7話 不思議なお客さま
あれからほぼ毎日剣の練習は続いた。初めは走るのと素振りだけでもう精一杯で、父様もそれ以上は教えてくれなかったが、続けていると徐々に余裕が出てくるようになる。そうすると今度は、基本的な体運びや、打ち込みなどを少しずつ行えるようになった。
私も、剣の練習ばかりをやっているのではない。休日は公園で遊ぶこともあるし、平日の午前中には家庭教師に勉強を教わり、来年に控える小学校受験に備えている。それに父様にも予定があるので、あらかじめ剣に費やす時間が決まっているのだ。まず走り込みと素振りをして、その後余った時間が多ければ多いほど新しいことを学ぶことができる。
そう思うと、素振りにもやる気が湧いてくるものだ。
習い始めた当初と比べても格段に体力が付いた。もはや五歳児の体ではない。鳴神家は剣の名門だというし、やはり血筋もあるのかもしれない。そのくらい、私はぐんぐん体力や腕力を伸ばしていた。
「445、446……」
今日もいつも通り木刀の素振りをしていると、姿勢が悪くならないように鋭く監視していた父様の視線が急に外れた。そして素振りをする私の後方をじっと見つめているようだ。
どうしたのだろう、と思うが途中で止めると父様から何を言われるか分かったものではない。そのまま素振りを続けていると、背後から突然ぱちぱち、と手を叩く音が聞こえてきた。
「すごいな、こんな小さいのに頑張って」
んん!?
渋い声と共に急に頭に手を置かれて、私は思わずびくっと体を揺らした。そのまま続けるわけにもいかず、私は恐る恐る後ろを振り返った。
「……連絡も無しに来るなと言っただろう」
「そうだったな、今度からそうするよ」
振り向いた先には父様と同じくらいの年だと思われるおじさんが立っていた。あまり大柄な人ではない上、人受けがよさそうな爽やかな笑顔を浮かべている為、父様と並ぶと対極な印象を受けた。
彼は父様に軽口を叩きながらも、ずっと私の頭を撫で続けている。
……あの、禿るから止めてほしいです。
「とりあえず中へ入れ……ひなたは後三百回素振りだ」
「えー!?」
後五十回だったのに……途中で止めたペナルティだろうか。いやでも、あのまま続けていたらあの人に木刀が当たったかもしれないのだから、どのみち止めざるを得なかった。
父様達はそのまま家の中へ入っていく。知らないおじさんの方はちらちらとこちらに視線を送って立ち止まっていたため、強制的に父様に連れて行かれていた。
横暴だー! と小さく呟きながら、私はもう一度木刀を振り上げた。
……やっと終わった。
木刀を地面に引き摺りながら、私はしばらくしてようやく家に入ることが出来た。
汗びっしょりだった為シャワーを浴び(もう一人で入れます!)頭を拭きながらリビングに戻る。
するとそこには先ほどのおじさんとしかめっ面の父様が向かい合ってソファーに座っていた。父様怖い。
話の邪魔をしてはいけないとそのまま会釈をして通り過ぎようとすると、おじさんが私に向かって手招きをしてきた。
どうしよう、と父様の方を窺うと「来なさい」と言われた為、私は渋々方向を変え、父様の隣へ座った。こういう初対面の大人の人と話すのは苦手なんだけどな。
「大きくなったね」
「私を知ってるんですか?」
「勿論……小さい時に会っているからね」
おじさんはそう言って目を細めた。今でも十分小さい私の記憶にないとすれば、本当に赤ちゃんの時くらいのことなんだろうな、と考える。
しかしながら、この人は誰なんだろうか。そう思っていたのが顔に出ていたのか、おじさんは少し残念そうな顔をしながら口を開いた。
「私は不知火という者だ。お父さんの友人だよ」
「父様の?」
「ああ」
不知火さんはそういうと再び私を懐かしそうな目で見る。しかし私は全く覚えていないので少し居心地が悪かった。
「今は五歳か……小学校は勿論華桜に行くんだろう?」
「はい、その、受かればですけど」
華桜学園とは、兄様と姉様が通っている小学校だ。王立……前世で言う国立の超有名校である。姫様も通っていることからも、この学校の格式の高さが窺える。
華桜は小中高一貫校で、中等部からは学科ごとに分けられて学ぶことが出来る専門分野にも特化した学校である。そのため全国から沢山の受験者が訪れ、毎年の倍率はすごいことになっている、とは家庭教師の弁である。
ちなみに鳴神家ではこの学校に入るのが昔から当然とされ、中等部からは騎士科に入ることは通例とのこと。勿論私もそうしたい。
しかしながらあくまで受かれば、の話である。名門校らしく試験も小学生になる子供に出す問題ではないと言われるほどの難関らしいのである。
前世高校生だった私には楽勝……とか思ってはいけないのだ。
漢字や計算はともかく、この世界の物理法則や歴史などは逆に前世を知っているからこそ余計に苦労するのである。さすがに魔術の実技はないようだが、基礎的な知識問題は当たり前に出る。家庭教師にも、重点的にお願いしてある。
「君なら絶対に大丈夫さ」
殆ど知らない子供に何の根拠があるというのか……。
不知火さんは何故か自信満々にそう言った。隣の父様も呆れている。
それから父様達はしばらく軍がどうとかあの会社の業績がどうのとか、私にはよく分からない話をしていた。私はといえば、退室していいか分からず、大人しくソファーで手持無沙汰に過ごした。
途中で母様が持ってきてくれたクッキーをつまみながらぼーっとしていると、話が終わったのか、不知火さんが立ち上がった。
「それじゃあ、そろそろお暇するよ」
「……お前は一体何しに来たんだ」
「勿論顔を見に。あっと、忘れてる所だった」
玄関へ向かおうとした不知火さんは、しかしふと思い出したかのように立ち止まり、鞄から何か小さな紙袋を取り出すとそれを父様に差し出した。
「はい、例のブツ」
「妙な言い方をするな」
父様は不機嫌になりながらも、大切なものなのだろうか、大事そうに手に取る。そして「ちょっと待っていろ」とだけ言うと、リビングを出て行ってしまった。
そして取り残された私と不知火さん。私が勝手に思っているだけだと思うけど、何だか気まずい。
父様、早く戻って来ないかな。
「ひなた、剣の練習は楽しいか?」
扉の方をちらちらと見ていると、不知火さんが話題を振ってくれた。
楽しいか……と聞かれると難しい。相変わらず練習中の父様は滅茶苦茶怖いし、筋肉痛は酷い。苦しいことの方がずっと多い。
だけど頑張った後の達成感だとか、だんだんと剣術が身についてくるのを実感できた時は嬉しくてたまらなくなる。
私は散々考えた挙句に、こくりと一つ頷いた。
不知火さんはそんな私に、にこ、と優しく微笑んだ。
「待たせた」
父様は戻ってくると、手に持っていた袋を不知火さんに渡す。予想よりも重かったのか、持った瞬間に「うわ」と声を漏らしていた。
「結構あるな」
「あいつが勝手にやっている」
「まあ、そうだろうね。お前がやるとは思えない」
私には分からない会話をして、不知火さんは今度こそ玄関へ向かう。
「それじゃあひなた、またね」
「……はい」
最後に再び私の頭を撫でて、彼は満足げに帰って行った。
……なんか、不思議な人だったな。