48話 狙われた命
「昴!?」
「ひな……、逃げろ」
苦しそうに訴える昴に、一瞬私の頭の中は真っ白になってしまった。
どうして、どうして昴がこんなに血塗れなのだ。彼は一体何から逃げてきたというのだ。
膝を着いた昴を起こしながら必死に思考を巡らせようとしていると、先ほど彼の声と同時に聞いた金属音が再び耳に入る。何かが、来る。
視界に映ったのは二人の人影だった。顔は隠されていて分からないが体格からして男性であることは窺える。特徴の無いつなぎに身を包み、そして何より私の目を引いたのは二人の片手に握られた抜き身の剣だった。あまり長くはないその剣は所々赤く染まっており、私は瞬時にそれが昴のものだと認識した。
「っ!?」
驚きすぎると人間、声も出なくなるらしい。私は混乱しながらも咄嗟に昴を庇うように彼の前に出た。
「逃げろって、言った、だろ」
「この状況で逃げられるわけないでしょうが……」
掠れた声で何とか言葉を発した昴に返答していると、男達は私を見て一瞬動きを止めたもののすぐさまこちらに向かって剣を振りかざしてきた。
こちらに武器はない。先ほどまで手にしていた練習用の剣があればまだましだっただろうが、あれは演習場に置いて来てしまった。
「守れ!」
真っ先に斬りかかってきた男に向かって、しっかりと昴を背後に隠しながら防御結界を発動させる。この魔道具では1人分の結界しか作れないので、昴に攻撃が当たらないように細心の注意を払わなくてはならない。
「なっ」
ぎりぎりまで引きつけたおかげで斬りかかってきた男は、突如展開した結界に弾き飛ばされるように後ろによろめいた。けれどもう一人の男は冷静に結界の切れるタイミングを見計らったようで、結界が消失すると同時に私に無駄のない動きで近づき素早く切り裂こうとする。
もう一度結界を張るには時間が足りない。私は考える暇もなく手に持っていた鞄を体の前に持っていき盾にしようとした。中には教科書しか入っていない軽い革製の鞄だ。一撃ですら防ぎきれるか分からない。
迫りくる鈍い輝きに思わず目を閉じそうになったその時、それよりも遥かに鮮烈な光が私の頭上をすり抜けた。その光は真っ直ぐに男に向かい、そして彼に直撃すると軽く数メートルは吹き飛ばしてしまった。
光に遅れるようにバチバチと周囲で静電気が放電する音だけが残る。
「ひなた!」
私を追いかけてきた陣が咄嗟に魔術を放っていたのだ。状況など全く分からなかっただろうが、魔術を使ってくれて助かった。
もっとも、私も状況など分かっていない。どうして昴が狙われているのか、このセキュリティーの固い学園にどうやってこいつらが忍び込んで来たのか、疑問がいくつも頭の中を過ぎった。
「藍川!? ……どういうことだ」
「分からない。陣、昴に治療魔術を――」
ろくに会話も終了しないうちに、再び男達が剣を向けてくる。だがその狙いは今度は私ではなく昴のみに絞られていた。満足に動くことの出来ない昴を守りながら戦うことなど至難の業だ。ましてや昴に怪我がなかったとしても、果たしてこの状況を切り抜けることなど出来るだろうか。
早いのだ。男達の動きはとても素早く、そして非常に洗練されている。一般人、いや騎士科の生徒だってこんな動きを出来る人間などいないと思う。はっきり言って、今の私達にこいつらを倒せるとは到底思わなかった。
「――誰か!」
再び結界を展開して凶刃から昴を守りながら、私は自分の出せる限界の声量で叫ぶ。お願い、誰か来て!
何度もそう声を張り上げるのだが、一向に誰かがやってくる気配はなかった。この学園は広すぎるし時間も遅い。ましてや今いる場所は草の生い茂った校舎裏だ、希望は無に等しかった。元々人気のない所を狙って昴を襲撃したのだろう。
陣も魔術で応戦しようとするが、そもそも魔術は威力と反比例するように発動まで時間が掛かるものなのだ。その隙を狙われたり、また魔術を発動できても先ほどのように不意を突かない限りは軽く躱されてしまう。
魔道具を使ってひたすら彼らを守りながら、私の脳は今までにないくらい高速回転していた。
考えろ、考えろ。勝てなくていい。どうにかして逃げるか、他の誰かに伝えることが出来れば――。
「やばい!」
魔道具の魔力が切れた。守れ、と呼びかけてもペンダントは何の反応も起こさなくなってしまったのだ。
私は先ほどのように鞄を盾にしようとしたが、向かってきた剣は想像以上の切れ味を持っていた。鞄をいとも容易く貫通したかと思えば、私の肩に思い切り刃が突き刺さったのだ。
突然の激痛に、私は唇を噛み締めて呻いた。痛い、滅茶苦茶痛い。剣を戻すように肩から引き抜かれ、更に痛みが増した。
どくどくと流れる血に、一瞬意識が飛んだ。
「ひな、た」
しかし昴の声になんとか正気を取り戻す。
駄目だ、諦めちゃ駄目。私は騎士に、桜将軍になるんだぞ。友達一人守れないちっぽけな人間が姫様の騎士になれるはずがない。
何か糸口があるはずだ。絶対に昴を、陣を守って、そして私も生き残る。絶対に――。
「ふざけんな!」
背後から怒号が響いたと思うと、私の目の前が突然火の海に変わった。陣が大規模な魔術を使ったのだろう。男達が避ける場所もない程の範囲に巻き起こった炎は生い茂っていた草を一気に燃え上がらせた。
私達と男達の間に炎の壁が出来上がり、容易にこちらに近付くことはできなくなった。
「大丈夫か!?」
「陣……ありがとう」
陣は火の傍にいた私を引き摺り昴の元へと運んだ。肩を動かすのが痛くて体を揺らすだけでも激痛が走る。
間近で私の怪我を見た昴の顔が真っ青になってしまった。
「俺の、所為で」
「話は後だ。まだ終わってない」
陣の言葉に、私ははっとして先ほどの炎の海を見る。するとどうだろうか、みるみるうちに炎は弱まっていき、元の光景を取り戻そうとしているではないか。相手も魔術を使ったのだろう。
もう海とは呼べなくなるほど火の勢いがなくなっていくと、黒く燃え尽きた草の影にあいつらの姿が映った。
時間はない、考えるんだ。もう一度同じ魔術を使ってもまた消されるだけだろう。そもそも逃げるにしたって私と昴は逃げ切れるとは思えない。携帯を使ったって掛けている間に切り裂かれてしまうだろう。もういっそ爆弾でもあれば爆発した音に駆けつけてくれるというのに……。何か、大きな音を出せる物が――。
あ。
「陣!」
私は一瞬肩の痛みも忘れて陣に縋った。そうして一言早口で伝えると、彼は目を見開いて即座に魔力をコントロールし始めた。
それとほぼ同時に、先ほど放った炎の魔術が完全に消え失せ、焦げたような嫌な臭いを纏った男達が短くなった草を踏み越えてこちらに向かってくる。
やはり早い。だけど私達の距離は随分開いており、血に塗れた剣が昴の前に立ちはだかる私に刺さるよりも先に、陣の魔術が完成した。
「誰か、来やがれえええ!!」
陣が叫んだ。
その声は陣の渾身の魔力を込めた風の魔術で増幅され、広い広い学園の半分ほどに響き渡らんばかりの大音量だった。
当然傍にいた私達は大変なことになった。私はまだあまり魔術の影響を受けにくいのでましな方だが、その私でも耳が痛くなるほどの爆音だったのだ。陣は叫ぶ直前に耳を塞いでいたが昴は耐え切れずに気を失ってしまい、そして男達は少し離れていたものの平衡感覚さえ狂ってしまったのか、ふらふらと立っていることさえおぼつかない状態である。
一年の時に佐々木君が使っていた空気を振動させて拡声器のような音量を出す裏技。それがまさかこんな形で役に立つなんて、一体誰が想像しただろうか。陣の魔力を持って全力を出せば拡声器なんて目ではない威力が出るだろうとは想像できたが、ここまですごいとは。学園内にいる先生を呼ぶ為に使ったのに相手にまでダメージを与えるとは思わなかった。
佐々木君本当にありがとう、命の恩人だよ。今度何かお礼する。
これで流石に誰か来るだろう。後はそれまでの間どうにか凌ぐだけだ。
けれど男達は、流石にまずいと思ったのだろう。未だにふらつく足取りながら、彼らは素早く潔く逃走を図ったのだ。
彼らが去ると、次第に私達の元に向かってくるいくつかの気配を感じ始めた。
助かったのだ。
私は殆ど気合いだけで立っていた足の力が抜け、よろよろと座り込んでしまった。
同時にぽろぽろと、緩みきった涙腺から涙が溢れてくる。
……本当に、死ぬかと思った。




