8話 初めての別れ
「はあー」
疲れたー。
家庭教師が帰るや否や、私はばたん、と机に突っ伏した。もうすぐ小学校の受験ということで、最近はかなり力を入れて勉強している。
が、しかし私はまだ五歳児である。家に引きこもって勉強するくらいなら、公園で走り回っていた方がいいに決まっている。前世でも、お受験と言って小さい時から英会話教室に通わされていた子供に同情したものだ。小学校に入れば嫌でも勉強しなければならないのに、その前から頑張らなければならないなんて、と。
顔を横に向けると、先ほどまで開いていた教科書が目に入る。表紙には日本史という文字が書かれ、文字通り現在までのこの国の歴史が簡潔に羅列されている。
……当然だがそれは、前世の日本史の教科書とはびっくりするほど異なっていた。
まず、平安時代に魔術の発見、とか。前世ではかの有名な陰陽師の阿部清明はこちらの教科書では魔術師だった、とか。魔術が混在するだけでこれほど歴史が変わるのか、と思うほどである。
ちなみに「1600年に行われた魔術師が東軍西軍と分かれて争った大規模な戦いは何か」とは、私が今日家庭教師に出題された問題である。
魔術がどうの、と考えなければ、1600年といえばそりゃあ関ヶ原である。むしろ絶対それしかないだろう。しかしながらこの世界の答えは違う。
まったくかけ離れていればまだ覚えやすいのだが、答えは「壇ノ浦の戦い」なのである。
……。
……覚えられるか!
他にも都道府県の一部も微妙に名前が違う所もあり、滅茶苦茶大変だ。
社会をしっかり復習しておくように、と言われたものの全くやる気が起きない。
「よし、止めよう」
こういう時は気分転換に限る。すばり、遊ぶのだ。
社会はあまり出題されないことを祈るだけにして、公園に行こうっと。
母様にそう伝えると、しょうがないわねー、と少々呆れた様子で私を公園に連れてってくれた。
未だに一人で外に出ることは許されていない。公園までは多少距離があるものの、もう道も覚えているので一人でも大丈夫なのに。
むー、とむくれているといつの間にかパシャリ、と母様に写真を撮られていた。
母様、うちのアルバムはもういっぱいです。
「みーちゃん!」
公園に着くと、そこにはみーちゃんが1人ぽつんと砂場で遊んでいた。今日は他の子は来てないみたいだ。私が呼ぶと、みーちゃんはぱっと笑顔を見せたが、それは何故かすぐにしぼんでしまった。
どうしたんだろう。また家で何かあったのかもしれない。
以前みーちゃんはお母さんが妊娠してから、あまり構ってもらえなくなったと言っていた。その時は、さびしいってちゃんと伝えたらどうか、と一応アドバイスしたところ以前より話す時間が増えたと喜んでいた。それで全てが解決したわけではないだろうから、また何か悩みが出来たのかなと思ったのだ。
「……ひーちゃん」
「みーちゃんどうしたの?」
「あのね……みーちゃん、遠くに行くことになったの」
「え!?」
遠くへ行くって、引っ越すってこと!?
「どこに行くの!?」
「遠く。……妹が生まれたから、お父さんの国で暮らすの」
いつの間にか妹が出来ていたらしい。
詳しく話を聞いてみると、みーちゃんは元々海外で暮らしていたらしい。しかしお母さんが妹を妊娠した為、その間だけ母親の実家に戻っていたのだ。
「遊べるのは明日が最後なの。……ひーちゃん、明日来れる?」
「勿論!」
明日は何かあった気もするが、そんなことよりもみーちゃんが大事だ。
私はみーちゃんの言葉に、すぐさま頷いた。
「ひな、何か元気ないね」
「お友達が外国に引っ越すことになったみたいなの」
「そうなの……ひな、寂しいね」
「……うん」
結局今日はろくに遊ぶことも出来ずに家に帰ってきた。
この世に生まれて初めて出来た友達が離れていくことに、自分でもびっくりするくらいショックを受けていた。兄様達が帰ってきても、夕飯の時間になっても、ちっとも元気が出なかった。
何せ外国だ。どこの国かも分からないし、恐らく二度と会うこともないだろう。
「ひーちゃん、その子は大事なお友達なんだろ?」
「うん」
「なら、何かお別れのプレゼントをしたらどうだ? そうしたらきっとその子も、ひーちゃんのことずっと忘れないでいてくれるよ」
プレゼントか……。
全く考えなかったわけではないが、別れはもう明日だ。今から準備できるものなど限られている。食べ物はすぐになくなってしまうし、何か形に残るものが良いのだが……。
「何がいいかな」
「うーん、今から行ってもお店も閉まっちゃいそうだしなー」
「ひな、私に良い案があるよ」
兄様と一緒に頭を捻らせていると、姉様が通学用の鞄を漁りながらそう言った。しばらく何かを探していたが、やがて「あった!」と手を鞄から抜いてこちらに差し出す。
姉様の手の中にあったのは、紐状の輪っかだった。
あー、これミサンガだ。懐かしいなあ。
「これはね、ミサンガっていうんだよ。友達同士で作って交換するのが流行ってるの。ちなみにこれは姫様作」
姫様、思ったよりも雑な方ですね。紐のきつい所と緩い所が区々になっている。しかし手作り感が溢れ、なんだか暖かい作品だ。
姉様は更に鞄から色とりどりの毛糸や紐を取り出す。
「これなら今からやっても明日までに間に合うわよ」
「姉様、教えてくれる?」
「勿論! じゃあ好きな糸を選んでね」
砂遊びにも指導が入るような不器用な私でも、ちゃんと完成させられるだろうか。
姉様が机に並べた糸や紐を食い入るように眺める。
「これにする!」
その中で私が選んだのは、みーちゃんにぴったりの黄色だった。
次の日になって思い出したのだが、その日は父様の仕事が休みで一日剣の特訓に費やすつもりだった。練習を投げ出したら怒られるだろうと思っていたのだが、どうやら母様が話を通してくれていたようで、
「友達は大切にしなさい」
と、それだけ言われて今日の練習は無しになった。
「みーちゃん、はい!」
公園に着いた私は、みーちゃんの元へ一目散に駆け寄り、すぐさまミサンガを渡した。
昨日はあれから姉様と一緒に色々な編み方に挑戦したのだが、結局私が出来たのは三つ編みだけだった。それでも黄色を中心とした明るい色を選び、見た目は結構良くできたと自負できる。
「みーちゃん、これを見て私のこと思い出してね」
「ひーちゃん……」
みーちゃんは目を白黒させて私とミサンガに視線を行き来させていたが、やがてその大きな目から雫がぽろぽろと落ちてきた。
「……うん、ぜったい忘れない……ひーちゃんは、みーちゃんの一番のお友達だよ」
みーちゃんはミサンガをぎゅっと握りしめて「ありがとう」と途切れ途切れに言う。
「ひーちゃんも、忘れちゃだめだよ」
「……ぐすっ、うん、みーちゃんのこと、ずっと忘れたりしないよ。元気でね……」
みーちゃん、
ばいばい。
「――それではこれから、華桜学園初等部の入学テストを開始します」
とうとう、来た。
あれから一か月。言葉では表せない苦難の日々だった。
みーちゃんとの別れに落ち込んでいた私を襲った、ラストスパートの課題の数々。友達を優先することはしても、他のことには決して剣の時間を削ることはしなかった父様。むしろ「このくらい両立出来なくては騎士になるなど到底不可能だ」とまで言われてしまった。騎士への道は遠い。
だが、絶対になってやる。
「それでは、開始」
ばさ、と一斉に紙を捲る音が教室中に響き渡った。