45話 ようやく
陣が告白されている。
相手の女の子は見たことがないが、遠目から見る限り制服から魔術科の生徒であることは窺えた。長い黒髪の大人しそうな子で、美人というより可愛らしい印象がする。
彼女は顔を赤らめながら、泣きそうなほど真剣に陣を見上げている。こんな可愛い子に告白されたら、男だったらきっと皆嬉しいことだろう。
……陣は、何て答えるんだろう。
私の場所からでは陣の表情は分からない。私は陣が彼女になんて返すのかと考え、そして――
「はあ」
気が付くと私は自宅のベッドに寝転がっていた。あの後、何故か陣の答えを聞く前に私はその場を離れてしまったのだ。
そもそも他人の告白を盗み聞きする自体良くないことだ。最初から意識を向けなければ良かったのだ。私がもっと目が悪ければ、あんな状況を目にしなくてもよかったのに。
私は目を閉じてその上に腕を乗せて視界を覆う。けれども暗闇の中に先ほどの女の子や、そして陣の後姿の残像が焼き付いて離れてくれない。
「……嫌だ」
あの光景を繰り返したくなくて、私は再び目を開けてぼんやりと白い天井を眺めた。そもそもなんでこんなにもやもやした気持ちなのだろうか。あの二人の問題に、私は一切関係ないのに。
そう、関係なんてない。例え陣があの子と付き合い始めようと、私には何の影響もない。
……陣があの子を好きになろうと、どうでもいい。
……どうでも、いい。
「本当に?」
消化不良の気持ちをどうにかしたくて、自分に問いかけた。
藤原君は恭子ちゃんが告白されたのを見て、好奇心しか湧かなかったと言っていた。じゃあ私は? 陣が告白されているのを目撃してどう思った? 彼がどう答えるのかとわくわくしただろうか。
わくわくした気持ちが、こんなに苦しいものであるはずがない。答えなど聞く勇気なんてなかった。もし陣が頷いていたら……。
「いやだ」
私から陣をとらないで!
誤魔化さずに正直になれば、あの時頭の中に過ぎったのはそれだった。彼は物ではないし、ましてや私のものでもないのにそんな傲慢なことを考えていたのだ。
口の中に苦い物を感じる。そう、陣は誰のものでもない。けれど、いつかは誰かのものになってしまう時が来るかもしれない。
彼が女子生徒に人気があることなんて知っていたではないか。それなのに今まで、陣が誰かと付き合うなんて考えたこともなかった。彼の隣に他の誰かが居座ることなんて想像もしていなかったのだ。
「私……陣のこと、好きなのかな」
今までそんなこと考えもしなかった。……いや、本当のことを言うと少しはある。周りの色んな人が私達をくっつけようとしていたから、意地になって考えないようにしていただけだ。
好きになることがこんなに苦しいことだとは思っても見なかった。
恋をしている恭子ちゃんを見てあんな風に誰かを想えるのが素敵だと思った。なのに私ときたら醜く嫉妬して独占欲を出して、彼女のように相手を想って優しい気持ちになんてなれなかった。
「ひなた、入ってもいい?」
自分の醜い感情に落ち込んでいたその時、コンコンと扉がノックされた。少し控えめな声でそう問いかけたのは兄様だった。
私が了解の返事をすると、ゆっくりと扉を開けて兄様が部屋に入ってくる。彼はベッドに横になっていた私を窺い、そして私の足元の方へと腰掛けた。
ベッドから上半身を起こし、兄様を見る。
「その、大丈夫か?」
「大丈夫って?」
「家に帰って来てからすぐに部屋に籠ったって母様が心配してたぞ」
何かあったのかと尋ねられ、私は思わず口籠った。陣が告白されたのを見て動揺して何も考えられなくなってたなんて、恥ずかしくて言えるはずもない。
黙っている私に何を思ったのか、兄様は突如真剣な表情で私の両肩を掴んだ。
「に、兄様?」
「……ひなた、正直に答えてくれ。僕が婚約したことで、何かされたり言われたりしたんじゃないのか」
「え?」
「黎名も色んなやつに絡まれたって聞いたから、ひなたもそれで辛いことがあったのかと思って」
だから部屋に籠っていたんじゃないか、と聞かれて私は正直言って困った。
確かに最近は色んな人に絡まれているし、今日に至っては碌でもない男に告白されたり罵倒されたりもした。それで一時的に落ち込んだのも事実だ。
けれどそれらは陣の件で全て吹っ飛んでしまっていたのだ。言われなければすぐに思い出せないほどどうでもいい事項として処理されていた。これもひとえに藤原君のおかげだが。
「大丈夫だから、兄様は気にしなくて平気だよ!」
「でも……いや、何かあったら絶対に言うんだぞ。元々は僕の所為なんだから」
「兄様の所為って……せっかく姫様と婚約できたのにそんな言い方しちゃ駄目だよ」
他の人がどうかなんて知らないけど、家族としては勿論嬉しい出来事なのだ。私がそう言って兄様を嗜めると、彼ははっとして恥じるように少し下を向いた。
「……そうだな。千鶴にも失礼だった」
いつの間にか姫様の呼び方が変わっている。婚約者なら当然かもしれないが、それだけ姫様と兄様が親密になったということだ。
……陣という呼び名にも慣れたけれど、私達の距離は変わらない。当然だ、今の今まで自分の感情など分かっていなかったのだから。
「……兄様、好きって、どんな気持ち?」
こんなに醜い気持ちでも、私の気持ちは本当に恋なんだろうか。
「いきなりどうしたんだ」
「い、いや、ほらね、姫様のどこを好きになったのかとか気になって!」
取り繕うように慌ててそれらしい理由を付け足すと、兄様は納得したのか少し恥ずかしそうに頬を掻く。それから少し考えるようにした後で、兄様は柔らかく微笑んだ。
「そうだなあ……最初に告白された時は正直言って好きだとか思ったことはなかった。勿論敬意は払っていたし、友達としては好きだったけどね。だけど千鶴の一生懸命な姿とか、とびっきりの笑顔だとか、そういうのを見ていると好きだなあって思うようになって」
そう語る兄様の表情はとても幸せそうで、昴のことを語る恭子ちゃんに似ていた。
「……大変だろうってことは分かってた。千鶴は一国の姫だし次期女王、彼女にも本当にいいのかって聞かれたよ。でも千鶴となら大丈夫って、一緒に苦労していきたいって思えたんだ」
「それくらい、姫様のことが好きなんだね」
「……言葉にすると恥ずかしいな」
言葉だけではない、兄様がいかに姫様のことを大切に思っているのか伝わってきた。
「ねえ兄様」
「うん?」
「兄様は姫様を誰かにとられたくないって思う? 姫様の一番になりたいって、考えたりする?」
「そりゃあ勿論。特に千鶴は人気者だからね」
私の不安を払拭するかのように、兄様は力を込めて即座に言葉を返した。よかった、あんな風に綺麗な感情で姫様を見ている兄様でも、そうやって思うんだ。
私がほっとすると、今日のひなたは変だな、とぽんぽん頭を撫でる。
「もしかして好きな人でも出来たのか?」
そうして気が緩んだ私を見透かしたかのように、油断した所に思い切りずばり核心を突かれた。えええ、と内心の動揺がみるみるうちに声に漏れ、図星を突かれたことで触らなくても分かるくらいに顔が熱くなってしまう。
「え、あの、その……」
「おめでとう」
恋が成就したわけでも無いのに、何故かそんな言葉をもらった。
「それで、誰なんだ?」
「え……そんなの誰だって」
「ひなたは僕の好きな人を知っているのにフェアじゃないな」
兄様の好きな人、というか婚約者なんて今やどれだけの人が知っていると思っているのだ!
そう反論したいのに、笑顔で無言の圧力が掛けられる。この表情、どこかで見たことあるなと思ったのだが、きっと姫様が兄様に告白した時にその状況を問い詰めていた姉様の顔だ。普段はあまり似てないのに、今更双子のシンクロっぷりを見ることになろうとは。
逃げようとしたのに気が付けば手を掴まれていて逃走不可だ。
「……陣」
本当に、本当に小さな声でそう言ったのに、兄様はしっかりと聞き取ってしまった。
それから何故か告白現場を目撃したことまで吐かされてしまい、私はもう魂が抜ける一歩手前まで来ていた。
誘導尋問が得意だとは知らなかった。兄様、警察官にでもなった方がよかったのでは。
「それで、ひなたは告白されたのがショックで部屋に籠っていたと」
「ショックっていうか……」
嫉妬だとか独占欲だとか、黒い感情でいっぱいになっている自分に自己嫌悪していたというのが正解だ。
「ひなたは普段は単純なのに、なんでそんなに難しく考えるのかな」
「兄様酷い」
「ひなたは陣君と一緒にいて、そんな暗い感情ばっかり感じている訳じゃないだろう? 楽しいとか嬉しいとか、そうやって思うから好きなんだ。だからちょっとくらい妬いたっていいんだよ、当たり前なんだから」
自信満々にそう言った兄様に、不思議と心が凪いでくる。そっか、当たり前なのか。
陣といると楽しい。魔物に襲われた時だって陣と一緒だったから大丈夫だって思えた。彼と一緒だと頑張れる。そしてその隣を誰にも渡したくはなかった。
今はっきりと分かった。私、陣が好きだ。
「兄様、ありがとう」
なんだか今日は落ち込んだり元気になったり忙しい日だ。だけど大切なことにようやく気付くことができた。
久しぶりに兄様に抱きつくと、優しく背中を叩いてくれた。兄様、大好きだ。
そのまま兄様のぬくもりに癒されていると、部屋の外で物音が聞こえてくる。どうやら姉様が帰ってきたようだ。どたばたと足音がこちらに向かってきた。
「ただいまー」
「黎名ー大変だ、ひなたに好きな人が」
「兄様っ!」
さっき大好きって言ったこと、撤回する!
……やっぱり、しないけど。




