54話 鳴神と不知火
進級試験も終わり、麗らかな春休みを迎えていた本日。私は家族と共に不知火さん家に出掛けていた。
先日成人式も無事に終了し、もうお酒も飲める年齢になってしまった。しかしながら私の場合前世のこともあり、なんとなく抵抗があるのでしばらくは飲む気はない。
「こんにちはー」
「皆様、本日はお越しくださいましてありがとうございます」
インターホンを鳴らすと、まず出てきたのは佐伯さんだ。アルカイックスマイルを見せそう挨拶した彼は端に移動して私達に入るように促す。
実を言うと、なんで今日ここに来ているのかというのは分かっていない。無事に進級が決まったその日の夜に、唐突に父様が今日不知火家に行くから予定を空けておけと言ったのだ。
不知火家に遊びに来たことは何度もあるが、こうして家族全員で訪れたのは初めてのことだ。姉様と兄様は初めて来たようで「広いね」と感心したように見回している。
父様は相変わらずだが、しかし母様は今日あまり元気がないように見える。体調でも良くないのだろうか。
「やっほー、陣」
リビングに到着するとそこには不知火家が勢揃いしていた。一番近くにいた陣に声を掛けると、彼はちらりとこちらを見た後にこくりと一度頷くと父様達に挨拶した。
けれど、本当に今日はなんで皆で集まっているのだろう。私と陣の成人のお祝いだったりするのだろうか。
そういえば、居候しているはずの昴がいない。
「陣、昴は?」
「学校に呼び出されてたぞ。始業式の学科主席の挨拶がどうのって。俺も昨日そうだったし」
「あー、成程」
卒業試験も難なく一位を掻っ攫って行った昴なのでそういうこともしなければいけないのか。ちょっと二位で良かったと思ってしまった。
おじさんや司お兄ちゃんにも挨拶をして一息着いた所で、佐伯さんが紅茶を運んでくる。お礼を言って受け取るのだが、何だか皆の様子が変だ。
全員、円状になるようにソファーに腰掛けているのだが、彼らの表情は硬くそして所作もぎこちない。緊張するような間柄でもないのに、一体どうしたんだろうか。
唯一いつもと変わらない陣に、私はこっそりと耳打ちした。
「ねえ、今日なんで集まったのか知ってる?」
「いや、お前こそ知らないのか」
彼の方も私が知っていると思っていたのか訝しげに眉を顰める。皆の様子から考えて、お祝いのような明るい話ではないことは確かだ。
おじさんは紅茶を一口飲むと、ティーカップをテーブルへと戻した。何か話が始まりそうな雰囲気に、私は慌てて熱くて一口も味わえていない紅茶を置く。
「まずは二人とも、成人おめでとう」
「ありがとうございます」
「……」
「今日ここに来てもらったのは、大事な話があるからなんだ」
おじさんはそう切り出すと一旦居住まいを直し、しっかりと私達を見据える。周りの皆も緊張した面持ちで私達を窺っているのが分かった。
私と陣は一瞬顔を見合わせ、そしてドキドキしながらおじさんに向き直る。
「いいか、落ち着いて聞くんだ」
何を言われるのか、鼓動が早くなるのを感じながら思わず息を呑む。おじさんもまた緊張しているのかじれったい程の勿体ぶった沈黙がリビング内に充満する。
そうしてふとした時、おじさんは私に目を合わせた。
「ひなた、お前は本当は不知火の人間だ。司の妹で私の……娘だ」
「――え?」
なにを、いってるの?
おじさんが発した言葉の意味が一瞬分からなかった。
私が、不知火って、どういう――。
「そして陣、お前は本当は鳴神家の人間だった。ひなたとお前は生まれた時に交換された」
「……」
私から視線を外したおじさんは、今度は陣に目を合わせてそう言った。そして陣は目を見開いたまま一言も発することなく固まっていた。呼吸すらしていないのではないか、というほど彼は微動だにしない。
意味が分からない。
私と陣が交換された? 私は不知火の人間で、鳴神家に生まれたのは陣だった?
混乱したまま思わず他の人の反応を窺ったものの、皆ただただ黙って私達をじっと見ている。その表情には私達のような驚愕の色はない。
「皆、知ってたの……? 姉様も、兄様も」
「……うん。昔、ひなたを置いて二、三日出掛けたことがあっただろう。あの時は遠くのおじい様の葬式だったんだ。その時に親戚の人が話してるのを聞いて……」
「そう、なんだ」
そういえば私、この世界に生まれてから親戚の人に会ったことなんてなかった。普通はおかしいと思うはずなのに、異世界に翻弄されてそんなこと考えもしなかったのだ。
「司、お兄ちゃんも、知ってたの」
「ああ……お前が生まれた時俺は五歳だったから、よく覚えている」
気遣わしげにこちらを見やる司お兄ちゃんの視線から逃れるように、私は俯いた。
ぐるぐると目が回りそうで、頭がパンクしそうで、どうにかなってしまいそうだ。
「……ごめん、ちょっと一人にして」
「ひなたっ!」
母様の言葉を遮って、私は勢いよくリビングを飛び出した。長い廊下を走る後ろでガタガタという音と呼び止めるような声が聞こえる。多分陣も逃げ出したのだと、なんとなく分かった。
「……」
何度か遊びに来ている不知火家ともいえど、ここはかなり広く私が把握している場所など少ない。リビング、キッチン、ダイニング、陣の部屋、地下修練場、そして……以前に泊まったこの部屋だった。
他の場所だと誰か来そうだと思い辿り着いたのがここだった。扉を開けるとそこには以前のようにどピンクが……あるにはあるが、前よりも落ち着いており、他にも暖色系の色が新たに追加されている。
私は勝手に部屋へ入りベッドに転がる。暖かいお日様の匂いのする布団に俯せで顔を埋め、現実逃避したいと思いながらも先ほどのおじさんの言葉を思い出す。
「私は、鳴神じゃない……」
今までの自分は何だったのか。これまでの人生は全て間違いだったのか。
兄様と姉様が私に甘かったのは、他人だと遠慮されていたから? ……いやそんなの違うのは知っている。だって彼らは物心ついた時から私に甘かったから。
司お兄ちゃんが優しかったのは、私が妹だったから? 妹でなければ見向きもされていなかった?
私が家族の誰にも似ていないのは、私が血を引いていなかったからだ。以前からずっと思っていたではないか、陣は父様に似ていると。
私は、おじさんに似ているのだろうか。……分からない。
今彼らの顔を思い出したくなかった。思い浮かべれば色んな疑問や疑惑が次々と頭の中を埋め尽くしてしまう。
気が付くと、私はぼろぼろと涙を流していた。何で泣いているのかも分からない。悲しいのか、苦しいのか、様々な感情がせめぎ合ってぐちゃぐちゃになっている。
“私”を全部否定されたみたい。
不意にこんこん、と嗚咽に紛れて硬質な音が部屋に響いた。一拍遅れてそれがノックの音だということに気が付く。
「俺だ」
彼はそれだけ言って、私の了承も得ずに扉を開けた。涙で潤んだ視界から見た陣は、何とも言えない複雑な表情を浮かべている。彼が怒り以外の感情を表情に表すことは殆どないのに。
彼が来ても涙が止まることはなく、私はしゃくり上げながらベッドから体を起こした。
「……ひなた」
陣はそのままずかずかと部屋へ入っていると、私の隣に腰掛ける。必死に泣き止もうとしているのに、爆発した感情を抑えることも出来ず、子供の癇癪のようにひたすら泣き続けてしまう。
と、突如体のバランスが崩れた。私の体は横に倒れ込むように傾き、そして陣に受け止められる。引っ張られたんだとぼんやりと理解した。
普段だったらとてもこんな体勢じゃあいられない。緊張してすぐに離れてしまっているだろう。けれど今の私は陣の体温に縋るようにそのまま彼の体に手を回した。陣も、それを拒むことは無い。
「……私、本当は鳴神ひなたじゃ、ないんだって」
「……ああ」
「取り換えっこされたんだって」
「……ああ」
茫然と口にした言葉に、陣は文句も言わずに相槌を打ってくれる。いつもはそっけない癖にこんな時ばかり優しい。
陣だって私と同じ立場なのに、私ばっかり彼に頼ってしまっていた。
陣の優しさに少し収まっていた涙がまた溢れてくる。
私はそれから何も言うことなく、ただ陣に縋りついて泣くことしかできなかった。




