷わず陣の前に飛び込んだ。
「ひなた!」
「痛っ!」
ビリビリと頭の奥まで痺れてしまいそうな感覚に陥る。魔術の影響を殆ど受けない私が、これほど痛い魔術を受けたことなどなかった。陣が直撃を食らっていたらと想像するだけで目の前が真っ暗になる。
くらり、と足元がふらつく。そんな隙を見せてしまえば残っていた魔物が襲い掛かってくるなど自明の理で。
「危ない!」
魔物が鋭い爪を振りかざして来るのを視界の端で捉えた途端、突然体が横倒しになった。何が起こったのか分からないまま顔は泥水に突っ込み、そして何とか起き上がった瞬間、目の前の光景に血の気が引いた。
「陣!」
「痛い、な」
陣が私を庇って魔物の攻撃を受けていたのだ。鋭い爪で右腕の肉を抉り取られ、酷く出血している。
治療魔術の魔道具は、もう魔力が切れている。そしてその魔力を補填できる程、陣にも余裕はない。
陣を庇いながら魔物を斬り捨てるものの、二人で戦ってなんとか拮抗していた戦いはどんどん不利になる一方だ。
そんな風に持ちこたえている間にも、魔術で一旦減っていた魔物は元の数に戻りつつあるし、元々残っていた魔物はここぞとばかりに襲い掛かってくる。
もう、無理だろうか。頭の片隅でそう思った。勝つことも、逃げることも出来ない状況で生き延びることが出来るとしたら、奇跡でも起こらない限り――。
複数の魔物が飛び掛かる姿を茫然と目に映し、私はどうしようもなくなって目を閉じようとした。
その時だった、瞼の向こう側が閃光に包まれたのは。
「え?」
思わず目を開けてしまうと、青白い強烈な光が目を焼かんばかりに瞬き、そしてその直後、今度は鼓膜が破れてしまいそうな程の轟音が響き渡ったのだ。
そして残ったのは、元通りの暗い山の中の光景。しかし周りを取り囲んでいた魔物は一気に数を減らしていた。
光の残像を残した視界の中で空を見上げると、そこには未だゴロゴロと唸りを上げる分厚い雨雲があった。
「雷が……」
魔術ではない、本当の雷が落ちてきたのだ。よく見てみれば、女性が佇んでいたすぐ傍の大きな木が落雷を受けて真っ二つに割れているのが見えた。
陣も私も、一瞬唖然と立ち尽くしてしまったが、落雷の余波に巻き込まれて苦しむ女性を見てはっと我に返った。
「陣!」
「分かってる――落ちろ!」
私の声に何もかも心得たかのように、陣は女性の頭上から渾身の雷を落とした。
自然の物と比べてしまえば確かに威力は劣るが、それでも相手は無尽蔵とも言える魔力を保持する者。恐ろしい程の魔力を秘めているからこそ、その分だけ魔術が効く。
「あ、あああああああっ!」
魔術の直撃を食らった女性は一帯に響き渡るほどの悲鳴を上げ、そして地面へ崩れ落ちた。……まだ、消滅はしていない。
「すばる、すばる……」
苦しそうに子供の名をただ繰り返す彼女は、酷く酷く悲しげに焦点の合わない目を宙に向けた。
「すばるを、かえして……うばわないで……わたしの、だいじな」
「え……?」
名前に続けられた言葉に、私はとどめを刺そうと動かした足を止めた。
……違う、この人は昴を恨んでいたんではなかったんだ。彼を殺そうとする人間を恨んで、子供を守れなかったことを心残りにして、幽霊になってしまった。
けれど、彼女はもう目の前にいた我が子を認識することさえ出来なくなっていたのだ。
「うばわせない……!」
「っ!」
地を這うような声が呪いのように呟かれた瞬間、言葉にならない悪寒が全身を駆け巡った。
生き残っていた魔物は全て姿を消し、彼女に取り込まれる。
「……ここだけじゃない。きっと山に居る魔物を手当たり次第魔力に変えてる」
陣の顔色が悪い。いや、陣だけではないだろう。私も、目の前に集まる恐ろしい魔力の量に怯え、立っていることさえ難しいのだから。
魔物も居ない今、逃げられる状態なのだ。しかし足は碌に動くことが出来ない。例え足が動いたとしても、この圧倒的な魔力から逃れることなど出来るだろうか。
「すばるを、かえしてっ!」
次の瞬間、彼女から真っ白な光が放たれた。
陣は咄嗟に私に向かって駆け寄ってくる。また、私を庇おうとしているのか。
けれど彼にはもう殆ど魔力は残っていないはずなのだ。私達を守る結界を張ることなど、もう――。
……いや、結界ならある。
全てがスローモーションの世界で、私は首から下げていたペンダントを引きちぎり、そして私の元へやってきた陣の胸に無理やり押し付けた。
彼の驚愕の表情を無視して、私は迫りくる魔術に負けないくらいの大きな声で叫んだ。
「守れ!!」
陣を、守って。
彼が結界に包まれたのを見届けた瞬間、全てが光に包まれた。




