43話 告白されました。
春休みも終わり、中等部二年生として新しい生活が始まった。
花見の日からの毎日は本当にあっという間に過ぎて行ってしまった。兄様を問い詰めたり、家に姫様を始めとしたお偉いさんがいらっしゃったりして大変な日々であった。
新学期が始まり、ようやくいつもの日々がやってくると信じて疑わなかった。それなのに私の生活は一年の時とは一転しているのである。
「鳴神さん、それ重いだろう。俺が持つよ」
「だ、大丈夫です……」
始業式早々に、見知らぬ生徒に話しかけられることが多くなった。それもこの人のようにあからさまに親切に振る舞ってこられたり、はたまたお友達になりませんか、と怪しげな勧誘のように誘われることが増えたのだ。
何で自分の鞄が重いとか思っているのだろう、この人。騎士科馬鹿にしてんのか。
目の前の経営学科の生徒と思しき男子生徒を胡乱な目で見上げてそう思った。
話しかけてくる人は皆、要するに鳴神に取り入ろうと考えている人間だ。以前からそういう人が全くいなかったとは言わないが、二年生に上がってうなぎ上りに増えており対処するのに非常に神経を使う。下心があると分かっていても親切にされると断るのが大変なのである。
こういった人間が増えた理由は言うまでもなく、兄様が姫様と婚約したからに他ならない。婚約発表は瞬く間に多くの人々の知るところとなり、表面上は何の問題もなく祝福されている。その腹の内がどうであれ、である。
「そういえば鳴神さん、この前の剣術のテストでトップだったらしいね。流石鳴神だ」
「ははは……」
しつこい。鞄は死守したもののそれからも全く興味の湧かない話を延々と聞かされて、正直堪忍袋の緒が切れそうだ。流石鳴神って、その言葉で喜ぶとでも思っているのか。
「鳴神、昴がお前のこと呼んでたぞ」
そのナルシストっぽい前髪を剣で切り裂いてやろうか! と思わず言ってしまいそうになりかけた時、通りかかった同じクラスの男子がそう声を掛けてきた。
ラッキー、と私はその男子にお礼を言うとそれじゃ、としつこい経営学科の男を振り切り走り出した。微かに呼び止めるような声が聞こえた気がするが、気のせいだ。気のせいということにした。
どう見ても鍛えている様子はなかったし、私に追いつけるはずもない。放課後のこの時間ならば恐らく昴は理科準備室にいるだろうと考え、私は教室がある騎士科の建物へと速度を速めた。
「昴!」
「ん、どうしたんだ。そんなに急いで」
「きゅ?」
渡されていた合鍵を使って準備室へと入ると、のんびりと林檎を口に入れる昴がいた。向かいの机ではみーちゃんが楽しそうにりんに林檎をあげている所だ。
万が一りんを見られてしまっては困るのでこの部屋を使う時は鍵を掛けている。しかし昴のやつ、一体どこで合鍵など用意したのだろう。
きょとん、とした昴の様子に、何か間違えただろうかと疑問が浮かぶ。
「昴が私を呼んでたって聞いたんだけど?」
「んー? おかしいな、別に用はないんだが」
なんだろうな、と首を傾げる昴。その横で彼の真似をして首を傾けているりんが可愛くて、苛々した心が癒される。
それから昴に促されて詳しく話すと、「あー、多分」と何かに思い当たったかのように頷いた。
「きっとお前が迷惑そうだったから助けてくれたんだろうよ」
「え、そうなのかな」
一年同じクラスだったのにろくに話もしたことがない生徒だった。それなのに助けてくれたんだろうか。
「お前が思ってるより、クラスのやつらはお前のこと嫌いじゃないぞ」
「でもやたらとつっかかってくる人とかいるけど?」
「それはひなたに負けてられないって対抗心燃やしてるんだろ。この前のテストも“次は絶対にあいつに勝ってやる”って宣言してたやつが大勢いたし」
「……そうなんだ」
そういえば、一年の最初の頃は鳴神って名前だけで色々と嫌味を言われたけど、それもいつの間にかなくなっていた。ギスギスしていたクラスの居心地がよくなっていたことに今更ながら気が付いた。
「それにしても、その経営学科の男何なんですの? そんなに鳴神の名前が羨ましいというのかしら」
「そりゃあ、羨ましいんじゃねえの?」
「わたくしだって……わたくしだって、いつかブラッドレイの名を知らしめてやるんですから!」
みーちゃんの羨ましいは意味は少し違う気がするんだけど。
私は張り切る彼女に何も言うことなく、曖昧に笑ってりんを撫でた。
「まあほっとけばそのうち収まると思うよ」
この時の私はそんな風に非常に楽観的に考えていた。
「鳴神さん、俺と付き合ってよ」
そんな呑気な私に突如突き付けられた言葉は、非常に衝撃的なものだった。
「はあ?」
「はあじゃなくて、俺と付き合ってって言ってるんだ」
いいだろう? と何の根拠があるのか自信満々に言ってくる男に、私はため息すら出なかった。
廊下で歩いている時に唐突にそう言ってきた男は、この間と同じ経営学科のナルシストっぽいやつだ。名前さえ知らない。名乗られていないのだから。
あれからもちょくちょく付き纏われて、かなり迷惑していた。一度はっきり「付いてこないで」と言ったのだが、まるで効果がなかった。その度に昴やみーちゃん、そしてクラスメイト達が助けに入ってくれたのだが、この男はまったく懲りていなかったのだ。
そして今日、厚かましい程堂々と交際を迫ってきた。
私は歩いていた足を止め、しっかりと男に向き合う。
「お断りします」
「はあ? 何でだよ」
「私はあなたのことが好きではないし、そもそも名前すら知りませんが」
何でだよってこっちが言いたいわ。何で断られないと思ったんだ。
私が冷静に答えると、男の目がすっと細くなる。元々この人、笑顔でも目が笑っていなくて怖かった。経営学科だし、もっとポーカーフェイスを覚えるべきだと思う。
「俺のこと知らないって、マジで言ってる?」
「言ってます」
「冗談きついんだけど」
そう言って男が名乗った名字は……聞いたことはあった。あったが、どこで聞いたのか全く思い出せなかった。
「なあ、いいだろ。俺と付き合えよ」
どんどんと化けの皮が剥がれていくのがよく分かる。口調すら取り繕わなくなった男は無理やり私の腕を掴んだ。
「嫌」
「……お前、鳴神だからって調子に乗ってんじゃねえよ!」
調子に乗ってるのはどっちだと言いたいけど、掴まれた腕に力が込められて痛い。周囲には図ったかのように人影はなく、いつものように助けてくれる人はいない。
後ろに押されるように腕を離されると、私はよろよろと後ろに下がった。思わず強く睨み付けるが、男の同じように私を見下すように蔑んだ目でこちらを見ている。
「俺だってなあ、親に言われなければお前みたいな可愛くねえ女に近付いたりしねえよ」
「……悪かったわね、可愛くなくて」
「どうせなら兄貴みたいに長女の方を口説きたかったね。あっちはお前と違って相当な美人だし」
姉様もこんな風に碌でもない男に付きまとわれているのだろうか。
兄様と姫様の婚約は本当に嬉しい。なのにその影響でこんなことになって、嫌になってしまいそうな自分が嫌いでたまらない。
「お前なんて所詮、鳴神じゃなければ何の価値もないんだよ!」
「はあ……」
ベンチに腰かけて、私はやり切れない気持ちをため息に溢した。
鳴神という理由だけで告白された。それは別にいい、想定出来たことだ。
可愛くないと言われた。それもいい、事実だし。
けれど、あいつが言い放った最後の言葉が脳裏から離れてくれないのだ。
「何の価値もない、か」
思った以上に傷付いている自分に驚いた。
あの言葉を否定しようとして、そして何も言葉が出てこなかった。私の価値って何だろう。鳴神である以外、自分に何か誇れる所があるのだろうか。
同じ鳴神でも、兄様と姉様とは違う。美人でもないし、頭もそんなに良くはない。兄様のように思慮深くなく、姉様のようにしっかりしていない。
私って、何にもない。
どんどん思考が泥沼に嵌っていく。それが分かっていても、考えるのを止めることができない。
「ひなた? こんな所で何してるんだ?」
心が真っ暗闇に落ちていきそうになった時、そう言って私を現実へと引き上げたのは、不思議そうな顔をした藤原君だった。




