36話 図書館のひと時
じーっ。
「なんだよさっきから」
「別にー」
訝しげな昴に気のない返事を口にしながら、私はもう何度も頭を回っていた言葉を改めて考えた。
まさか、恭子ちゃんが昴に一目惚れするとは。
あれから彼女はちょくちょく騎士科へ遊びに来るようになった。昴に恭子ちゃんを紹介するのはあいつの思惑に乗るようで嫌だったのだけど、恭子ちゃんの方からお願いされれば聞かない訳にはいかない。
騎士科へ来る彼女は私とも今まで通り話すしそれを厭う様子もないのだが、昴が近くにいるとそわそわし出して、上の空になってしまうのだ。昴め。
けれど、昴のどこに一目惚れする要素があったのだろうか、と酷いことを思う。
容姿は中の中、いや上くらいか。まあそこそこかっこいいかな、と思う辺りだ。あの司お兄ちゃんを見た時も「かっこいいねー」で済ませた恭子ちゃんが見惚れるとは思えない。
そういえば、彼女の両親はお互いに一目惚れして結婚したんだっけ。血筋か何かなのかもしれない。
一目惚れでなければまだ納得がいく部分もあるのだ。性格はがさつで無神経な所もあるが、明るくていいやつだし。それに特待生である以上、成績はかなりのものだ。座学はものすごく優秀という訳ではないが、剣術と魔術の実技に関しては総合では騎士科の中でもトップクラスだ。
まあ騎士科である以上、そこまで魔術の成績は評価には入らないが。
ところで未だになんとなく言いそびれてしまって恭子ちゃんには言えていないのだが、話に聞く限り昴は一般家庭育ちのようである。この学校にだって特待生の奨学金で通っているらしい。
好きなったら関係ないのかもしれないが、玉の輿を狙っていた恭子ちゃんにはなんとなく言い難かった。
さて、恭子ちゃんと昴のことばかりに頭を悩ませている訳にもいかない。所詮二人の問題で、私がしゃしゃり出る幕などない。
騎士科といえど一般教養の一通りの授業はある。勿論歴史も魔術もだ。
そして先日、私が最大級に苦手な歴史のレポート課題が出てしまった。それもかなりの枚数を指定されており、ちゃちゃっと書いて完成とはいかない。
私はとにかくやるだけやってみようと、図書館へ向かった。全ての学科の資料が揃っているため、他の校舎よりも一際大きい建物へと足を踏み入れる。
えーと、歴史の資料の場所は……。
三階のようだ。私は階段を探して館内を見渡していたのだが、階段よりも先に見覚えのある姿を見つけて思わず目を止めた。
司お兄ちゃんだ。
どうやら友達と話しているらしい。エントランスに近いこの階では図書館とはいえ話をしていても大して咎められることはない。話している相手はどこかで見たと思ったが、確か去年の国王杯のパートナーだ。
話掛けるのは邪魔だろうかと考えていると、司お兄ちゃんの方が私に気付いた。
「ひなた」
友達との会話を中断してこちらにやってくるお兄ちゃんに、ちょっと申し訳なくなった。
一緒に着いてきた騎士科の制服を身に付けた先輩は、私を見て首を傾げる。
「司の知り合いか?」
「……弟の、友人だ」
よく考えると、私とお兄ちゃんってそんな関係だった。初等部の時は家に遊びに行くとよく相手してもらっていたので、なんだか勝手に親しみを抱いていたのだ。
「こんにちは、司おにい……せ、先輩」
お兄ちゃんと言いかけたが、何だか学校でしかも他の人がいる前で言うことが憚られた。本当に兄妹な訳じゃないし、この学校では結構上下関係に厳しいので先輩にしておいた方がいいかな、と思ったのだが、そう言うと彼はぴくりと眉を顰めた。
嫌だったのかな?
「じゃあ俺は先に帰るから。じゃあな、後輩ちゃんも」
騎士科の先輩はお兄ちゃんに向けてそう言った後、私の頭をぽんぽん叩いて颯爽と図書館を後にした。私は一瞬呆けたものの「さようなら」と頭を下げる。
そういえばあの人、国王杯で優勝したんだよな。将来桜将軍になるんだろうか。
「久しぶりだな」
「邪魔しちゃいましたか?」
「いや、どうせ別れる所だった。気にしなくてもいい」
久しぶりに見る司お兄ちゃんは、ますます美形に磨きが掛かっていた。道を歩けばきっと誰もが彼を振り返ることだろう。同じ兄弟でも陣君とは大違いである。いや、陣君もかっこいいとは思うけど、やっぱりあの目付きの悪さだけはどうにもならない。
「ひなたは課題か?」
「そうです。よく分かりますね」
「ここに来るのは大体皆同じ目的だからな。……分からない所があるなら、教えようか?」
「え、でも……」
司お兄ちゃんは冷たそうな見かけによらず本当に親切な人だ。けれど、それに甘えていいものだろうか。彼は高等部の三年生で勉強も大変だろう。
「でも、おに……先輩、忙しくないんですか」
「無理して先輩と呼ばなくても、今まで通りでいい」
「そうですか?」
他の人の前でも咎められないだろうか。まあお兄ちゃんが良いっていうなら、それでいいのか?
「時間はあるから大丈夫だ。それで、なんの課題だ?」
私が詳しい課題の内容を伝えると、それなら俺も出たことがあると、三階の一角にある本棚の前まで連れてきてくれた。
助かった。フロアが分かってもこの膨大な本の中から課題に沿った本を見つけるのは至難の業である。
「これと、これと……この本があれば十分書けると思う」
「お兄ちゃんありがとう!」
なんだかずるしている気がするが、ここはお兄ちゃんの厚意を受け取っておくことにしよう。決して自分が楽したいからという理由だけではない。なんだか彼自身張り切っているように見えたので。
私がお礼を伝えると、ふっとお兄ちゃんの顔に笑みが浮かんだ。これはかなり貴重なものである。先ほどから本から目を離して司お兄ちゃんを見ていた周りの人達も、思わずため息を零していた。
さて、やる気のあるうちにある程度レポートの内容を詰めておこう。
私は窓際にある机に選んでもらった本を運ぶと、鞄からノートを取り出して要点を書き出し始めた。その間も司お兄ちゃんは隣の席に座り、何かの本を読んでいる。
だが途中で集中力が切れて隣に視線を向けると、何故か目が合った。
すぐに逸らされたので偶然だろうと思い、再び課題に向き合う。しかし一度気になると気配に敏感になるもので、ペンを走らせている間も自意識過剰でなくこちらを見られていることに気付いた。
なんなんだ、ちゃんと書けているか監視されているのか?
「あの……」
「どうした? 分からない所があったか」
「いや、そういう訳じゃないですけど……」
「何かあったら言えばいい」
なんで見ているのかと聞こうと思ったのだが、どうにも聞きにくい。
それに司お兄ちゃん、なんだかやたらと課題を手伝いたいような口ぶりである。自分の課題が上手くいってなくて気分転換でもしたいのだろうか、と余計なことを思う。
その後レポートの内容にまで口を出してきて、更にお兄ちゃんがレポートを書き出しそうになり慌てて制止した。流石にそこまでされたら私がやることがなくなってしまう、というか普通にそれは駄目だろう。
結局その日はレポートがまとまるまで、司お兄ちゃんに構い倒されることになった。
本当によく分からない人だ。




