67話 決勝戦
「大吾郎の魔力、準決勝で大分減ったみたいだな……見ろ、魔石の色が変わってる」
試合が始まる直前、陣が唐突にそう言った。
互いに礼をしたすぐ後だったので、それなりに近くに居た藤原君の手首をちらりと窺う。袖に隠されてあまりはっきりとは見られなかったが、確かに陣の言う通り先程見た魔石の色とは異なっていた。
綺麗な緑だった色が現在は明るい黄緑色になっているように見える。
「色が変わってるのは魔力が減ってるってことなの?」
「いや、普通は魔力が減ると色が薄くなる。変色しているということは、恐らく別の魔力を混ぜたんだろう」
「……みーちゃんの?」
「だろうな。ともかく、大分消耗しているのは間違いない。大掛かりな魔術は使ってこないだろう」
先ほど藤原君の魔術には当たるなと言われていたため、それならば少し安心できる。準決勝のことを考えても弱い魔術ならば数発耐えられるようであるし。
一度大きく息を吐いてから剣を構える。授業で何度も打ち合ったのでみーちゃんの実力は分かっている、その戦い方も。しかしそれは私の戦い方も熟知されているということに他ならない。
「開始!」
審判の声が会場に響き渡ると同時に、私は地面を蹴った。一気にみーちゃんの元へと迫るが、しかしここで違和感を覚えた。
準決勝までの戦い方を見ていても、みーちゃんが攻撃を仕掛け、そして藤原君が彼女のサポートをする、というのが彼らの戦い方だった。しかし試合開始の合図が出されても、みーちゃんは剣を構えるだけで私を迎え撃つかのように待ち構えているのだ。
何かあるのか、そう思った時には既に彼女と剣を合わせていた。
「くっ」
重い。彼女を見くびっていた訳ではないが、随分と押される力が強い。体格の差だろうか、初等部までは男子にも力で勝っていた私だが、学年が上がるにつれて腕力で勝てる相手はどんどん減っていった。それはみーちゃんにもだ。
鍔迫り合いは駄目だ、確実に負ける。出来るだけ剣を弾いて一度距離を取らなければ。
そう思い、私は背後に勢いを付けて跳ぶ。ところがその直後、今まで私が居た場所の地面が突然跳ね上がった。
「魔術……」
みーちゃんにばかり気を取られて藤原君まで見ていられなかった。驚きに体勢を崩しかけ、そこへみーちゃんが追撃を掛けてくる。しかしそれは陣が放った炎の魔術が彼女の視界を覆い、何とか躱すことが出来た。
一旦体勢を整える為に陣の元へと下がる。
「陣……」
「ああ。厄介なことに大吾郎のやつ、気付いてるな」
私に本来魔術の効果がないことは、初等部から長年付き合ってきた藤原君なら百も承知だ。けれどそれでも私を狙って魔術を使ったということは、彼もまたプロテクターの弱点に気付いてしまったのだろう。
どうやら魔術を回避することに慣れていない私に狙いを定め、みーちゃんが私を引きつけている間に藤原君が攻撃するという、準決勝とは逆の戦い方を選んだらしい。
「陣、攻撃お願いね」
「言われなくとも」
ならばこちらも私がみーちゃんを相手にしている間に陣が藤原君を狙えばいい。例え魔術が来ても私には結界展開のペンダントがある。防ぐ手段のない向こうの方が不利だ。
じりじりとこちらへ近寄ってくるみーちゃんに、私は再び剣を構えて駆け出した。剣を交えては受け流し、陣の魔術が発動するまでの時間を稼ぐ。
そしてそれはすぐにやってきた。
「これで、どうだ!」
陣の指先から迸った電撃が一直線に藤原君へと向かう。コントロールは完璧だ。例え藤原君が結界を張ろうと、長い間それを維持し続けるほどの魔力はないはずである。
しかし眼前に迫った雷に、藤原君は何故か余裕の表情で笑っていた。
「それを待ってた!」
「なっ」
みーちゃんとの戦いの中では僅かにしか見ることが出来なかった。しかし藤原君は指先から小さな光を放出したかと思えば、それを陣の雷に直撃させたのだ。
すると藤原君に向かっていた雷は、突如可笑しな軌道を描き、そのまま陣の元へと跳ね返って来た。
「隙だらけです!」
あまりにも予想外な展開に呆気に取られていた私は、その隙を見逃さなかったみーちゃんに鋭い一撃を食らわされた。肩のプロテクターを大きく抉り取るような攻撃は威力が軽減される結界の中であっても結構痛い。
慌てて追撃を躱して距離を取る。……良かった、ブザーはまだ鳴っていない。
ちらりと後方を窺うと、陣は驚きながらも結界を発動させたようである。ただでさえ威力のある雷の魔術、それも陣が放ったものだ。一度でも直撃すれば失格は免れなかっただろう。
「反転、させた……?」
鏡のような魔力を構築し、放たれた魔術をそのまま跳ね返す。そんな魔術は、教科書のどこかにあったはずだが、確か多量の魔力を必要とするはずだ。今の藤原君にそんな魔力が残っていたというのか?
剣を握る手に力が入る。だが多くの魔力を使うものだとすれば、連発は出来ないはずだ。
私は集中する陣を守るように彼の前に立つ。今度はみーちゃんが陣を狙いこちらへ斬りかかるが、私が守るまでもなく陣の魔術発動はとても早かった。
「なら、これでどうだ」
先ほどと同じ雷の魔術。しかし異なるのは発動場所だ。陣の指先から放たれていた魔術は、今度は準決勝の最後と同じ、藤原君の頭上から発動した。
反転の魔術は文字通りひっくり返すだけだ。頭上から降ってきた魔術を反転させれば逆に上に魔術が発動する。当たれば勿論御の字だが、当たらなくても膨大な魔力を削ることが出来る。
だが、私の目は雷に向けて指を向けながら笑う藤原君と、そして手が持ち上げられたことによって袖が捲れ、現れた彼の魔道具を見た。
魔石の色は、相変わらず鮮やかな黄緑だった。
「いけっ」
藤原君の手から細い糸のような魔力が放たれる。それは落雷に当たり、そして先ほどと同じく雷の軌道を変えた。だけど雷が向かったのは頭上ではない……私に向かっていた。
「嘘っ!?」
何でこっちに来るんだ!? と内心大混乱しながら、私は反射的に片手でペンダントを握っていた。
「守れ!」
手を離さない為に音声で発動する魔道具にしたのにも関わらず、危機感を覚えると無意識にペンダントに触れる癖が付いてしまっている。
即座に展開された結界はいつものように私を守り、陣の強力な雷すらもすぐに消滅させた。
しん、と会場内が静まり返ったのを感じる。
何なんだ、藤原君は一体何をしたんだ。
その疑問に答えてくれたのは、私の隣までやってきた陣だった。
「あいつ、発動中の魔術の術式を変えやがった」
「え?」
「ただの反転なんかじゃない。方向を制御する魔術式だけをピンポイントに小さな魔力で書き換えたんだ」
「流石、陣だな。これだけで見破るなんて」
藤原君は心底驚いたような顔をしてそう言う。驚きたいのはこっちの方だ。
「ちょっと佐々木と作戦を練って考えたんだ、少ない魔力でお前達に勝つ方法を。出来るようになるには苦労したが、ミネルバの足を引っ張る訳にはいかないからな!」
「っ陣!」
素早く発動した鎌鼬が、私をすり抜けて陣の元へと向かう。咄嗟のことに結界を張ることも出来なかった陣は魔術の直撃を食らい、そして苦しそうに息を吐いた。
プロテクターに覆われた部分以外にも魔術は効いている。私だったら何てことない一撃も、魔力が膨大な陣には命とりになる。
「やるな、大吾郎」
だけど陣は体を押さえながらも、藤原君を見て笑っていた。
陣は本当に負けず嫌いだ。
これからどうするべきだろうか。例えみーちゃんに魔術を向けても、即座に藤原君が書き換えてしまうことだろう。ならば私が藤原君を倒せれば一番良いのだが、そこまで行くには鉄壁の守りが居る。
「ひなた、さっきと同じ、ブラッドレイを引きつけてろ。あいつは俺がどうにかする」
「でも陣、大丈夫なの? ……藤原君の魔術、陣も使えたりしないの?」
「……あんな小さな魔力、正確にコントロールできるのはあいつくらいだ」
確かに陣は魔術の制御にも長けている。だが藤原君が得意とするものとは違うのだ。
膨大な魔力を一纏めにして大規模な魔術制御が可能な陣とは対照的に、藤原君はまるで針に糸を通すかのような酷く精密な魔術制御を行うことが出来る。
軒並み魔力が高い生徒が集まる一組において藤原君が在籍していられるのは、初等部の頃から得意としていた魔力コントロールのおかげなのだろう。
そんな藤原君に、陣は一体どうするつもりなのか。私にも彼の頭の中は分からなかった。
「どうにかするから、信じろ」
分からないけれど、そう言われれば私が取る行動など決まっている。
私は真っ直ぐにみーちゃんに向かって走り、素早く剣を振るう。速さが私の専売特許だ。攻撃の隙など作らせなければいい。
みーちゃんも一撃一撃を受け止めるが、しかしそれを上回る速さで剣を薙ぐ。攻撃は最大の防御。そしてとうとう、彼女の腕を私の剣が大きく切り裂くようにぶつかった。
プロテクターがある為実際に斬り付けた訳ではないが、痛みは多少あるようだ。僅かに後退する彼女を追って、私は一歩踏み出した。
その時、私達の横を陣が走り抜けた。
「え?」
「陣?」
一瞬動きが止まった私達に構わず陣は藤原君目掛けて一直線に掛ける。途中で藤原君が放った魔術も走りながら結界を張って防ぎ、そうして彼の元へたどり着いた。
「俺だって、何もしてこなかった訳じゃない」
「陣!?」
藤原君の目の前まで来た陣は、その勢いを殺さぬまま右手を振りかぶり、そして藤原君に向かって真っ直ぐに拳を突き出したのだ。
一瞬会場中が呆気に取られた。けれど陣と藤原君だけは互いに意識を集中させたままだ。
陣の拳は咄嗟に両腕をクロスさせ防がれてしまう。しかしそれすらも想定内だったかのように陣はすぐさま左腕を引き、そして――。
「後ろで守られてばかりだと、思うな!」
藤原君の鳩尾のプロテクターに、陣の左ストレートが綺麗に入った。
正直、型破りにも程がある。槍を使う騎士科の生徒ならば、接近されれば格闘戦に持ち込むこともあるが、魔術科でそんなことをする生徒など居る訳もない。
しかし私が呆気に取られていられたのはそこまでだった。まだブザーはなっていない。試合は続いているのだ。
「大吾郎!」
汗ばむ手で剣を握り、そして藤原君に気を取られているみーちゃんの脇をすり抜ける。彼女が気付いても間に合わない程に私は全速力で走り、そして陣の攻撃でよろけた藤原君に接近する。一瞬傍に居た陣と視線が交錯した。
後は任された!
私は藤原君に向かって大きく剣を薙ぎ、プロテクターを破壊した。
直後、大きなブザー音が会場中に響き渡った。
閉会式の後、私は帰ろうとする陣を引き留めて気になっていたことを尋ねた。
「ねえ陣、さっきの何だけど……」
「悪いか? 魔術師が前衛に出て」
既に聞かれる内容を予想していたのか、私が言い終える前に陣はそう切り返してくる。
どことなく不機嫌そうだ。
「悪いなんて思わないけど……意外だった。誰かに教わったの?」
拳を出す速さといい動きといい、その場の勢いで殴りに行ったというよりは、予め体術を習ったような動きだった。
陣は少し口籠ったが、辛抱強く待っていると小さく「黎一、さんに」と呟いた。
「兄様?」
「実践的な体術をある程度。……まあ騎士科の人間には到底太刀打ち出来そうもないが」
確かに、あれが藤原君ではなくみーちゃんであったら間違いなく受け止められていただろう。
「でもどうして体術なんて習ったの? 魔術使ってる時に近付かれた時の為?」
「……いつも」
「ん?」
「初等部の時も、中等部の時も、いつもお前ばっかり怪我して。後ろで守られてばかりで苛々した」
そんなこと、ないのに。魔物と戦った時だって陣がいなければとどめをさせなかったし、昴が襲撃された時だってあの魔術がなければ助けを呼べずに死んでいた。
「陣の魔術に助けられてるのはいつも私じゃん」
「……例えそうだとしても、俺が魔術を使う為にいつもひなたは前で俺を守ってる」
「それは、騎士と魔術師なら当たり前で」
「そうしなければならないなんて誰が決めた。……俺が戦える相手なんてたかが知れてるが、無いよりましだろ」
その結果が今日だ。意表を突くことでなんとか勝利を勝ち取った。
それは陣の努力があってこそだ。
「確かに、今日勝てたのは陣のおかげだね。かっこよかったよ!」
「……そうか」
ちょっと勇気を出してそんなことを言ってみたのに、陣の返事はいつも通りの非常に淡白なものだった。
けれど、つい先ほどまでの不機嫌が直っていることには気付けるくらいには、私は陣のことを分かっていた。
ちなみに今更ですが陣が雷の魔術が得意なのは、その名の通り“鳴神”の生まれだからです。初期設定で不知火は炎の魔術の家系、鳴神は雷の家系から現在の騎士の家系になったという裏設定を作っていた頃があったのでその名残です。




