73.5話 返り討ち
時はクリスマス前まで遡る。
「これから作戦会議を始める!」
藍川の馬鹿馬鹿しい台詞が我が家のリビングに響きわたる。しかし馬鹿馬鹿しいと考えているのは生憎俺だけのようで、大吾郎も藍川も何だか無駄に気合が入っているのが厄介だ。
藍川の掛け声に合わせるように、やつの肩に乗っている小さな魔物が「きゅー!」と鳴く。
「作戦名は“陣とひなたをとっととくっつけよーぜ大作戦”だ!」
「作戦の前に、ちょっとお前のネーミングセンスについて話し合いたいんだが」
藍川が大声で言った言葉に対する大吾郎の返答も何だかずれている。ネーミングセンス云々よりもそもそも内容に突っ込みを入れてもらいたい。
リビングを横切った兄貴が変な顔でこちらを見ている。
「まあ要は、ようやく、やっと、陣が自覚したのでもうさっさと二人くっつけよう、という話だ」
ものすごく大きなお世話だ。
確かに大吾郎の言葉で自分の気持ちを振り返ったのは事実だが、だからと言ってそれ以上のお節介は望む所ではない。
『ひなたのこと、どう思ってるんだ』
温室でそう大吾郎に問われた時、俺がまず感じたのは困惑だった。
ひなたと俺の関係を一言で表そうとすれば簡単だ。相棒、相方、片割れ。ひなただってきっとそう思っているはずだ。
あいつの隣は居心地が良くて、そして戦いやすい。ずっと一緒に居たからだろうか、自惚れでなくお互いがどういう風に行動するのか手に取るように分かるし、だいたい同じような思考をしている。
ひなたと俺が交換されたと知った時でも、滅茶苦茶に混乱する中でほんの少しだけ安心していた。取り換えられたのが……俺と同じ立場だったのがこいつで良かったと。
そうして安定した関係を築いてきたというのに、大吾郎の言葉はそれらをいとも容易く崩した。
『ただの騎士と魔術師としてのコンビなら、ひなたが他の男と結婚しても何ら問題はないよな』
ガツン、とバットか何かで頭を殴られてそのままホームランされた気分だった。……自分でも何を言っているのか分からない。
ひなたが、他の男と結婚する?
そんなの有り得ない、と一瞬思いそしてその意味を理解した時、自分の傲慢さに吐き気がした。
結局俺は、ひなたが自分から離れるなんて欠片も考えたことがなかったのだ。このまま共に成長して騎士と魔術師になって、ずっと一緒にいるものだと疑うこともしなかった。
あいつの隣に俺以外の誰かがいるなんてこと、許せなかったのだ。
馬鹿だ、俺は。ひなただって他の男を好きになるかもしれないのに、あいつが誰かに幸せそうに笑う姿を見るかもしれないのに、あいつの隣は俺のものだと勝手に決めつけていた。
あいつが他の男と結婚するなんて冗談じゃない。もし俺が大吾郎の立場だったら、ひなたが見合いなんてする前に見合い自体ぶち壊していたかもしれない。
まだ運がいいのか見たことはないが、もしひなたを想う男が現れたら全力であいつに会わせないようにするかもしれない。
これが好き、なのか。
藍川が恭子を見る目、大吾郎がブラッドレイを見る目を思い出し、そしてようやく理解した。
「という訳で陣、早速告白と行こうじゃないか」
「馬鹿か」
わくわくと傍から見ていても楽しげな空気が伝わってくる藍川は、そう言って俺の肩を叩く。俺の言葉を聞いているかも怪しく、更に大吾郎が藍川を援護するように追撃してくるものだから、たまったものではない。
「好きなら好きって言えばいいって言ったのはお前だぞ、陣」
「……あの時は時間がなかったからそう言ったんだ。でなければ流石にあんなお節介なんてしなかった」
何でもこいつ、ブラッドレイに薔薇を渡して告白したらしい。とんでもない気障だ。
「まあ確かに、陣にいきなり告白はハードル高いよな。だとすれば手始めに……プレゼントはどうだ? もうすぐクリスマスパーティだしちょうどいいだろう」
「お、それ良いな」
「二人で勝手に話を進めるな」
一応俺のことだというのに、こいつら本当に勝手に楽しそうである。
「じゃあ告白するか? 俺はそっちの方がいいけど」
「そもそも何でお前らそんなに俺とひなたをくっつけようとしてるんだよ」
「はあ? そんなことも分かんねえの?」
藍川が小馬鹿にしたような口調でにやにや笑う。……腹立つな、こいつ。
「目の前で両思いの二人がもだもだやってたら、さっさとくっつけよお前ら! って思うだろうが」
「……は」
「昴、そういうのは周りが言っていいもんじゃねえと思うがな……」
大吾郎が片手で頭を押さえているのが視界に入るが、そんなことは気にしていられない。
両思い? 俺と、ひなたが?
「あいつ、中等部の時からお前のこと好きだって気付いて暴走してたぞ」
お前が告白されてるの見て、自覚したんだと。としたり顔で話す藍川を何となく殴りたい衝動に駆られながら、そういえば一時期ひなたの様子がおかしかった頃があったなと思い出す。
確か、藍川が襲撃される少し前のことだ。やたらと距離を取られたり逃げられたりして苛々していた時があった。
「まあ、そういう訳で話を戻すが……陣、告白するかプレゼントをあげるか、男らしくきっぱりと選べ!」
ずい、と詰め寄られて今までの苛々が募ったのか衝動的に殴ってしまったが、まあ騎士科だし大したこともないだろう。
そしてクリスマスパーティ当日。結局俺はあいつに渡すブレスレットを購入してこの場に来た。
殴られても案の定すぐに復活した藍川に折れてプレゼントを選んだ俺だったが、その後のやつの張り切り様に疲れてがっくりと肩を落とした。大吾郎が気遣わしげに見ていたが、止めなかったお前も同罪だからな。
藍川は恭子から仕入れたのかひなたの当日の服装を把握しており、それに似合うプレゼントを選べと言ってきたのだ。
以前一度だけ防御結界のペンダントを渡したことがあったので、今回はどんな魔道具にしようかと考えていると、何故か二人から強烈なストップが入った。
「おいおいおい、ちょっと待て。まさか魔道具贈ろうとしてないか!?」
「何か悪いのか?」
前に渡した時はとても喜んでいたように見えたし、その後も度々使っているようなので悪いとは思えないのだが。
そう言うと、大吾郎はこちらを諭すような口調で「いいか陣」と口を開いた。
「女の子っていうのはな、魔道具よりも普通のアクセサリーの方が喜ぶ……いや、待てよ。ひなたなら魔道具でも滅茶苦茶喜びそうな……いやいや、とにかく! 相棒の騎士にあげるなら魔道具でもいいが、お前があげるのは好きな女の子にだろ! だったら普通のアクセサリーにするべきだ」
「……分かった」
確かに魔道具ならば相棒としていつでも渡せる。今回は普通の装飾品を選ぶか。
お前変な所ずれてるよなあ、という大吾郎のため息混じりの言葉は聞かなかったことにした。
会場でひなた達と合流した後に、殆ど無理やり褒め言葉を言わされる羽目になったのは想定外だった。頭では着飾ったいつもと違うひなたに対していくらでも思うことはあるのに、全く口は動いてくれなかったのだ。
髪が上げられて所々巻かれているし、ドレスだって大人すぎず子供すぎず絶妙な引き立て役になっている。俺が渡した魔道具をこんな時でも身に付けているのは嬉しいし、薄く化粧をしているようで恥ずかしそうにやや俯いている姿は素直に可愛いと思う。……これを、声に出せれば苦労はしない。
申し訳なさそうにしているひなたになんとか絞り出すように「悪くない」とだけ告げた。
プレゼントには初め戸惑っていたようだったが、嬉しそうにブレスレットを眺める姿を見て、俺は一つ安堵のため息を吐いたのだった。
「じんー」
少し目を離したらこれである。本当にしょうがないやつだ。
酔ってもいないのに頭痛を覚えながら、へろへろになっているひなたを窓の方まで連れて行く。俺には少し寒いが、ひなたは冷たい風に気持ちよさそうにしており、相当酔っているなと感じた。
……酒を飲んだ所は見たことは無かったが、こいつ結構弱いんだな。まあ父さんがあまり強くないことを考えれば恐らく似たのだろう。
秋乃さんに母さんの話を聞いてから一度だけ父さんと一緒に飲んだ事がある。懐かしそうに目を細めて母さんのことをぽつりぽつりと話してくれた。
明るくていつも父さんを引っ張っていたパワフルな人だったという母さん。お酒も強く、酔い潰れた父さんを背負って帰ったこともあると恥ずかしそうに言っていた。
そんなことを思い出していると、不意にひなたがこちらを見ている事に気が付いた。
……先程、ひなたの元へ向かう前に「良い雰囲気になったら告白するんだぞ!」と藍川が余計な事を言っていたことが頭を過ぎる。確かにここには殆ど人は居ないし、告白するには絶好の機会と言えなくもない。今を逃せば、臆病な俺は中々次の機会は巡って来ないだろうことは分かる。
俺は一つ深呼吸してひなたに向き直った。それなのに緊張を解す為に先に余計な質問をしてしまったが為に、俺の決意は総崩れすることとなった。
「なんだよ、さっきから」
「え? かっこいいなって」
「……」
「やっぱり陣のこと好きだなあ」
好き?
思わずぽかんと間抜けな顔を晒してしまった。酔っているひなたは何も分かっていないように能天気に言葉を重ねているが、気にしていられない。
ひなたが俺のことを好きだということはあの時聞いたはずだ。それなのに酒の所為であっても顔を赤く染めた彼女から直接聞いた言葉は、想像を絶する威力を伴って俺の思考を塗り潰す。
「……先に、戻ってるからな」
何とかそれだけ口にして内心大荒れになりながらひなたから離れた。途中で恭子が俺を呼び止めたが振り返る余裕など残っていない。
くそ、ひなたに負けないくらい顔が熱くなっているのが嫌でも分かる。
「陣、どうだった? 告白したか?」
「………」
「陣? おーい」
「……返り討ちに遭った」
「は?」




