58話 不安
とうとう波乱の春休みも終了し、高等部に進学する日が来た。
私は中等部とはややデザインの異なった制服を身に纏い髪を結んだ後、鏡に背を向けて一呼吸する。そうして目の前に置かれている私専用の細身の両手剣を手に取った。
注文していたオーダーメイドの剣がようやく完成したのだ。
今日からはこれを装備して高校へ行く。別に規則に違反している訳ではないし、高等部からでないと所持できないということでもない。
これは、ただ私の意志だ。いつ何があるか分からない。そしてその時に立ち向かえるように真剣を持つことにしたのだ。
剣を携えてリビングへ向かうと、新聞を読んでいた父様が顔を上げた。父様は剣をしばし見つめたが、何も言うことはなかった。
行ってきます、と声を掛けると黙ってこくりと頷かれる。
少し前に衝撃の事実を知ったのだが、家族の関係は驚くほど何も変化していなかった。父様も母様も、兄様も姉様も、そして私も以前と全く変わらない態度で暮らしている。
が、家の中とは裏腹に世間は驚くほど騒ぎが広がっていた。
昴のことは日本中に瞬く間に知れ渡り、その存在の審議についても色々と話し合われているらしい。
昴は、大丈夫だろうか。陣から話を聞く限りあれから不知火家には戻ってきていないようなのだ。おじさんが対策を練っているようだがそれも芳しくはなく、私は中等部の卒業式から一度も彼の姿を直接見ていない。
そして心配なのは昴だけではない。彼が外出したあの日、りんも一緒に昴に着いて行ってしまっていたのだ。他の人間に魔物が見られたら大変なことになるし、初めて陣がりんを見た時のようにすぐさま殺されそうになってしまうのではないか。
……不安は尽きない。
昴が学校に来ていますように、と一縷の望みを託して私は家を出た。
「やっぱり来てないか」
当たり前ではあるが、ほんの少しだけ期待していたのに。
新しい教室でぽっかりと空いた前の席を見つめ、私は大きくため息を吐いた。昴が不在なことを気にしているのは私だけではない。彼のことを聞いたクラスメイト達も思惑は様々にせよ、皆昴のことを気にしている。
勿論、彼女は当然のこと。
「ひなた、今昴はどうなっているんですの……」
「分かんない」
朝一番に私を問い詰めてきたみーちゃんには、一応こっそりと粗方の事情は話した。話したものの、私だってどうしてこんなことになったのかとか、昴がどうしているのかなんて知らないのだ。只々、父様達やテレビ報道などから情報を得られるのを待つことしかできない。
行動を起こしたいのに何も出来ない現状に歯噛みする。少なくとも、テレビに映ったあの昴を見れば、今の状態が彼にとって本位ではないことは確かだ。あの昴が、自分の意志で国王になると立ち上がって姫様達と対立するなど考えられない。
だが世論では、彼はかつての内紛で王族の地位を奪われ今まで不遇の暮らしをしてきた悲劇の王子、という見方もあるという。だからこそ昴が王位に就くのに賛成する国民も出てきているのだ。
「ひなた、ちゃん」
空席を穴が開くほど見つめていたそんな時、聞き覚えのある小さな声が聞こえてきた。一瞬聞き逃しそうになったがはっと我に返り、私は慌てて廊下へ視線を向ける。
一番廊下に近い私の席でも微かにしか聞き取れなかったその声を辿った先には、目を真っ赤に張らした恭子ちゃんが力なく立っていた。
「恭子ちゃん」
急いで彼女の元へと向かうと、恭子ちゃんは不安に目を揺らしてそのまま私に縋りついてくる。
「ねえ、お願い。全部教えて! ひなたちゃんが知ってること全部! もう、訳分かんないよ……」
今までも沢山不安で泣いたのだろう。しかしそれでも恭子ちゃんの頬にはまだ涙が流れている。
「昴が王族だとか、偽物だとか、色々言われて……全然連絡も取れないし」
「恭子ちゃん……」
「しっかりなさい」
ぼろぼろと鳴く彼女に何て言葉を掛ければいいのか分からずに狼狽えていると、私を追うように教室から出てきたみーちゃんが、恭子ちゃんに静かにそう言った。
みーちゃんはハンカチを取り出すと恭子ちゃんの涙を優しく拭い、そして落ち着かせるように背中を擦る。
「ミネルバちゃん……」
「恭子ちゃん、ちょっと場所を変えよう。そこで私の知っていることは話すから」
「……うん、ありがとう」
昴は自分の事情を恭子ちゃんにばらして欲しくないようだった。みーちゃんにだってあれだけ渋ったのだ。危険なことに巻き込みたくないと考えるのは当たり前だ。
けれどここまで大規模なニュースになり、中途半端に事実を知ってしまった恭子ちゃんはもう話してしまった方がいいと思った。そうでなければきっと恭子ちゃんは自分で真相を探る為に何をしてしまうか分からないから。
学園中は昴の話で持ち切りで、誰が聞いているか分からない。私達は手頃な空き教室を見つけるとそこへ入り、みーちゃんに何とか防音の魔術を掛けてもらうことにした。私は勿論魔術は使えないし、今の不安定な恭子ちゃんに使ってもらう訳にもいかない。得意でもないが苦手でもない、というみーちゃんしか出来る人はいなかった。
私は支えていた恭子ちゃんを椅子に座らせると、彼女が落ち着くのを待ってから今までの出来事を話し始めた。
昴の生い立ち、命を狙われていたことや魔物であるりんのこと、そして中二の時の襲撃、最後に……春休みに聞いた彼に関する事実を全て恭子ちゃんに打ち明ける。
「これで、私が知ってることは全部だよ」
「……私、何も知らなかった」
そう言って言葉を終わらせると、彼女は微かに小さな声で呟いた。恭子ちゃんはもう泣いては居ない、けれどその表情は酷く寂しげだった。
「昴のことが好きだったのに、もっと知りたいと思ってたのに、私はこれっぽっちも分かってあげられてなかったんだね」
「恭子ちゃん……でも、昴も自分が王族なんて知らなかったんだ。だから隠してた訳じゃないよ」
「うん、それはそうなんだけどね。気が付いたら昴が遠くに行っちゃってて、もう帰って来ない気がして、何もかも手遅れになっちゃったなって。今回のことだけじゃなくて、もっと私は昴のこと理解することが出来たんじゃないかって、そう思ったの」
後悔ばっかりだね、と恭子ちゃんは彼女に似つかわしくない苦い笑みを浮かべた。そんな辛そうな顔、彼女にはしてほしくはない。
……昴め、今度会う時には責任を持って恭子ちゃんを笑顔にしてもらわなければ。
「昴のことを理解するのなら、これからいくらでも時間はありますわ」
みーちゃんが恭子ちゃんの目を見て言う。朝、私に詰め寄ってきたときは彼女も私も、今の恭子ちゃんのように不安でいっぱいになっていた。けれどこんな風に壊れそうな彼女を前にして、私と同じく腹が決まったのだろう。いつものような強気な表情に戻っている。
「でも、昴はもう……」
「帰って来るよ。お願い、あいつを待っててあげて。昴は必ず恭子ちゃんの元に戻って来る。だから……信じてあげて」
だが、恭子ちゃんを慰めるのは私達の役目ではない。昴には絶対に戻ってきてもらわないと困るのだ。
何より、あのバカな男を信じてやることが、今の私達に唯一出来ること。
世間は動き始めている。おじさんが言ったように、今回の王位の奪い合いに以前の時のような沢山の犠牲が出るかもしれない。
そんなことあいつが望んでいるはずがない。だからこそ昴は必ずここに戻って来るし、それが出来ないのであれば私達がどうにかしてみせる。
昴のことを想っている人はやつが思っているよりもずっと沢山いるんだから。
「あんな馬鹿な男、次に会ったらぶっ飛ばしてやればいいのです!」
想像の昴に思い切り拳を振りかぶったみーちゃんに恭子ちゃんは、本当に少しだけ笑った。




