52話 恋する乙女の定番
あの時の宣言通りみーちゃんは後期初日の今日、一組に堂々と登校してきた。前期は二組の真ん中くらいだった彼女だが、新しく張り出されたクラス名簿ではなんと一組十番であった。基本的に代わり映えしなかったクラスメイトの中で一気に上位に躍り出た彼女に誰もが驚いた顔をしている。
ちなみに私と昴の順位は相変わらず変わらない。ちょっとは座学の成績も上がったと思うのだが、それは昴も同じだったようだ。
「約束通り、あなた達が隠していることを聞きに来ましたわ!」
ばん、と私の机に手を着いて、みーちゃんは意気込んでそう言う。
……前もそう言っていたけど隠していることって、多分昴のことだよね? 退院した昴が怪我の原因を誤魔化した時も、ものすごい疑いの眼差しを向けていたし。
だが、この事項に関しては私からは話すことができない。何より昴の命と人生に関わることなのだから。
そう思い前の席に座っている昴に目を向けた。すると彼はみーちゃんを見ながら複雑そうな表情をした。元々私と陣を巻き込んだことですら彼の想定外だったのだ。そこに新たにみーちゃんを巻き込むことに苦悩していた。以前の彼だったら決して口に出すことはなかっただろうが、現在の昴は非常に悩んでいる。
「あなた達が厄介なことに巻き込まれていることなんて分かっています。わたくしだって足手纏いになったりしませんわ!」
その為に一組まで上がって来たのですから! と真摯な態度で訴えるみーちゃんに、昴は目を見開いた。そうして何故だか頼るような目でこちらを見てきた昴に、私は首を振る。
「ちゃんと自分で決めなきゃ駄目だよ」
「……そうだよな」
分かってるんだけど、と悩みながらも呟いた彼はそれから少しの間黙り込んだ。みーちゃんはというと、ただ我慢強く昴の返事を待っている。
二人の様子を交互に見ていたが、気が付くと随分と時間が経っていた。もうすぐ予鈴が鳴るなと考えていると、俯いていた昴がようやく顔を上げてみーちゃんを見る。
「……放課後、準備室で」
絞り出すように紡ぎだされた言葉は肯定を意味していた。
「本当に聞くんだよな」
「当たり前です。覚悟は出来てますわ」
放課後。いつものように――前期は殆ど集まっていなかったけれど――理科準備室へと足を運んだ私達。一度決めたのに未だに言うのを渋っている昴に、みーちゃんが男らしくそう言った。
私は昴の肩にぽん、と手を置く。
「ひなた……」
「昴、言ったでしょ。もう一人になれないって」
もう気持ちを決めているのなら、私はその背中を思い切り押すだけだ。そう言って笑うと、昴も釣られたように僅かに笑みを浮かべる。
そうしてみーちゃんに向き合った彼は、ようやく落ち着いたように口を開いた。
「実は――」
「許せない」
全てを話し終えた時、みーちゃんは最初にそう呟いて俯きながら震えていた。
今までの昴の人生を思えばそう思うのも無理はない。意味も分からずに命を狙われて、母親まで殺されたのだから。
しかしみーちゃんは俯いた姿勢から勢いよく立ち上がり、つかつかと昴の横まで来ると
「……そんなに大変だったのに今までわたくしに隠していたなんて!」
と怒鳴りながら思い切り彼を殴り飛ばした。以前よりもパワーアップしてるな、みーちゃん。
「今後は二度とわたくしをのけ者にしないと誓いなさい!」
「痛て……分かったよ」
「ひなた、あなたもですわ!」
「え? あ、はい。誓います」
みーちゃんの勢いに押されるように思わず頷く。彼女は腕を組み鼻を鳴らして、私達の返答に満足そうにしていた。
そんな感じで始まった三年後期なのだが、二年の時と比べて心身共に非常に平和な日々が続いた。
去年は取り巻きになろうと群がられたり、陣への気持ちを自覚して大混乱に陥ったり、はたまた昴の件で戦ったりと大変だった。
最近あった出来事といえば、理科準備室に居座りまくっていたことが先生にばれて怒られたことや、昴がとうとう佐伯さんによる食べ物テロに当たったことくらいだ。
「げはっ」
彼が死にそうな呻き声を上げたのは、楽しみに最後に取っておいたから揚げを口にした時のことだった。後から聞いた所滅茶苦茶辛かったとのことで、口直しに私とみーちゃんのお弁当をつまみ食いしてみーちゃんに怒られた。
「せっかくおばあ様が作って下さった煮物を取るなんて!」
「まあまあ、みーちゃん落ち着きなよ」
私はというと、食べ物テロの恐ろしさを実際に体感しているので逆に昴に同情する。見た目がまともなのが始末に負えないんだよ……。佐伯さん、味覚音痴なのかな? でも基本的には美味しいし。
陣も今頃から揚げに大当たりしている頃だろうか。
「お弁当かあ……」
佐伯さんの普段のご飯には到底敵わないけれど、作ったら陣は食べてくれるだろうか。
みーちゃんに説教されている昴を眺めながらそんなことを思う。手作り弁当なんて定番中の定番だが、一度くらいやってみたい気がする。
「ねえ昴、陣にお弁当作ったら食べてくれるかな? 聞いてみてくれない?」
「自分、で……聞けば、いいだろ……」
お世話になっている後ろめたさからか、劇物だと分かっている残りのから揚げを口に入れた昴は、苦しげにそう言う。
いいじゃん、私とは違って毎日顔を合わせているんだから。それに陣を目の前にして聞くには中々勇気がいるのだ。私はどうしようかと考えて、昴に残りのお弁当を差し出した。
「代わりにこれあげるからさ」
「聞いたらすぐにメールする」
掌の返し様がすごい。昴は高速で私のお弁当を受け取るとがつがつと食べ始めた。
その日、私が家に帰るのと同時メールが届く。迎えの車に乗ってからずっと片手に持っていた携帯電話をすぐさま起動させると、そこには予想通り昴からのメールが届いていた。
『別に。だとさ』
陣らしい返答に思わず笑みが零れる。別にってことは食べてくれるってことか。
ふと思うのだが、陣って「別に」って言えばなんでも伝わると思ってないか?
明日作るから伝えておいて、とメールを返すと、私は明日のお弁当を自分で作ると母様に伝えに行った。
次の日の早朝、家の外周を走り終えた私はカメラ片手に意味深な笑みを浮かべる母様に見守られながらお弁当作りを開始した。そんな映像に残すほどの腕前ではないので止めてほしい。
メニューは定番を重視した。あまり甘めにしないようにした卵焼きにサラダなど、とにかく絵に描いたようなお弁当を目指す。母様が作ろうと思ったのかから揚げの材料もあったので、昨日のこともあり入れることにした。
ドキドキしながら駐車場で二人の到着を待っていると、いつもの時間に黒塗りの車が門から入ってきた。大人しくエンジンが止まるのを見守って駆け寄るとまず佐伯さんが出てくる。いつ見ても若々しい人だ。私が小二の時に四十って言っていたから、今は……五十手前に来ているはずだ。恐ろしい。
「ひなた様、おはようごさいます」
「佐伯さんおはようございます!」
彼は私に挨拶をしながら車の後方のドアを開ける。すると元気そうな昴と欠伸を噛み殺した陣の姿が目に入ってきた。
「よー、ひなた」
「……おはよ」
挨拶して来る二人に言葉を返しながら、私はいそいそと鞄からお弁当を取り出す。一人分の弁当といえど、作り慣れていない上に成長期の男子の物なのでかなりの時間が掛かってしまった。
「陣、あのこれ……」
今気付いたのだが、昴も居るっていうのに陣だけに渡すって相当恥ずかしい事ではないか?
朝早くの駐車場なので他にあまり人が居ないのがせめてもの救いか。
ちらりと陣を見上げると彼は黙って差し出したお弁当を見て、それから一度視線を外して私の方を見た。
「え、あ」
「……さんきゅ」
ばっちりと目が合ってしまい、途端に顔が熱くなる。
ああ、やばい。言葉で言い表せないけど色々とやばい。
無事にお弁当を渡し終えて我に返ると、肌寒かったはずの空気がやたらと生温かくなっていた。
お昼休みがもう少しで終わろうとしていた時、一通のメールが私に届いた。送信者は滅多に表示されることの無い相手だ。
『また作れ』
味の評価でもお礼でもなく、ただその四文字だけが画面に残されていた。
……どうしよう、滅茶苦茶嬉しい。
思わず顔がにやけた私を気味が悪そうに見ていたみーちゃんは、メールの内容を読んで「単純ですわね」と呆れたような表情を浮かべたのだった。




