69話 みーちゃんの好きな人
「ささ、入って入って!」
泊まりに行くと約束してから次の土曜日、私達は夕方になって恭子ちゃんの家を訪れた。
今日は午前中から三人で待ち合わせ、駅に荷物を預けて一日遊んでそれからそのままここへやって来た。
浮かれた様子の恭子ちゃんに、本当に楽しみだったんだなと感じる。勿論、私もみーちゃんも同じであるが。彼女は一人っ子なので、昔から家に一人でいることが多かったらしく「こうやって友達が泊まりに来るの、中々出来なかったけどすごくやってみたかったんだ」とリビングに案内しながら口にした。
時刻は午後六時、まずは夕食の準備である。林間学校の時の飯盒炊爨を思い出しながら、帰りに買い込んで来た食材を使って調理を開始する。
「そういえばさ、昔恭子ちゃんと藤原君がカレーのルーをどの辛さにするかって喧嘩してたよね」
「そんなこともあったっけ。でも流石に大吾郎君だってもう辛口でも大丈夫でしょ」
「そんなこともなかったり……。ねえ、みーちゃん」
「ええ、この前も学食のカレーを完食できませんでしたし。……大吾郎、昔からああですの?」
学食のカレーは食べたことはないが、流石に多くの生徒に提供される物なのでそこまで甘くも辛くもしていないはずなのだが。昔は中辛を食べられたことを考えると、むしろ余計に駄目になっていないか。
少し呆れた様子でそう問いかけたみーちゃんに、恭子ちゃんは「そりゃあもう!」と力を込めて頷いた。
「逆に甘い物は大好きみたいでバレンタインなんて貰ってすぐに食べてたし、一度貰った卵焼きもすっごい甘かったよ。あと、遊園地のコーヒーカップもすぐに目を回してたし、三半規管も弱いんじゃない?」
「恭子ちゃんはお化け屋敷駄目だけどね。林間学校の肝試しでも藤原君を盾にしたし」
「あ、あれは……だって暗いと何も見えないし、何があるか分からないと怖いでしょ!」
普通は皆怖いものなの! と焦って言い訳をする恭子ちゃんを見て可愛いなあと思う。男ってやっぱり、恭子ちゃんみたいな守ってあげたい感じの女の子が好きなのかな……。
昴に言わせると私は「守ってあげたい以前に守ってもらいたいというか、逆にお前の攻撃から守られたい感じ」とのこと。
勿論その後、昴の頭部は守られなかった。本当に失礼な男だ。
「……恭子は、大吾郎と仲が良いのですか?」
「良い方だと思ってるよ。弟みたいな感じ」
「そう、なのですか」
何か含んだような言葉を返したみーちゃんに、ん? と疑問を抱く。ここ最近彼女の言動に何かが引っ掛かるなと感じていたのだが、それが掴めそうで掴めない。
こういう喉につっかえた感じは嫌だなーと思いながら、私は黙々と野菜の皮むきに没頭することにした。
意外なことに、みーちゃんは和食が上手だった。何でも、下宿している祖母に教わっているのだという。そういえば中等部に入った時に貰った果たし状も達筆だったことを思い出し、ついでにそれも尋ねてみると「入学試験の為に日本語を書くのを練習しました」と返答が来る。
騎士科に入る為に遥々イギリスから来日して試験に受かるなんて、生半可なことでは無理だっただろう。本当にみーちゃんは努力家だ。
夕食を食べ終わると一人ずつお風呂に入り、寝間着に着替える。寝る場所は恭子ちゃんの部屋ではないようで、案内されたのは落ち着いた雰囲気の広々とした和室だった。井草の匂いに思わず深呼吸してしまう。
「私の部屋だと狭いし、一人だけベッドになっちゃうからこっちにしたの。ミネルバちゃん、ベッドじゃなくて大丈夫?」
「ええ。祖母の家ではいつも布団を敷いていますし、平気ですわ」
「良かった。……じゃあここからは、お待ちかねの時間です!!」
みーちゃんの返答に安堵した恭子ちゃんは、徐々にテンションが上がって来たのか片手を天井に突き上げて張り切ってそう宣言した。
しかし、少し眠そうなみーちゃんは何のことだが分かっていないようで「時間って、何かするんですの?」と尋ねている。対して恭子ちゃんは「そんなの決まってるよ!」と元気よく声を上げて、みーちゃんに詰め寄った。
「泊まりの時の定番と言ったら絶対に恋バナでしょ!」
「恋、ばな?」
「みーちゃん、恋の話ってこと」
「ああ、そういう略し方ですのね」
「もう、二人ともノリが悪いよ!」
そう言われても、この中で彼氏持ちは恭子ちゃんだけである。私達に一体何を期待しているというのか。
とりあえず各々決めた布団に潜りこむと、恭子ちゃんはわくわくした声色で「じゃあ手始めに」と私をロックオンした。
「ひなたちゃん、陣君とはどうなの?」
「どう、と言われても、今まで通りとしか」
「たまに手作り弁当を作ってあげてるって昴が言ってたけど?」
……別に口止めした訳ではないが、本当におしゃべりなやつだな。
「ひなたったら、この間もあの男が弁当箱を返しに来て大騒ぎしていましたわ。どこがいいのか全然分かりませんけど」
「だよね! 陣君は好きになるには面倒臭そう」
「……そんなことないのに」
二人の言葉に思わずむっとすると、待っていましたとばかりに恭子ちゃんが「じゃあどこが好きなのか教えてよ?」と興味津々に返してきた。
……初めからそれが聞きたかったのか?
「どこって言われても」
どこだ。むしろ私が聞きたくなった。何故かみーちゃんまでもが真剣に私の言葉を待っているのに気づき、慌てて頭の中で考える。
陣の好きな所なんて考えたこともなかった。ただ昔から当たり前のように隣に居て、居心地が良くて、ずっと一緒に居られたらいいなあなんて思ってた。
だけどそれに恋愛感情が含まれていると知ったのは、陣が告白されているのを見たあの時だ。藤原君や昴が陣の隣に居ても何とも思わないのに、他の女の子が傍にいるだけですぐに割り込みたくなってしまう。
……しかし、いざ言葉にしようとすると難しい。陣は特別優しい訳ではないし、むしろ素っ気ない時の方が多い。おまけによく怒るし、「別に」というだけで碌に言葉を発しないこともしばしばで――まあ、大体察することは出来るが――会話が続かないこともある。
だけど、誰よりも私のことを理解してくれていると思う。私が一番陣のことを分かっている、とは言い切れないが、逆ははっきりと頷けるのだ。だからこそ会話にならない会話も苦痛ではないし、一緒にいて楽しい。
それに時々……本当に滅多に見ることが出来ないけど、陣も少しだけ笑う時がある。例えばそれば私がドジしてしまったり、お弁当の味付けが成功した時だったりするのだが、そんな表情を見てしまうと私の方が色々と限界になってしまう。
まあ、要は。
「……陣だから好きだとしか言えないんだけど」
良い所も嫌な所もひっくるめて好きだということ。
恋は盲目だと言うけれど、欠点も見えてなお全部好きだという私も、半分くらいは盲目なのだろう。
……あああああっ!! 滅茶苦茶恥ずかしいっ!
自分の乙女思考に自爆してしまいそうになる。
「ひなたちゃん、今の顔、今までで一番可愛かったかも」
悶えて頭を抱えていた私を追撃するように、恭子ちゃんが感嘆の声を上げた。止めて、これ以上顔が熱くなったら絶対に血管切れるから!
勘弁してください、と頭から布団を被って視界を閉ざす。そうしていれば少しは落ち着いてくるもので、私は顔面の温度が正常に戻ったのを確認すると、布団から頭だけを出した。
「……そういえば、みーちゃんはどうなの? 告白された人と付き合おうとか思わなかったの?」
「そうそう! ミネルバちゃんは好きな人とかいないの?」
「わ、わたくしですか?」
何だか自分が逃れる為にみーちゃんに矛先を向けてしまったような感じになってしまったが、実際に気になっていたことだった。
今までにしろ最近の告白ラッシュにしろ、みーちゃんは常に、それこそ彼女の太刀筋のようにすっぱりと一刀両断しているのである。その中にちょっとでも良いと思う人はいなかったのだろうか。
みーちゃんは私達の視線におろおろ狼狽え、目を泳がせる。居ないのならきっぱりと言うのが彼女だ。だとすれば……好きな人がいるのかな?
「好きな人、いるの?」
「……」
無言だったが耳まで赤くなっており、どんな肯定の言葉よりも一等分かりやすい反応であった。無論恭子ちゃんも答えを察し「誰なの? 私の知ってる人?」と布団から這い出てみーちゃんに詰め寄っている。
あまり交友関係が広いとは思えない彼女なので、きっと私も知っているのではないだろうか。みーちゃんに近しい男を考え、最初に出てきたまさか、という名前を一応口に出す。
「……もしかして、昴とか言わないよね?」
「当たり前ですわ! 誰があんな馬鹿男を好きになりますか!」
「えと、一応私の彼氏なんだけど」
「恭子をあれだけ心配させて泣かせた男なんて、馬鹿で十分ですわ! 大吾郎はもっとずっと頼りになって優しくて……あ」
昴への暴言と共に吐き出された言葉に、私も恭子ちゃんも、そして当人であるみーちゃんも一瞬動きを止めた。つい、という感じで零れ落ちた言葉を驚きながらも反芻してみる。
……ええと、つまりは。
「ミネルバちゃんの好きな人って、大吾郎君!?」
恭子ちゃんの発言にみーちゃんはしばし沈黙を保っていたものの、やがて観念したかのようにため息を吐いた。
「はい。……大吾郎が、好きなのです」
「いつから? 全然気付かなかった」
「……いつから、と言われるとわたくしにも分かりません。でも大吾郎はいつも優しくて、私の背中を押してくれて……いつの間にか、好きになっていました」
正直、かなり驚いた。だってみーちゃんと藤原君の関係は、はっきり言って兄妹のようなものだと思っていたから。
夕食を作る時に引っ掛かった何かは、きっとみーちゃんが必要以上に藤原君を気にしていたからなのだろう。
恭子ちゃんはといえば、酷く納得したかのように腕を組んでうんうん、と頷いている。
「そうだよねー大吾郎君って面倒見もいいし、優しいもんね」
「ええ、大吾郎は優しいのです……誰にでも」
だから、わたくしのことは何とも思っていないのです。と、みーちゃんは少し悲しそうに笑った。
今まで彼女が藤原君のことを好きだとは思っていなかったので、逆に藤原君がみーちゃんのことをどう思っているかなんて思い出しても分からない。中等部の頃に妹みたいと言っていたのは微かに記憶に残っている。
「……大吾郎は、花言葉に詳しいでしょう?」
「そうなの?」
「うん。この前も国王杯の前にみーちゃんに花あげてて、花言葉も考えて選んだみたいだったよ」
「へえー、思ったより気障なんだね」
「あの時以外にも、今まで何度か花を貰ったことがあるのですが……」
え? なら藤原君もみーちゃんのこと好きなのではないだろうか。好きでもない女の子にそんなに花なんて贈ったりするか?
……とも考えたのだが、それが藤原君ともなると言い切れない気がして来る。何の意識もせずに誰彼構わずに渡している可能性もある。
みーちゃんはぎゅっと枕を抱きしめて消え入りそうな声でぽつりと呟いた。
「後で調べたのです。そうしたら……友情だとか幸福だとかばかりで、愛情表現の花言葉の物は一度も貰ったことがなかった」
「……でも、それは偶然じゃあ」
「意図的に選んでいるのです。温室中に薔薇が咲き誇っていた時だって、彼がくれたのは隅に咲いていた別の花でした。……全く意識されていないよりも、ずっと残酷なことをする人です」
みーちゃんの言うとおり藤原君が意図的にやっているのだとすれば、確かに彼女のことを全く意識していない、という訳ではないのだろう。愛情の花言葉なんていくらでも溢れ返っているし、それを除外してみーちゃんに渡しているのだとすれば、もしかして藤原君はみーちゃんの気持ちに気付いているのか?
気付いていてあえて花を贈っているのだとすれば、藤原君は本当に残酷な程優しい。
「大吾郎君に告白する気はないの?」
「……はい。どうせ気持ちが通じないのなら、今のままでいたいのです。高等部を卒業すれば、どのみちイギリスに帰らなくてはいけませんし」
優しい思い出のまま、終わらせたいのです。
そう言って、みーちゃんはとても優しく、そして寂しげに微笑んだ。




