55話 二人の私達
しばらく続いた沈黙の後、いつの間にか陣も私をしっかりと抱きしめていたことに気が付いた。慰めるような優しいものではなく、まるで彼もまた私に縋るように、放さないとばかりの強い力だ。
陣も私と一緒で、本当は不安でどうしようもないんだ。
当たり前だ。いつも冷静に振る舞っているけれど、あんなことを言われて動揺していないはずがない。
そう思うと私ばかり泣いていられないと思えてくる。
「陣……」
収まってきた涙を拭い、正常な視界に俯いた陣を捉える。
「あの――」
こんこん、と私の言葉を止めるように再びドアがノックされた。突然のことに、思わず二人してびくりと飛び上がるように驚いてしまう。私は陣から離れると、もう一度目を擦ってから返事をした。
一体誰だろう。兄様でも姉様でもどう顔を合わせていいのか分からない。
そう思った私の不安を和らげるように、開かれた扉の先に居たのは泣き腫らした私を痛ましげに見る佐伯さんだった。
「ご家族よりも、今は部外者の私の方がいいかと思いまして」
「……気を遣わせてしまってすみません」
「いえ、混乱なさるのは当然のことです。何せ事情が事情ですから」
「佐伯は、勿論知ってたんだよな」
「……はい。今まで黙っていて申し訳ありません」
佐伯さんはそう言って静かに頭を下げた。佐伯さんが謝ることじゃないのに。
「当主様より伝言です。十分に落ち着いたら詳しい話をするから戻って来い、と」
「そう、ですか」
「時間はいくらでもありますから、焦らなくても大丈夫ですよ。それとも、もう行きますか?」
そう尋ねられ、私は答えに窮した。どうして、と尋ねたいことは山ほどあるし、いつまでもこうしていられないということも理解している。
けれど、今はまだ皆の顔を見られる自信がなかった。もしここに来たのが佐伯さん以外の誰かだったら、私は今頃逃げ出していたことだろう。
「……まだ、会いに行く勇気がないです」
真実を知った私を、父様は母様は、兄様は姉様はどんな表情で見るのだと考えると怖くて仕方がなかった。
そう言った私に佐伯さんは「分かりました」と応え、そして更に言葉を付け加える。
「でしたら、ちょっと私に付き合ってもらえませんか?」
彼はそう言って、未だに半ば放心状態だった私と無言の陣を部屋から連れ出した。
佐伯さんの背を追って廊下を進みながらも、私は酷く神経を尖らせていた。もし途中で誰かに鉢合わせたらどうしよう、と思い必死で気配を探っていたのだ。
陣は先ほどよりも落ち着いたのか、感情の見えない顔で黙々と私の隣を歩いている。佐伯さんに質問も文句も言わない所を見ると、陣もまだ戻りたくないのだろうと思う。
そうして連れて来られたのは、今まで訪れたことのない部屋だった。
「ここは……?」
佐伯さんがゆっくりと重厚な扉を開く。そこは書斎で、まるで社長室のような高級そうな椅子と机が鎮座していた。
「父さんの書斎に何の用なんだ」
「いいから、見てて下さい」
首を傾げた陣をやんわりと制すると、彼は壁に埋め込まれた本棚へと近づく。魔術の専門書が数多く並んでいるその中から一冊の本を手に取ろうとした、その瞬間だった。
ガコン、と重い音がした。
するとどうだろう、ウィーンと音を立ててまるで漫画のように本棚が横にスライドし、その奥に扉が現れたではないか!
……えええ、現実でこんなもの作る人が本当にいるとは……。
「当主様自ら設計された隠し部屋です。どうぞこちらへ」
「はあ……」
おじさん、ホントに遊び過ぎだ。いつの間にか家に隠し部屋が出来ていたことに、陣は驚くやら呆れるやら、「あのアホ親父……」とため息を吐いている。
……よく考えれば、私の本当の父親もおじさんなんだよなあ。先ほどはショックで考えられなかったが、なんだか今は冷静になってそう思い、そして隣の相棒と共に頭を抱えた。
何故か自動式の扉を潜り抜けて恐る恐る部屋に踏み入ると、まず目に入ったのは正面にある巨大なスクリーンだった。そしてそのインパクトには劣るものの、左右を見てみれば大量のDVDらしきディスクが棚に綺麗に整列している。
どうやらシアタールームのようだ。本当に不知火家は設計や内装にお金を掛けている。
しかし、どうしてこんな場所に連れて来たのだろうか。そう思っていると、ふっと部屋が薄暗くなりそして逆に巨大スクリーンが明るくなった。どうやら佐伯さんが操作しているらしい。
思わずスクリーンを注視していると映像が映り始める。そしてそこに映し出されたのは、とても懐かしい初等部の入学式だった。
「私……」
スクリーンの中を動く私は小さく、そして出会ったばかりだと思われる陣も今よりもずっと幼く、おじさんの袖を掴んで俯いている。
隣にいる本人と見比べると、以前の方が可愛かったけど、今の方がかっこよかった。じぃ、と見ていると陣もまた私と映像を比較しているようだった。
しかし、ここでふと疑問が湧いた。
おじさんの全体が映っているということは、これは誰が撮影したものだ? 確かあの時は司お兄ちゃんも佐伯さんも居なかったはずなのに。
訝しんだ私に答えを与えるように、目を細めて映像を見ていた佐伯さんが口を開く。
「この映像は鳴神家から頂いたものです」
「え?」
「昔からお二方の成長記録を交換し合っていたんですよ、当主様方は。この部屋もその為に作られ、時々司様も一緒に御覧になっております。……聞くところによると、鳴神のご夫妻も毎晩寝る前に必ずお二人の姿を御覧になるのが日課だとか」
「えええ!?」
そんなこと、これっぽっちも知らなかった。
そういえば母様はよく撮影している割にあまり撮った物を見ている所は見ないな、と思ったことはある。しかし陣の物と合わせて毎晩見ていたとは……というか、母様はともかく、あの父様がそんなことをしていたことに驚きすぎて現実逃避しそうになった。
陣は陣で、毎日別の家で自分の姿を見られていたことや、ましてこんな巨大スクリーンで自分の成長記録を父親と兄に見られていたことに耐えられなくなったのか、呻きながら座り込んでいる。
そんな私達の様子を微笑ましげに眺めていた佐伯さんは、不意に真剣な表情になる。
「……たとえお二方が入れ替わろうと、当主様方は一日たりとも忘れたことなどありません。先ほどひなた様がいらっしゃった部屋も、本当にあなたの為に作られたものなのです」
勿論掃除を欠かしたこともありませんよ。と少々おどけて言われる。
この家は広いし、しかも家事をこなすのは佐伯さんしかいない。埃だらけや物置になっている部屋もいくつか見たことはあるが、今日だってあの部屋は綺麗だった。
そっか、私の為だったのか……。
恥ずかしさから復活した陣も佐伯さんの話をしっかりと聞き、そしてそれから私の方を見た。
いつの間にか、この部屋に入る前のような混乱も苦しみも落ち着いていたのに気付く。
「お二人を預ける時に、鳴神のご夫妻、当主様、そして奥方様の四人で約束いたしました。『ひなたと陣は四人の子供だ』と、どちらも鳴神であり不知火である、とそうおっしゃっていましたよ」
だって、今までこんなに大切に育てられて来たんだから。
「鳴神で、不知火」
どっちも、本当の私、なのか。
先ほどまで、鳴神ではなくなってしまったのだと思っていた。もう本当の家族にはなれないのだと。けれど、違う。家族が増えただけなんだ。
陣と目を合わせる。同じ境遇の私達だが、こうして名字も一緒になってしまった。
私達のどちらにも、あの部屋に居た時のような悲壮な感情はない。
しばらく見つめ合った後、私は彼に向かってへらりと笑う。
「私、不知火ひなた。もう一人の私も、よろしくね」
「鳴神陣。そっちこそ覚えておけよ」
ノリの良い片割れは、そう言って私の額にデコピンを食らせた。




