53話 言えない言葉
中等部の卒業も迫ったある日のこと、不意に昴が口を開いた。
「なあ、遊園地行かねえ?」
「は?」
「いきなりどうしたんですの?」
唐突は発言に私とみーちゃんはぽかんと昴を見上げる。
「いやさ、何か昨日の夜突然、不知火さんが『次の日曜日に遊園地に行こう』って言い出して、友達に声掛けとけっていうから」
「おじさんはまたよく分かんないことを……」
急な話である。今日は金曜日なのでぎりぎりすぎるし、第一その一週間ほど後には卒業式という名の進級試験が待ち構えているというのに。
というか前に陣の家に泊まった時も遊園地に連れて行ってくれたし、おじさんが遊園地が好きなのか? 以前の記憶を思い返してみれば結構楽しんでいたようだし。
「遊園地ってどんな所ですの?」
「みーちゃん行ったことがないの?」
「ええ……」
海外にも遊園地はあると思うのだが、日本のものに行ったことがないということだろうか。
私が色々と自分なりに説明を重ねると、分かったのか分かっていないのかみーちゃんはなんとなく頷いた。
「面白そうですわね」
「二人とも日曜日は大丈夫か?」
「……大丈夫、かな?」
まあたまには息抜きも悪くないだろう。テストの度に毎回一度は思うことを今回もまた考えた。
私はスケジュール帳に、大きな字で『皆で遊園地』としっかりと記入したのだった。
さて、日曜日になり遊園地へと足を運んでいるのだが、この場に不知火のおじさんの姿はなかった。おじさんが言いだしっぺだったので来ないことなど到底想像もしていない。
チケット売り場の前の広場に集まる面々は、私、陣、昴、みーちゃん、藤原君、恭子ちゃん、そして……何故か父様だった。
朝出かけようとして運転席に父様が居た時は思わず、えええ!? と大声を上げてしまった。聞くところによると予め不知火のおじさんに頼まれていたのだという。
「お、おはようございます」
「こ、この人がひなたちゃんのお父さん……」
皆の驚きやら恐れやらが伝わってきてちょっと申し訳ない気持ちになる。陣以外は父様の姿を実際に見たことがある人はいないので、年を重ねても衰えないどころかますます鋭くなる眼光に自然と距離を取られてしまう。
父様と私側にいるのは陣だけだ。
「と、とりあえずチケットも買ったし入ろうか!」
私は固まった皆に必死に元気を振りまいて、入場ゲートへと先導する。
ああ、これから一日が思いやられる……。
しかし予想外なことに、私の心配は杞憂だったかもしれない。
遊園地に一歩足を踏み入れれば、アトラクションや着ぐるみのキャラクターなどに気を取られて父様への恐怖は薄れていく。遊園地が初めてだというみーちゃんは目を輝かせてふらふらとどこかへ行きそうになっており、そのみーちゃんが迷子にならないように藤原君は彼女の腕をしっかりと捕獲している。まんま子供と保護者だ。
最初は何に乗ろうかーと話をしながら進む。するとふと、通り道にゴーカートのコースを見つけて懐かしい気持ちになった。
「陣ってさ、昔ゴーカート好きだったよね」
「煩い」
「いいじゃん、私は今もジェットコースター好きだよ」
「……乗らないからな」
「はいはい」
ジェットコースターはともかくゴーカートは乗らないのか、と尋ねたのだが「乗らない」とそっけなく返された。あれから大分時間が経っているし、中学生でゴーカートはちょっと子供っぽいのかもしれない。
しかし陣君とは違い恭子ちゃんは相変わらずのようで「ねえねえコーヒーカップ乗らない?」と昴に誘いを掛けていた。昴、いくら彼女のお願いと言っても、それは悪魔の要求だぞ。
あの何の変哲もないコーヒーカップがどのような挙動をするのか全く分かっていない昴は恭子ちゃんの言葉に素直に頷いており、まずは乗りたい人だけコーヒーカップに乗ることになった。
以前に行ったことのある私達は即座にベンチへと逃げるが、メルヘンな見た目のアトラクションに興味を引かれたみーちゃんは「わたくしも、乗ってみたいですわ」と少し恥ずかしそうに言った。
流石に恋人同士の間に入るような無粋な真似はせず、みーちゃんは先ほどから繋がれていた腕を逆に掴み返して藤原君を引き摺って行ってしまった。
彼は以前のトラウマが蘇って来たのか「止めろおおお」と処刑現場にでも連れていかれる囚人のように叫びながらアトラクションの中へと入っていく。
安全地帯から彼らの様子を見守っていた私達だが、案の定すぐさま恭子ちゃん達のカップから視線を外してみーちゃん達を眺めることに徹した。外から見ていても恐ろしい視覚の暴力だ。
彼らと対極に、みーちゃん達のカップは外側の回転に合わせるようにゆっくりと回っている。そうだよ、これが普通なんだと今更実感した。藤原君も同じようにゆっくりと回転するカップに驚きながら挙動不審になっている。あれが最初だったから恐ろしいものとしてしっかりと心に刻まれていたのだろう。
「……なんだ、こんなものだったのか」
降りてきた藤原君は第一声にそう零した。トラウマを克服できたようで何よりだ。
「みーちゃんはどうだった?」
「周りの景色が見回せて楽しかったですわ。何であなた達は乗らなかったんですの?」
それはね、藤原君と同じ理由だと思うよ。
一方、遅れて私達の元へとやってきた二人は、意外にも二人ともしっかりとした足取りだった。
「あー、楽しかった!」
「まあ楽しくはあったが、ちょっと酔ったな」
酔ったとは言いつつもいつもと何も変化がなさそうな昴。どうやらかなり三半規管が強い人間だったようだ。相性が良いようでよかったよかった。
それからはジェットコースター、メリーゴーランド、シューティングゲームやお化け屋敷など、以前乗った物も乗らなかった物も様々なアトラクションを楽しんだ。
メリーゴーランドでは恥ずかしがったみーちゃんに引っ張られて私も一緒に乗ったり、シューティングゲームでは陣が昴に対抗心をメラメラと燃やしていたり(結果は彼の名誉の為に聞かないでほしい)、はたまたお化け屋敷では相変わらず怖いものが苦手な恭子ちゃんが昴の服を掴みすぎた所為で、出てきた時には彼の服がびっくりするほど伸びていたりと久しぶりに勉強も剣の練習も忘れてはしゃいでしまった。
ちなみに意外に今日が殆ど初対面と言ってよかったみーちゃんと恭子ちゃんも、随分仲良くなったようだった。二人席のアトラクションに一緒に乗ろう、と言っている所を見て、なんだかちょっとこちらが疎外感を覚えてしまった。
父様はというと、終始無言で皆のことを見守っていた。お昼になる頃には皆父様の顔に慣れたのか、空気が凍りつくこともなく和やかな雰囲気が広がっている。
そして以前もそうだったように、ラストはやはり観覧車である。
全員は乗れないのでじゃんけんで二手に分かれて乗り込むことになったのだが……私が一緒になったのは、父様と昴だった。
「……花がない」
「ああ、花がないな」
私の言葉に合わせるようにした言った昴には鉄拳をお見舞いする。私はいいけどお前は言うな。
花がないのは勿論だが、何より陣と同じグループになれなかったことにちょっと落ち込んだ。二人でないにしろ、す、好きな人と一緒に観覧車に乗って見たいと思うのは当然だと思う。
先に乗り込んだ四人を見送った後、私達も次のゴンドラへ乗る。前に乗った時は確か海が見えたはずだ。私はわくわくしながら窓の外に釘付けになった。
少しずつ高度が上昇していくのを見ていると、沈黙に包まれていたゴンドラの中で急に昴が口を開いた。
「鳴神さん、聞きたいことがあります」
「何だ?」
「今日あなたがここに同行したのは、俺のことを不知火さんから聞いたからですね?」
昴の声に、私は窓の外に向けていた視線を彼らに移す。
父様はしばらく微動だにしなかったが、正面に座る昴をしっかりと鋭い目で見つめ頷いた。
「何故そう思った」
「今日一日、あなたは常に何かを警戒していた。そもそも身を守る為に不知火にお世話になっているっていうのに何の監視もなく外に出られること自体が最初から疑問でした。不知火さんは俺が一人で出掛ける時はいつも誰かを付けてくれていましたから」
「……そうだな、確かにあいつから事情は聞いている。悪かったな、勝手に話を聞いて」
「いえ。助けて頂いていますし、それはいいのですが……」
昴は顔を上げて父様を見ると、意を決したかのように言葉を放つ。
「……どうして、そこまでして下さるんですか」
「昴?」
「あなたや不知火さんから見れば、俺は子供の友人というだけの赤の他人だ。そんな人達がどうして俺を助けてくれるんですか」
酷く真剣な目で父様にそう問いかけた昴。私からすれば昴を助けるのは当然のことだ。けれど父様や不知火のおじさんは違う。
彼の言葉には言外に「ただの善意であるはずがない」と言っているようにも思えた。
父様は視線を外すことなく、そして表情もぴくりとも動かすことなく答える。
「理由は言えん」
やはり善意だけの理由ではないらしい。けれど昴を助ける理由が別にあるのだとしたら、そもそも父様は……。
「父様、もしかして昴が襲われる理由、分かってるの……?」
「……」
沈黙は肯定とはよく言ったものだ。
長年一緒に暮らしてきたのだから分かる、父様は嘘や誤魔化しが滅茶苦茶下手だ。真面目過ぎる性格からか話術が全く備わっていないのだ。反対に不知火のおじさんは口が上手く、きっと同じ質問をしてもさらりと躱していたことだろう。
しかしだからこそ、父様に聞いたことで真実が見えてきた。
「教えて下さい、お願いします! このまま何も知らないままなんて嫌なんです」
「……悪いが、私一人の判断で口に出来るものではない」
「そんな……!」
なおも食い下がったもののにべもない返答しか返らず、昴は愕然と項垂れる。
父様一人の判断では言えないって、事態はそこまで大きなものになっているのか。そもそもあんな風に絶対的なセキュリティを誇る学園に侵入してくるような輩なのだ。昴の問題は、それこそ国家レベルの問題なのかもしれない。
「知らない方がいいこともある」
「……俺が知らない方が都合のいいこともある、の間違いではないんですか」
空気がピリピリしており、本当に怪我してしまいそうな程鋭い雰囲気がゴンドラ内に充満している。昔観覧車に乗った時は本当に楽しかったのに。
早く一周しろ、と私はただそれだけを思った。
そのまま痛い沈黙が続き、ようやくあと四分の一という所で再度昴が顔を上げた。
「助けて頂いているのは本当に感謝しています。ひなたの親であるあなたと、陣の親である不知火さんのことは信じたい。……俺が知らないでいることが、本当に良いことですね?」
「……ああ」
「分かりました。もう、聞きません」
父様の言葉を一応信じることにしたのか、昴は完全ではないにしろ、少しだけ吹っ切れたような顔をした。
そうして重い重い空気の中、ようやく観覧車は一回転を終えたのだった。
厳密に言うと、中等部の卒業式はない。
ただ高等部に上がる為の試験とその合否を発表し、送り出されるだけだ。
「なんでこのタイミングで大臣が更迭されるんだよ、ふざけんなあ!」
試験日の前日、私は新聞とネットを駆使して最新の情報を集めていた。時事問題は結構配点が高いというのに、なんでこの時期に代わるんだ。もっと受験生に優しい政治家になってほしいものである。剣を振る時間もない。
高等部も勿論最初から成績順なので、少しも気を抜いてはいられない。
あー、もう駄目だー、無理だー、とぶつぶつ呟きながらもノートにひたすら重要そうな最近の出来事を書き出していく。
結局その日は一睡もすることなく、私はそのまま試験に臨むのだった。
中等部も、もう終わりを迎えてしまう。
一応これで中等部編は終了といたします。




