61話 騎士になる覚悟
あれから秋乃さんとはちょくちょく連絡を取るようになった。未だに陣のことを許すことが出来ないと言った彼女だが、それでも私を介して陣と少しずつでも歩み寄りを進めている気がする。長年恨み続けていたのだからすぐには難しいとは思うが、いつかは和解してくれたらいいなと思う。
そんな彼女だが、実は非常に能力の高い人物だったようだ。私達が昴と連絡を取れないだろうかと悩んでいたのを聞いて、なんと伝手を使って協力してくれると言ってくれたのだ。秋乃さん自身も私と陣が交換されることになった元々の原因である内紛が再来することを危惧しており、昴本人の意向を知りたいと思っていたらしい。
不知火は元々中立の家であったし、彼女の嫁ぎ先の水瀬も同様。なんとか交渉してみせるわと力強く言った秋乃さんの瞳には自信が漲っていた。
後でおじさんに聞いた所、秋乃さんはおじさんよりも余程この手の交渉術に優れており、また伝手も多いのだという。そんな彼女が不知火の当主にならなかった理由はただ一つ、魔力量だ。平均的な人間よりも魔力は多いものの、それでも不知火では落ちこぼれと言われるレベルであり、それだけで当主はおじさんになったのだ。
司お兄ちゃんは次期当主と言われているものの、魔力の多さで言えば陣の方が遥かに勝っている。もし陣が本当に不知火の血を引いていたのだとしたら次期当主は陣が選ばれていただろう。
さて、秋乃さんが交渉を始めてくれたということで私の方は少し気持ちに余裕が持てるようになったが、世間はそうもいかない。
昴と前国王のDNA検査と魔力検査の結果が出て、どちらも親子であることが証明されたのだ。勿論前国王派の人間が勝手に言っているに過ぎず、それが本当に真実であるのかは分からない。けれどその知らせを受けて昴を支持する人間が増えたのは事実で、それによって各地で小競り合いも起き始めているのだ。
そして本当に大規模な内紛が起こってしまいそうなピリピリとした空気の中、まさか考えもしなかった事態が起きてしまった。
「兄様……」
「静かに」
なんでこんなことになってしまったのか。
たまたま休日に兄様と二人で出掛けていた時のことだった。最近色々と大変なことが多かったし、特に兄様は心労が酷いだろうということで二人でのんびりと街を歩いていた。
たまにはこうして息抜きも必要だろうと気を抜いていたのだが、夕方になり帰ろうとした時、薄暗い路地で突然何者かに襲われたのだ。今日一日が平和すぎて本当に油断していた。というより、私達が狙われるなんて全く思いもよらなかったのだ。
父様との修行の成果か、二人とも初撃をなんとか躱し、そして訳も分からないまま今いるこの解体寸前の廃工場へと身を潜めた。
「もしもし、父様……」
兄様が小さな声で父様に電話を掛ける間、私は先ほどのやつらが近づいてこないか気配を探る。
突然襲い掛かって来た人間は三人。そして彼らの意識は兄様に向いていたように思う。
私が襲われる理由など思いつかないけど、兄様にはその理由がある。兄様は姫様の婚約者だ。だけど姫様自身ならばともかく兄様までもが襲われるなんて考えていなかった。
「っ兄様、誰か来る!」
いくつかの気配が近づいてくるのを感じて慌てて小声で報告する。兄様は急いで父様に場所を告げて、そして電話を切ると携えていた剣を抜いた。
私も緊張しながら最近はずっと持ち歩いている剣を鞘から抜いて息を潜める。耳を澄ませば先ほどの男達が話している声が聞こえてきた。かなり近くまで来ているようだ。
「この辺だな?」
「この工場に逃げ込んだのは確かです」
「……まどろっこしいな」
「おい、何を」
その声を聞いた次の瞬間、突風が吹き荒れた。
何が起こったのは分からないまま、私の体に風で飛ばされてきた鉄板が直撃する。
「痛っ」
「そこか」
気が付くと、私達が隠れていた場所は跡形もなく吹き飛んでいるではないか。私とは違い風の魔術で一緒に吹き飛んだ兄様も壁際で痛みに呻いている。私は男達から距離を取るように急いで兄様の元へと駆け寄った。
「兄様、大丈夫?」
「ああ、これくらい何ともない」
何ともあるのはこれからだ、と言わんばかりに兄様は立ち上がって剣を構えると、襲ってきた男達を見据えた。私も同じように隙を作らないように壁を背に向け、彼らを警戒する。
父様には連絡できた。後は来るまでどうにか持ちこたえられればいい。私達は二人とも騎士科だが、攻撃してきた男達がどれほどの腕なのかもまだ把握できていないのだ。油断は禁物。
「あいつらは僕を狙ってる。ひなたは逃げ」
「逃げないからね、分かってると思うけど」
「……しょうがない妹だ」
ここで兄様を置いて逃げるくらいなら初めから騎士科になんて入っていないし、剣の練習だって放り投げている。
話していられたのはそこまでだった。三人の男達が一斉に攻撃をしてきたのだ。二人が剣を持ってこちらに斬りかかり、そして残りの一人は――多分先ほど魔術を使った人間だろう――は魔術を放とうと集中している。
剣を使う男達は然程剣の腕は無いようで、太刀筋を見切るのも容易い。最小限の動きで剣を躱しその隙を突いて足元を斬りつける。動きを止められればいいと思ったが、しかし間一髪で後退するように避けられ、掠る程度にしか当てることが出来なかった。
そして奥にいた魔術師の男が再び突風を放つ。今度は兄様のみに狙いを定めたようだった。
もう一人の男と切り結んでいた兄様は魔術が放たれるのを素早く理解すると、相手を翻弄するように上手く立ち回って敵を誘導した。すると上手い具合に発動された魔術と兄様との間に敵をおびき寄せることに成功し、味方から攻撃されるとは思ってもいなかった男は不意の一撃に何も出来ずに吹き飛んだ。兄様はこういうことが本当に上手だ。
「てめえっ!」
「邪魔だ」
味方からも罵声もものともせずに魔術師は淡々と魔術の発動を続ける。そうはさせないと私は魔術師を倒そうと駆け出そうとするが、しかしそうすると兄様へ剣を持った二人が集中してしまう。
勝つことを考えれば魔術師を早々に倒してしまった方がいいが、生き残る為ならば守りを固めるのが先決だ。速さで先手を取って倒すことが多い私には難しいがやるしかない。
私は剣を打ち合いながら兄様の傍へ移動し、お互いにフォローし合いながら隙を作らないように戦う。私達の力量を甘く見ていたのかだんだんと焦れてきた男達を見て、反撃に出ても大丈夫だろうかと考えた瞬間、私は魔術師の男が手にした物を見て即座に兄様の前に出た。
「兄様、危ない!」
私の叫びと殆ど同時に魔術師が手にした銃器で兄様を撃つ。魔力を極限まで圧縮した弾丸は兄様に到達する前に飛び出した私に当たり、そして霧散する。
危なかった。私でも少しばかり痛みを覚えるほどの威力だったのだ。もし兄様に当たっていたと思うとぞっとする。
「ひなた!」
「大丈夫!」
弾丸が直撃した私を見て動揺した兄様に力強く返事を返す。思わず隙が出来た兄様だったが、それは男達も同じだったようだ。銃の一撃を受けても無傷の私を見て三人の男に動揺が広がった。私程魔力の少ない人間など見たことがなかったのだろう。
私は一瞬止まった動きを逃さずに、目の前の男に思い切り剣を薙いだ。剣は男をしっかりと捉えてその体を切り裂いた。
男の体から、血飛沫が溢れる。
返り血が私の足元へ落ちた。
人を斬ったのは初めてだった。今まで授業でも何回も打ち合いをしたがそれは真剣では無かったし、いつかは剣で人を斬るだろうということは想像していても実際には到底及ばない。
痛みに叫ぶ男を見ながら、私は剣を取り落しそうになった。
どくどくと、まるで私の方が出血しているのではないかという程、心臓の音がはっきりと伝わってくる。
そして、動きを止めた私を放っておいてくれるはずもない。仲間が斬られた怒りからだろうか、もう一人の剣を持った男がターゲットを兄様から私に移して斬りかかってきた。
兄様は私を庇おうと前に出て剣を受け止め、そして――。
ガシャン、とどこかでガラスが割れる音が響いた。
いや、それだけではない。その音に続くように何かのエンジン音が唸り、そしてその音はどんどん大きくなっていくではないか。
何かが近づいてくる音に驚いているのは私だけではない。この場で戦っていた全員が訝しげな表情を浮かべ、その音に気を取られていた。
そしてエンジン音が更に大きくなったその時、それは現れた。
「父様!」
大型バイクに乗った父様はスピードを殺さないまま廃工場内を走り、そして魔術師の男を通りすがりに蹴り飛ばした。流石に轢くことはしなかったものの、それでもあの速さの蹴りを受けた男は数メートル先の壁に勢いよく激突した。
魔術師を目で追うこともしない父様は、そのまま他の男達を散らすように私達の前までバイクを走らせ、そしてその勢いのまま乗り捨てた。
「二人とも、無事か」
私達を後ろに追いやり背中越しにそう告げた父様。しかし私達の返事を聞く前に呆気に取られている男達に向かって剣を抜いた。
「覚悟は、いいな」
父様は背を向けていたが、その顔が普段よりもずっと恐ろしいものになっていることは、容易に想像がついた。
決着は、ほんの一瞬だった。
あっという間に私が斬った男の意識を奪うと、返す刀でもう一人の男を剣の柄で殴り倒したのだ。魔術師は先ほどの蹴りで既に気絶しており、騒がしかった工場内は元通りの静寂を取り戻している。
「父様」
「怪我はしていないようだな」
「はい……ひなたのおかげで何とか」
父様と兄様が会話をしているのを聞きながら、私は全身の力を奪われたようにその場にへたり込んだ。
右手にしっかりと握られている剣は、血が滴っている。
真剣を手に入れた時に覚悟していたはずだ。それなのに剣を握る手は震え、今にも私が人を傷付けた凶器を手放そうと力を抜きそうになっている。
だけど今剣を放してしまったら、私は再び剣を持つことが出来ない気がする。
「ひなた」
兄様と話していた父様が私を見下ろす。そしてその視線が剣まで到達すると、父様は表情を変えることなく冷淡な声で言葉を発した。
「剣が怖いか? これが剣を持つ人間だ。凶器を持ってあらゆるものを――時に同族を傷付け、そして殺すのが騎士だ。それでもお前は騎士になるのか」
「……」
「剣を捨てるのなら今の内だ、誰もお前を責めないし止めない」
「……なります」
全身に力を入れて何とか立ち上がる。震えた右手に左手を添えて決して剣を放さないように、私は立った。そして父様の目をしっかりと見つめた。
「それでも、私は、騎士になる」
剣を捨てて守れないくらいなら、剣を持って鬼になる。
しばらく目を合わせていたが、不意に父様の目尻が僅かに下がった。
「今の言葉、覚えておくぞ」
「はい」
緊張が解けてまたもや座り込みそうになる体に、私は足に力を入れる。
二人とも、よく頑張ったと父様は私と兄様の頭に手を置いた。頭に感じる人の温もりに、少しだけ泣きそうになった。




