41話 昴の隠し事
あれから司お兄ちゃんには会っていない。別に避けている訳ではなく、単純に卒業が迫ったお兄ちゃんがあまり学園に来なくなったというだけの話である。
もやもやした気持ちはあるものの、私が悩んでいても何も意味はないことは分かっている。私は消化不良になりながらも平穏な日々を過ごしていた。
そんなある日の昼休みのこと。お昼ご飯を食べようと昴の席にやってきたみーちゃんと私である。
「昴、食べますわよ」
「ああ、腹減ったなあ……ん?」
お弁当を取り出そうと鞄の中に手を突っ込んでいた昴の動きが突如ぴたりと止まる。何かあったのだろうかと、私達が訝しげに彼を見ると昴はがたがたと机を揺らしながら慌てて立ち上がった。
「わ、悪い、弁当忘れたから寮まで取ってくるな! すぐ戻るから!」
明らかに挙動不審な素振りを見せながら、昴は早口にそう言ってすぐさま教室から出て行ってしまった。冷や汗もかいていたようだし、あからさまにただ事ではない様子だった。
「怪しいですわね」
「みーちゃんもそう思う?」
「ええ。この間昼食を忘れた時は売店で済ませていましたし、足りなかったのかわたくしのおかずを取りましたわ」
「そうだよね。それにお昼忘れたくらいであんなに慌てないよねえ」
昴が昼食を食べないと生きていけないくらいの大食いだったのならまだしも、普段の彼にそんな様子はない。
どうしたのかな、と考えていた私の腕を不意にみーちゃんが掴む。
「みーちゃん?」
「追いますわよ」
「え」
「あれはきっと何か疾しいことがあるに決まっていますわ。見つけてお仕置きしてやるのが友であるわたくし達の役目です!」
胸を張ってそう言うみーちゃんは私をぐいぐい引っ張って教室から連れ出した。
みーちゃんは無駄に正義感に溢れている。まあ騎士になるにはこのくらいの方がいいのかもしれないけど。
私としても気になっていたので、彼女が連れ出してくれてちょっとほっとしていた。
走り去った昴を見つけるのは大変、かと思いきや意外と早く見つかった。
私達はとりあえず寮の方面へと探しに行こうと昇降口から外へ出たのだが、寮へ向かう途中にある大きな植木の傍で聞き慣れた声を聞いたのだ。通り過ぎようとした体を急停止させて、なるべく音を立てないようにゆっくりと声の発信元へと足を進めた。
「……から、勝手に付いてきちゃ駄目だって言っただろ」
どうやら誰かと話しているようだ。あんまり聞いちゃいけないかな、と躊躇していると、突然バキ、と足元で大きな音が鳴ってしまう。どうやら落ちていた枝を踏み折ってしまったらしい。
「誰だっ!」
昴の声が鋭く響き渡る。それと同時にみーちゃんは隠れるのを中止して、堂々と彼の前に姿を現した。
「昴、あなた何を隠していらっしゃるの!」
片手を腰に手を当てて、もう片方の手を昴に向けて真っ直ぐに指さしてそう告げたみーちゃん。清々しいほど正々堂々という言葉が似合う彼女はかっこよかった。
私もみーちゃんに続いてこっそりと顔を出したのだが、可笑しなことに彼は一人で先ほど話していたらしい人物は見当たらなかった。電話していたのか?
昴はというと、何かを鞄に隠したかと思うと突然現れたみーちゃんに呆気にとられて茫然と彼女を見ている。思わず、といった様子で鞄を取り落した彼はそこで正気に返り、慌てて鞄を拾おうとしゃがみ込む。けれどそれよりも早く鞄の中から何かがするり、と出てきたのだ。
私達の視線が一気にそれに向かう。昴が顔を覆うのが視界の端に映った。
「きゅう」
小さく可愛らしい声で鳴いたのはフェレットによく似た――大きさはずっと小さいが――真っ白な生物。上半身を起こして後ろ足だけで立ち上がって円らな瞳で私達を見ている。
それだけならばよかった。しかしそれだけでは終わらなかった。
その生き物は、見れば見る程生物として違和感がある。何かがおかしいのだ。そして、この違和感を私は昔感じたことがある。
「魔物、ですわ」
私よりも遥かに魔力感知に優れているみーちゃんが、ぽつりとそう呟いた。
そうだ、この感じ。昔見た魔物と同じ魔力の塊だ。
動揺する私達に、小さな魔物は何も分かっていないように可愛らしく首を傾げていた。
「さて、説明してもらいますわよ!」
バン、と机を叩いてまるで取り調べの警察官のように恫喝するみーちゃん。
あの後大混乱の私たちに、昴は「放課後に全部話す」と約束してくれてその場を収めた。彼は一旦あの小さな魔物を寮へと連れ帰ったようで、放課後になると昴は私達を理科準備室へと案内した。この部屋は実際には殆ど使われていないらしく、昴の隠れ家の一つになっていた模様。
その部屋で寮へと戻った昴を待っていると、彼は神妙な面持ちで小さな鞄を大事そうに抱えて戻ってきた。彼が鞄を開けると、そこには先ほどの小さな魔物のフェレットが目をくりくりさせている。
そして、みーちゃんの取り調べが始まったのだ。
「……もうばれてるようだから言うが、こいつは一応魔物だ」
昴は諦めたようにフェレットに指を伸ばす。するとフェレットは「きゅー」と嬉しそうに鳴き彼の指を辿ってするすると肩まで移動し、そこで落ち着いた。
かわいいなあ。魔物って知らなければ何も考えずに撫でまくってしまいたい。
私の視線に気付いたのか、昴は「触って見るか?」肩に乗っていたフェレットを私に差し出してきた。
触って見たい、けれど大丈夫だろうか。
「噛まない?」
「人に慣れてるから大丈夫だ。ほら、りん」
「きゅう」
りんというのが名前らしい。りんは昴の声にしっかりと答えると、なんと私の肩に飛び移ってきた。
うわ、と突然のことに驚いて体を揺らしてしまったが、りんは器用にバランスを取って私の肩に乗り、すりすりと顔に身を寄せてきた。
か、可愛い……!
随分小さいので私は慎重にりんを肩から手に映すと、両手に乗せる。
みーちゃんがものすごく羨ましそうにこちらを見ていた為、りんを彼女の手の上にそっと移動させた。
「可愛いですわ!」
「よかったな、りん」
「きゅー」
手の上をうろうろしているりんに、みーちゃんもやられてしまったらしい。魔物だということを忘れて撫でまくっている。
「こいつ、俺が前に住んでた所にいたんだ。本当は置いて行くつもりだったんだけど、いつの間にか鞄に紛れ込んでた」
「魔物、なのですわよね? こんなに小さくて敵意もないのに」
「まあな、全ての魔物が人間を襲うって訳じゃない。ほらご飯だぞ」
「きゅ!」
昴がそう言うや否や、りんはみーちゃんの手の中から一気に昴の元へと跳躍し、机に着地する。そして彼の手から貰った林檎を夢中になってはぐはぐと食べ始めた。
ちなみに、りんという名前は林檎が好物だから付けられたらしい。
「魔物ってもの食べるの?」
魔力だけで生きていそうなイメージだった。実際に熊のように食糧を求めて生息地から降りてきたという話は聞いたことがない。
「俺の家に連れてきた時に勝手に食べてたから。まあ食べなくても死にはしないみたいだ」
適当だなあ。まあ魔物の育成本なんてないだろうからしょうがないのだけど。
口の中を林檎でいっぱいにしているりんの姿に癒されていると、昴が改まったように居住まいを直し、「実は……」と口を開いた。
「俺、魔物の言葉が分かるんだ」
「はい?」
「分かるっていうか、意志疎通できるみたいなんだ。魔物が何を考えてるか大体分かるし、俺の意思を向こうに伝えることができる」
まぬけな相槌を返した私に、昴は非常に真剣な表情で話し出す。
昴が元々住んでいた場所は魔物の生息地に近く、立ち入り禁止であった山で何匹かの魔物と友達になったのだそうだ。初めは何を言っているのか全然分からなかったものの、会う度に少しずつ意思疎通が可能になったのだという。
「魔物が怖くなかったのですか?」
「初めは魔物だって知らなかったんだ。山に住む動物だと思ってて、母さんが教えてくれるまで全然気が付かなかった」
林檎を食べ終わったりんが、トコトコと再び昴の肩に登り始める。どうやらそこが定位置のようだ。昴も登ってきたりんをくすぐるようにあやす。
確かに、魔力さえ感じなければただの小さいフェレットにしか見えない。
「母さんからの遺伝だったみたいだ。母さんも俺と同じように魔物と話すことができたから」
「魔物と会話する魔術というのが、以前研究されていたと聞いたことがありますわ。けれどすぐに打ち切られたと」
「魔術なのか、俺にもよく分かってないんだ。ただ相手の魔力を読み取ってこっちの意思を送るだけだから」
まるで簡単な口ぶりであるが、それが出来る人間が一体どれだけいるというのか。
理論だけで言うならば、昔恭子ちゃんが作った翻訳機にも似たものだが、魔物の意思を読み取るなんて想像も出来なかった。
「でも昴は騎士になりたいんでしょ? 魔物を倒すことになるけどいいの?」
意思を交わすことが出来る魔物を倒すなんて、辛くはないのだろうか。そう思ったのだが、彼の態度は非常にはあっけらかんとしていた。
「ん? 人間だって悪いやつだったら捕まえるだろ。それと同じだ。誰かを傷付けようとする魔物がいたら倒す。それだけだ」
そんなに簡単に割り切れるものなんだろうか。まあ昴がそれでいいなら私が口を挟む問題でもないのだけれど。
騎士団は時々大規模な魔物狩りをすることがある。それは魔物が増えすぎないように、周辺の住民に被害が及ばないようにする為だが、その中にりんのような魔物が居たとしたら。その時彼は……いや私でさえ、討伐することはできるのだろうか。
私の懸念を察したのだろう。黙り込んでいた私に昴はぽん、と肩に手を置いた。
「例え俺が騎士にならなくても、他の誰かが魔物を討伐することには変わりない。それだったら騎士になって最前線に立つことが出来れば、魔物を説得することも、敵意のないやつも逃がすことが出来るかもしれない。……まあばれないように、な」
魔物を逃がしたなんてばれたら大変なことになるだろう。ましてや普段からペットとして飼っていましたなんて知られたらとんでもない。
「だから、二人とも。頼むからこいつのことは秘密にしてほしい。お願いだ」
「条件があります」
「え?」
頭を下げる昴に勿論黙っていると返そうとした私だったが、それよりも先に発せられたみーちゃんの言葉にその発言を止めた。条件?
何を言われるのか、と戦々恐々としていた昴だったが、経ち上がって仁王立ちをしたみーちゃんはきゅるる、と鳴いたりんを見下ろして堂々と宣言した。
「わたくし達にもりんの世話をさせなさい!」
……。
「さあ昴、条件を呑むか呑まないか、決めるのです!」
「え、そりゃあありがたいけど」
しばし呆然としていた昴が我に返る。というか、いつの間にか私も含まれているのだが。
「今から無しと言っても駄目ですからね」
「言わない言わない。りん、お世話になるんだから挨拶しろよ」
「きゅー!」
昴に促されたりんは、机に降り立つと後ろ脚だけで立ち「きゅうう」と挨拶のような何かをした。本当に昴の言葉が分かっているようだと感心する。
「わたくしはミネルバですわ、こっちはひなた。りん、よろしくお願いしますわよ」
「きゅ!」
多分みーちゃんの言葉は伝わっていないとは思うが、話しかけられたのは分かったのだろう、りんは元気よくみーちゃんに一声返した。
「けれど、よく学園にばれていませんわね」
「他のやつだったら一発でばれただろうけど、りんは小さいからな。まあその所為で着いて来たのに気付かなかったんだけど」
確かに、ハムスターサイズのりんの魔力は魔物にしては相当小さな物なのだろう。私には詳しく分からないが、みーちゃん曰く魔道具よりもずっと魔力が少ないのだという。
「ひなた、お前何か魔道具持ってるだろ。それの四分の一くらいだ」
「何で知ってるの? 見せたことないのに」
「魔力を読み取るのは得意だからな」
昴の言葉に私は服の中に仕舞っていたペンダントを取り出す。キラキラと光沢を失っていないオレンジ色の魔石は、十分に魔力が満たされていることを示していた。五年生の林間学校からは使っていない。授業で使うことは出来ないので、基本的に出番がないのだ。
取り出した魔道具をみーちゃんが覗きこんでくる。
「綺麗ですわね……それにしても、かなりの魔力量ですわ」
「そうなの?」
「分かりませんの? ……そうでしたわ、あなたは魔力がありませんでしたわね」
あるよ……ちょっとだけだけど。
「魔力の質、量共にすばらしいですわ。高かったんじゃありませんの?」
「あ、これは初等部の時に陣が……」
「まあ!」
私の言葉を遮ってみーちゃんが頬に両手を当てる。昴も同じように驚愕の表情を浮かべていた。
「見かけによらず悪女でしたのね! 初等部の子供にこんなものを貢がせたなんて!」
「え、ちょ」
「不知火は魔道具の特許で相当稼いでるって聞いたけど、ひなたもやるなあ」
「違うから!」
最後まで話を聞いて下さい! 貢がせてなんていませんから!
その後、時間をかけて何度も説明した所ようやく理解してくれたのだが、今度は今度で自作の魔道具をプレゼントされたことに盛り上がられてしまい、更には名前の呼び方まで言及され収拾がつかなくなった。
ぐったりとした私に寄り添ってくれたりんだけが味方だった。
りんはフェレットに似た魔物ですがあくまで本物のフェレットではありません。見た目だけですね。
サイズもですが、フェレットはあまり鳴かないそうです。りんの場合、昴と会話するために自然鳴くようになりました。普通のフェレットは多分こんな鳴き声ではないです。




