47話 異変
みーちゃんの爆弾発言からしばらく時間が経った。けれど私はそれから一度も陣と顔を合わせていない。恋心を自覚した時よりも遥かに会い辛い状況であるし、そもそも意図的に避けずとも魔術科の生徒とは基本的に会わないのだ。本当にこの間の食堂で出会ったのは運が悪かったとしか言いようがなかった。
「ひなたちゃん!」
魔術式に頭を悩ませたり剣を振り回したりとごく普通の学生生活に戻ったある日、恭子ちゃんが騎士科へ遊びに来た。彼女は私を教室の外から呼び出すと、昴に目を向けることなく――というかわざと見ないようにしたのか――私をあまり人がいない廊下へと連れ出した。
恭子ちゃんは言い辛いのか、そわそわとして中々言葉を口にしなかったのだが、しばらく待っていると、意を決したように私の目を見た。
「ひなたちゃん、実はね……その」
「昴と付き合い始めたんだってね」
「そうなの……ってなんで知ってるの!?」
彼女が私を呼び出した時点でその目的は大体理解していた。けれどまるで告白するように顔を赤くしてそわそわしていた恭子ちゃんが可愛かったので黙っていたが。まあ結局助け舟を出してしまった。
「昴が堂々と宣言してたよ」
「昴ってば……もう」
私が陣への想いに悩んでいる間にも着々と進展していたらしいあの男。その話を聞いた時には思わず手が出てしまった。悪気はない。
「恭子ちゃん、おめでとう。昴にとられたのはちょっと悔しいけど」
「ありがとう。うん、嬉しいんだけどね……ちょっと不安なんだ」
恭子ちゃんはふわっと微笑んだものの、僅かに困ったような顔をする。
不安ってなんだ? 付き合い始めなんて幸せ全開なのではないのか?
「贅沢なこと言ってるのは分かるんだけどね、何か上手く行きすぎて心配というか……」
「そう?」
「お母さん達の話を聞いてきたからかもしれないけど、こんなに簡単に恋が成就して本当に大丈夫なのかなって」
恭子ちゃん、逆境に打ち勝つような燃える恋がしたいって言ってたもんなあ。玉の輿に乗りたいとも言ってたし。いつかしっぺ返しが来るのが怖いのだろう。
恭子ちゃんは自分の家のことを成金なんて言ってたけど、実際の所彼女も一応社長令嬢だ。一般家庭育ちの昴とだったら逆に身分差が出来るので、ある意味これから大変だとは思う。この世界では成人年齢が早いから結婚適齢期も前世よりは多少早いようだし、婚約者とかお見合いとか、社長令嬢ならあるかもしれない。
恭子ちゃんの話を聞くと、昴が一般家庭で育ったのはもう知っているようだった。けれども身分差を越えて結婚した両親が昴のことを反対するとは思えない、とのことだ。
まあもし昴が騎士になったら、それだけで十分な身分を得ることができるだろうしなあ。偉そうな発言だが、彼にはそれだけの素質があると思う。
そうするとますます恭子ちゃんは安泰である。
「まあ昴なら恭子ちゃんのこと大事に思ってるし、心配しなくて大丈夫だよ」
最近知ったのだけど、あいつ恭子ちゃんが騎士科へ遊びに来るたびに周りの男をさりげなく牽制していたようだ。みーちゃんに言われるまで気付かなかった。
「……ありがとう、ひなたちゃん」
昴がクラスメイトに恭子ちゃんのことを惚気て牽制していたという話をすると、彼女は嬉しそうに笑った。何か最近恭子ちゃんが大人びた気がする。私は何にも変わっていないのに。
「それで、ひなたちゃんはどうなの? 好きな人が出来たって昴が言ってたよ!」
なんで私の周りはこう口が軽い人ばかりなんだ!
詳しい話は直接聞けと言われた、と恭子ちゃんは先ほどの大人びた面影を欠片も残さずに、興味津々とこちらに詰め寄ってきた。やっぱり恭子ちゃん、あんまり変わっていなかった。
「どうせ陣君なんでしょ!」
「どうせって何さ……そうだけど」
「だってひなたちゃんと陣君って言ったらもうセットみたいなものだったもん。家のことを抜きにしても、初等部の皆は夫婦くらいには思ってたんじゃないのかな」
夫婦くらいって、大ごとすぎるわ! そんなに軽く言われても困る。
つっこみたい気持ちとは裏腹に、顔はじわじわと熱くなって言葉すら出てこない。以前佐々木君に嫁扱いされた時はそんなことなかったのに、自覚するとは恐ろしいことだ。
二の句が継げなくなっている私を見て、恭子ちゃんはにこにこと笑っている。
「やっとひなたちゃんが女の子らしくなって嬉しいよ」
「色々と聞き捨てならないんだけど」
「だってひなたちゃん、今までそういう話避けてたでしょ? ずっと話したかったのに」
「それは確かにそうだけど……」
恋の話になると何かと陣を引き合いに出されるので、そういう話題の時は話の輪に入らないようにしていた。
まあ、結局陣のことが好きになっているのでちょっと釈だが。
そのまま流れるように陣のどこが好きなのかなど散々質問攻めされてしまい、終始赤面する羽目になった。今日はそのおかげで陣のことばかり考えてしまい、またもや授業に身が入らなくなってしまっている。
このままではまずい。いくらなんでも陣のことを考えるだけでぼーっとする日々が続くのは駄目だろう。私は雑念を振り払う為に放課後、演習場を訪れてひたすら剣を振るっていた。心を無に、心を無に……。
昔から素振りをしてきた所為か、一回一回剣を振るごとに本当に頭がすっきりしていく感覚を覚えた。家で剣を習う時は少しでも雑念が混じると父様の目が鋭くなるので、いつの間にか何も考えなくなっていたのだ。
一時間程立つ頃には、なんであんなに動揺していたのだろう、と思うほどに元気になっていた。筋力も付くし一石二鳥である。
汗を拭いて軽い足取りで演習場を出ると、夕焼けが目に眩しい。私は迎えの電話をしようと携帯電話を取り出し、そして――
「おい」
突然掛けられた声に思わず携帯電話を取り落してしまった。カシャン、と軽い音を立てて地面に転がった携帯は、しかしすぐには手元に戻らなかった。
「壊れては、ないな。ほら」
「あ、あ、ありが、とう」
私の方が壊れたような声を出してしまった。携帯を地面に落としたまま茫然と声を掛けてきた陣を凝視してしまっていると、彼は訝しげに首を傾けて私の携帯を拾ってくれた。
「ぐ、偶然だね……」
こんな偶然あるのか。魔術科の生徒が騎士科の演習場まで来る用事などないはずなのだが。
そう思っていたのだが、私の言葉に陣は思い切り眉間に皺を寄せた。
「お前が携帯に出ないからわざわざ来たんだろうが」
「え?」
陣の発言に、私はすかさず手元に戻ってきた携帯を操作する。着信履歴を確認すると、何度か陣からの不在着信が残っていた。その時間はちょうど私が剣を振り始めた頃で、タイミングが悪いとしか言いようがなかった。
「ごめん、剣の素振りしてたから全然気付かなかった」
「そんなことだろうと思った」
ちなみにどうしてここが分かったのかと尋ねると、陣はとても嫌そうな顔をしながら「藍川から聞いた」と答えた。一瞬藍川って誰だろうと思ったが、昴だ。やつは以前陣に会った時に無理やりアドレスを交換してきたのだという。それから時々、一方的にメールが届くようになったのだとか。
「どんなメール?」
「……お前が馬鹿やった話とか」
「昴のやつ覚えてろ!」
あいつめ、私だって今度恭子ちゃんに昴の失敗談とか暴露してやる!
復讐に燃える私に、陣は呆れた顔をしながらそれで、と私を探していた本題を切り出してくる。
「次の合同授業の計画レポート、まだ全然進んでないだろ。いい加減やらないとまずいぞ」
「忘れてた……」
そういえばそんな課題あったっけ。陣に会うのを避けていた所為で、そんな課題が出ていたことなんて頭からすっかりと抜けてしまっていた。
お互いに中々時間が取れないので、今から急遽レポートの内容について話し合うことになってしまった。私は連絡しようとした携帯を鞄にしまい、二人で図書館に向かって歩き出した。
……。
無い。会話が無い。
演習場から図書館まではかなりの距離がある。近道をして建物の裏を縫うようにしてショートカットしているものの、それでもあっという間に到着するわけではない。
陣は気まずいと思わないのかな。今更になって、陣に会うのがみーちゃんの爆弾発言以降初めてだと思い出して余計に言葉に詰まってしまった。
みーちゃんの言葉の真意を問い詰められたりしたら、私はどう返せばいいというのか。もう勢いで告白してしまうしかないのか。
「そ、そういえば、恭子ちゃんと昴が付き合いだしたんだって!」
「……そうなのか」
必死に捻り出した話題だったが、すぐに終わってしまった。陣は少しは興味を引かれたようだったけど、それ以上何も言ってはこない。
再び訪れた沈黙の中、こっそりと陣の横顔を窺う。……かっこよかった。
自分の考えたことに照れて心臓の速さが恐ろしいことになっている。何で自爆してるんだ、私。死んでしまうのではないかと思うほどドキドキしている。
「ね、ねえ陣」
「なんだよ」
「えっと、その……」
とりあえず声を出してみれば勝手に話題が思い浮かばないだろうか、という甘い期待は簡単に打ち砕かれる。呼んだくせに何も話さない私に、陣が苛々し始めたのが分かった。
ああ、嫌だなこんなの。前みたいに何にも気にすることなく楽しく一緒に居たい。
陣の隣が一番居心地が良かったのに、なんで私はこんなにつらい気持ちになっているんだろう。
もしずっとこんな風だったら……。
「……ん?」
思考がどんどんマイナスに傾き始めた頃、私の耳が何かの音を拾った。草をかき分けるようながさごそという音、そしてそれに紛れるように聞き慣れた声を聞いた気がしたのだ。
「ひなた?」
急に立ち止まった私に陣は眉を顰めて同じく足を止めた。もう一度よく耳を澄ませていると、先ほどの音がもう一度聞こえてきた。先ほどよりも僅かに近い。そして何より、先ほどの音に混じって耳に入ってきた金属音に、私は何かを考える前に走り出していた。
陣が背後から呼ぶ声が聞こえたが、体が言うことを聞かなかった。
嫌な予感がする。理論的になど説明できない何かが、私に警告していた。
こういう時の私は本能に従うようにしている。林間学校で魔物に襲われた時だって、咄嗟に何も考えずに動いていた。
「何なんだよ一体!」
陣の怒りの声がすぐ後ろで聞こえる。
私は構わずにひたすら走り、校舎裏の生い茂った草をかき分けて音の発信源まで只々駆け抜けた。
近い。
そう思いながら角を曲がった時、私の体に突然何かが衝突した。
かなりのスピードで走っていた為、思い切り後ろへよろけてしまう。痛みを堪えながら立ち上がり、私は衝突した何かに目をやった。
「ひな、た」
その瞬間私は目を限界まで見開いて凍りついた。私がぶつかったのは、幾重にも血を滴らせた満身創痍の昴だったのだ。




