49話 強く
あの事件から数日が立った。私は肩の怪我で一度病院に行ったものの、出血は酷かったが思ったよりも傷は深くなかったようで、手当を受けてすぐに家に帰った。
けれど昴は違う。体中に沢山の切り傷を残していた彼は幸い致命傷はなかったものの、しばらく入院することになったのだ。
治療魔術があればすぐに治るという問題ではない。魔術も万能ではないので、軽い擦り傷などならともかく重傷の体にばんばん魔術を掛けた所で完治する訳ではないのだ。治療魔術は応急処置にもっとも効果を発揮する。止血をしたり傷の表面を塞いだりすることによって一時的に怪我の悪化を防ぐことが治療魔術の本領なのだ。
そして今日、私と陣は昴の見舞いの為に病院を訪れていた。いや実際には見舞いだけが目的ではない。陣に至っては見舞いとすら思っていないだろう。
学園に現れた謎の男達。命を狙われた昴。彼が話せるというのなら、それらの事情を聞こうと思っていたのだ。
あの事件以降、学園ではこの話で持ち切り……という訳ではなかった。
日本で一番有名な学校といっても差し支えない我が校なのだが、今回の事件はニュースになっていないどころか世間に公表すらされていなかったのだ。
だが流石に校内では噂にはなっている。学園の半分に轟いた陣の声を聞いた人もいるし、事件直後は大騒ぎになったので昴が怪我をしたということを知っている人も少なくない。
しかし何故今回の事件は公にされなかったのだろう。学園の評判を落とさない為か、それとももっと別に理由があるのか。
病院を訪れ受付で聞いた病室へと辿り着く。どうやら個室らしい。せめてもの学園の配慮なのかもしれない。
ノックをして扉を開けると、そこにはベッドに横たわり窓の外を眺める昴の姿があった。
「昴」
「ひなた……それに不知火」
私達が来るのを予期していたのか、彼に驚いた様子はない。昨日まで面会謝絶状態だったのだが、思ったよりも元気そうだ。
陣はというと、無言で病室に入るとしかめっ面でベッドサイドに立つ。
「大丈夫? 酷い怪我だったでしょ」
「ああ……もう大分良くなった」
言葉少なにそれだけ答えた昴は、私から視線を外して相対する陣を見上げた。そして何かを言おうとしたが、それよりも早く陣が昴を遮るように単刀直入に本題を切り出す。
「成り行きとはいえひなたを巻き込んだんだ。全部話してもらうぞ」
「ちょっと、陣」
脅迫するような勢いで話す陣に流石に慌ててしまった。元はと言えば私は勝手に巻き込まれに行ったようなものだ。
けれど陣の言葉に昴は神妙に頷き、そして大きく頭を下げた。
「分かってる。……まず二人とも、俺のごたごたに巻き込んで悪かった。殺されかけたのにこんなことで許されるとは思っていないが、本当にすまない。そして助けてくれてありがとう」
「それはいい。で、なんでお前はあんな連中に命を狙われていたんだ」
「……それは」
昴は一度言葉に詰まった後、苦しそうに一言「分からない」と溢した。
彼は陣に防音魔術を頼んだ後、少しずつぽつりぽつりと話し始める。
彼は幼い時から時々、あの男達のような人間に命を狙われていたのだという。だけど理由はずっと分からないまま。守ってくれた母親は何かを知っているようだったが決して教えてはくれなかったのだと。
「もしかしたら……と理由が思いつくのは、こいつのことくらいだ」
昴は枕元に置いてある鞄を手元に引き寄せ、そして開ける。すると勢いよく鞄から飛び出し、昴の頭によじ登ったのはりんだった。
「魔物!?」
「陣、駄目!」
りんに向かって反射的に魔術を放とうとした陣を力づくで止める。落ち着いて、と必死に宥めると彼は魔物から距離を取るようにベッドから離れた。私も一緒に連れてだ。
「何だ、それは」
「魔物だよ。けど危害は加えない」
「昴、陣に見せちゃって良かったの?」
「実際に見せないと話にならないからな。不知火、俺は魔物と意思疎通を図ることが出来るんだ。もし俺が狙われているとしたら、これくらいしか思いつかない」
「きゅー」
愛らしいりんにも陣は表情を崩さずに警戒している。魔物だと分かっていれば当然の反応だ。けれど私はりんが全く危険ではないということをもう分かっている。
私は陣を無理やり引っ張り再びベッドの傍まで連れてくると、彼にりんを間近で見せる。
「陣、この子は魔物だけど攻撃してこないよ。私だって今まで噛まれたことすらないし」
「……お前、前から知ってたのか」
「ちょっとしたアクシデントで。でも昴、どうやって病室まで連れて来たの?」
「着替えとかの荷物は他の寮生にとって来てもらったんだが、その時に上手いこと紛れ込んで来たみたいなんだよ」
りんはハムスターサイズなので他の荷物に隠れてしまえば中々見つけることは難しいだろう。この子、さりげなく頭が良いようだ。
昴の頭に落ち着いていたりんが、今度は私目掛けて跳躍してくる。私はいつも通り飛び込んできたりんをキャッチしようとしたのだが、攻撃してくると勘違いしたのか陣が私の前に割り込んできた。
りんはそのまま陣の服に引っ掛かるようにして着地すると、陣の肩まで素早くよじ登ってきた。
「な、止めろ!」
「ほら陣、りんは大丈夫だって」
払いのけようとする陣の腕をかいくぐるように器用に避けたりんは、肩をジャンプ台にして今度こそ私の元へ飛び込んでくる。私の手の上で円らな瞳をくりくりさせるりんは本当に可愛い。
「……俺は知らないぞ」
手の中のりんをしばし観察した陣は、最終的に諦めたようにそうため息を吐いた。
「……こいつだけじゃない。俺が前に住んでいた場所は魔物の住処が近かったんだ。母さんも俺と同じように魔物と会話できたから、他の魔物も母さんに従って俺を守ってくれた」
昴の元に帰ってきたりんの頭を撫でながら、彼は表情を見られるのを恐れるように窓の外へと顔を向けた。
「母さんがあいつらに殺されてから、俺も何度も死にかけた。そんな時に駐在騎士の人が俺を守ってくれて、今まで何とか生きてこれた」
「……え?」
「その人に憧れて、守られるのが嫌になって強くなろうと東京に来た。名字もばあちゃんのものに変えて、ここまで逃げてこれば追っても来ないだろうと……そんな甘いことを思ってた」
さらりと流されるように告げられた言葉に衝撃が走った。昴のお母さんが、殺されていた……?
言葉も出ない私を置いて、昴はそこまで語り終えたのちに自嘲気味に笑った。
「無駄だったんだ。少しは強くなったつもりだった。けどちっとも歯が立たなかったんだ。おまけにひなたに怪我までさせて……俺、もう止めるよ」
「止めるって」
「学校を止める。ここにいたらまた皆を巻き込んじまう。大切な人達が、俺の所為で傷付くなんて、もう嫌なんだ」
今まで、本当にありがとな。と弱弱しく微笑んだ昴に、私は色々と我慢が出来なくなってしまった。思わず衝動的に傍にあったサイドテーブルに思いきり手を叩きつける。
「駄目」
バアン、と予想以上に大きな音が出た。
「昴、駄目だよ。学校止めるなんて絶対に!」
「……じゃあ、どうしろって言うんだ」
瞬間的に表情を消した昴が声を僅かに震わせて言う。
「俺がいるだけで無関係な人間まで怪我をする。前いた所では疫病神扱いだった。いなくなれと何回言われたことか」
「だからって一人で抱え込んだままじゃ」
「しょうがないだろ! 他に方法なんてないんだ! ……いっそ、最初から大人しく死んでいればよかったなんて思う前に、もっと犠牲が出る前に俺がいなくなるしか」
「……いなくなって、それでお前はどうするんだ」
熱くなっていた私達に、酷く冷静な声が突き刺さる。言わずもがな、陣だ。彼は無表情のまま昴を静かに見ている。
「それは……」
「逃げて逃げて、それを一生続ける気か? 何で命を狙われているのか、はっきりとした原因も分からないまま死んでいくのか?」
「昴が居なくなったら、恭子ちゃんはどうすると思う? 絶対に追いかけるよ」
元々行動力がある子だ。全力で昴の後を追いかけることだろう。それだけのパワーを持っているし、それだけ彼女は昴を想っている。
「恭子……」
恭子ちゃんのことを口にすると、昴は眉を下げて俯いてしまった。彼女のことを本当に想っているのなら、どうか考え直してほしい。
「……俺は」
「昴は嫌でももう一人にはなれないよ。私も陣も、恭子ちゃんも藤原君もみーちゃんも、クラスの皆も昴のこと大好きなんだから! だからもっと頼って、もっと巻き込んでいいんだよ」
肩の怪我などもう殆ど治っており、剣術の特訓も再開している。今度あいつらに会ったら絶対に返り討ちにしてやると以前よりも更に練習に力は入るようになった。
私は、もっと強くなる。
「昴は強くなる為にここに来たんでしょ? 一緒に強くなろうよ。もっともっと強くなって、あいつらを返り討ちにしてやるの!」
泣き寝入りなんてしなくていい。こっちには沢山の味方がいるんだから。
「昴が強くなるのを諦めるんなら、私がその分強くなって守ってやる。未来の桜将軍を舐めるなよ!」
びし、と効果音が出そうなくらい気合を入れて宣言すると、呆気にとられた表情をしていた昴が、しばしの沈黙の後、くっと笑うように息を漏らした。
「……ひなた、お前は大物になるよ」
「当然。陣と一緒に姫様の騎士になるんだから」
「それはすごい夢だ。だけど俺の出番があるくらいの強さで我慢しといてくれ。俺だってお前に負けないくらい強くなってみせるから」
昴の言葉に、私は大いに頷いた。
昴の現状は何も変わっていない。彼が狙われているのも、私達の未熟さもなにもかも。
だけど覚悟だけは決まった。
何が何でも、強くなってやるのだと。




