59話 残されていた火種
高等部が始まってしばらく経ったものの、一向に昴は学校に来ていない。どうにかして会いに行きたいのだけれど、彼は今や国内でもトップクラスの重要人物と言っても過言ではなく、おいそれと会うことは出来ない。
鳴神が国王派であることも原因のひとつだろう。わざわざ敵対する派閥の人間に自分達が担ぎ上げる人間を対面させたいなんて思わないだろうから。
……もし昴が自分から会いたくないと言っていたら。そんなことが一瞬頭を過ぎる。
昴は人に頼るのは本当に下手だ。それは今まで守られてきたという負い目があるからかもしれないが、とにかく何でも一人でどうにかしようとする。どうにかできる問題も出来ない問題も、である。
とにかく昴の真意を知る為にも彼に会わなくては……そう考えながら私は演習場を出て駐車場へと足を向けていた。
「いい加減に出て行きなさい!」
そんな声を聞いたのは駐車場に到着してすぐだった。
鋭い怒声に私は声のした方向へと即座に目を向ける。最近は周りの揉め事も多いので、何かあればすぐに意識をそちらに向けるようにしている。
声を発した人間は然程遠くない場所にいた。
そこにいるのは二人の男女だ。そしてそのうちの一人は私がよく知っている人物。
二人は睨み合うように対峙し、何か口論しているようだ。いや、よく見ると違った。彼――陣は無言で、ただ相手の女性が一方的に暴言を投げかけているのだ。
不穏な雰囲気に、間に入っていいものか……と考えながらも少しずつ彼らに近付いていくと、不意に女性の纏う空気が変わった。
理由が分からずとも野生の勘とでも言うようなもので、私はその瞬間やばいと思った。本能に動かされるように先ほどまでの悩みを捨て、私は彼らの間に全速力で割り込んだ。
「っな、」
「ひなた!」
陣を守るように女性に向かい合う。ちょうど陣に向けて魔術を放った女性は突然飛び出して来た私に目を見開き、驚愕に固まってしまった。
彼女は魔術を慌てて止めようとしたようだが、流石にこの距離では私に当たる方が早い。いつものように魔力ゼロの体で受け流すと、私は魔術を放った女性を見上げた。
見覚えがある顔だ。確か初等部の兄様達の卒業式の日に声を掛けてきた女性。年頃は四十代か五十代くらいで、ゴテゴテと装飾品を付けた人。先ほどの一瞬、女性の手首が光ったことから考えると、この装飾品は恐らく魔道具なのだろう。
そしてこの女性は、確か陣の伯母さんと呼ばれていた。
「あなたは……」
「ひなた、ごめんなさい!」
どこも怪我してない!? と私の言葉を掻き消すような勢いで女性は狼狽していた。私は勿論怪我をしていないが、確かに普通の人間であったらなら死にはしないがそれなりに痛かっただろう。
けれど彼女は、それを陣に向けていたのだ。
この人がどういう理由で陣を傷付けようとしたのかは分からないが、私は警戒しながら一歩彼女から離れる。そうするとすぐ後ろにいた陣にぶつかってしまった。
ちらりと後ろを振り返れば、そこには彼らしくもない酷く困惑した表情の陣がいる。
「陣」
「ひなた、俺……」
普段の陣ならば、まず間に入って来た私に感謝でも文句でも、とにかく何かを口にする。けれど彼は私を前にして口籠り、碌に話さずにいる。
そもそも、いくら至近距離だったからといって、あの魔術を陣が防ぎもせずにただ立ち尽くしていたことがおかしいのだ。防御でも反撃でもいくらでも手立てがあったにも関わらず、陣はまるで攻撃を受け入れるかのように見ているだけだった。
密かに見た彼の手は僅かに震えている。何かあったのだ。
私は再度女性に向き直った。
「どうして陣を攻撃しようとしたんですか」
自然と声に怒気が混ざる。そんな私に、彼女はおろおろとするばかりで話にならなかった。
「ひなた、違うの」
「あなたは陣を傷付けようとした。それは間違いだと言うんですか」
「ひなた、止めろ」
彼女を追及する私に待ったを掛けたのは、彼女に傷付けられそうになっていた陣だった。
どうして、と疑問を抱く私に、彼はただ首を振るばかり。
「俺が悪いんだ。俺が全部」
「何を言って……」
「坊ちゃん、何をしていらっしゃるのです! ……あなたは、秋乃様」
「佐伯……」
訳の分からない状況へ新たに加わってきたのは、今し方到着した車から降りてきた佐伯さんだった。何が起こったのかは分からずとも何かが起こったことは察したのか、彼は訝しげに私達を見て、そして女性を見た所で視線を止めた。
彼女は陣の伯母さん、即ちおじさんの姉弟だと言っていたから彼らは知り合いなのだろう。
……あれ、でもおじさんのお姉さんだということは、それはつまり、私の伯母さんであるということか?
ぐるぐると思考を巡らせていると、ようやく落ち着いた女性は先ほど陣に暴言を放っていた時とは打って変わってしおらしい態度で「ごめんなさい」と私に謝ってきた。
「頭に血が上っていたわ。ひなた、本当にごめんなさい」
「謝るのは私ではなく陣にしてください」
「……それは」
「謝る必要なんてありません。俺は……罰を受ける必要があるから」
陣はそう言って私を前からどけると伯母さんの前に立った。
「ちょっと陣」
「俺は恨まれて当然なんだ。この人と、それに、お前から」
「え――」
「秋乃様、まさか、坊ちゃまに言ってしまわれたのですか」
「……」
後に来た佐伯さんの方が余程状況を把握しているようで、彼は無言でこくりと頷いた女性に、何とも言えない顔をしている。
私だけ何も分かっていない。話に置いてけぼりにされた私は、しかし陣の言葉に引っ掛かりを覚えた。彼は恨まれて当然だと言った。この女性と、そして私に。
陣が目の前に立っても、伯母さんは先ほどとは違い陣を攻撃することはなかった。
「ねえ……何なの、どういうことなの?」
そう問わずにはいられなかった私の言葉に三人は私を振り返り、そして一様に俯いてしまった。
誰も私の疑問には答えてくれない。そう思った時、陣が顔を上げ何かを話そうと口を開いた。
「俺は……」
「私が、全部話します」
しかし陣の言葉を言わせないとばかりに、伯母さんが決意の籠った目で私を見る。
「本当は、全部分かってたの。あなたが……陣が悪い訳じゃないって。でも行き場のない恨みを全てあなたにぶつけてしまった。佐伯、私の家に連れて行って。そこで、ひなたに全てを話します」
「……承知いたしました」
言いたいことを全て呑み込んだように、何か言いたげだった佐伯さんは結局それだけしか口にしなかった。
春休みに全ての話を聞いたのだと思っていた。それなのに未だに隠されていたことがあるなんて思いもしなかった。そして彼らの様子から、それが深刻な話であることは明らかだ。
今すぐにでも問い質してしまいそうな気持ちを押さえ、私は陣に押されるように不知火の車に乗り込むことになった。




