35話 昨日の敵は昔の友
ブラッドレイさんが本当にみーちゃんなのか、明日になったらはっきりと尋ねようと思っていたら、待ちきれなくて中々寝付けなかった。
布団に入りながら思い出していたのだが、そういえば私はみーちゃんの本名を聞いた記憶がなかった。いや、もしかしたら一度くらい言っていたかもしれないがまるで覚えていない。私の中でみーちゃんはみーちゃんだったのだ。
のろのろと歩きながら教室に入ると、もう彼女は登校していた。いつものように背筋を伸ばし、堂々としている。が、彼女は一人だ。
授業が始まるまでまだ時間も十分ある。私は鞄を置くと、すぐに彼女の元へと足を向けた。
「ブラッドレイさん、ちょっと話があるんだけど」
「な、なんですの。昨日の決闘の勝敗でしたら……」
「いや勝敗のことじゃなくて、大事な話なんだけど」
「……分かりましたわ」
私が話しかけると彼女は驚いたように目を見開いた。今まであんまり彼女に話しかけることもなかったからなあ。了解してくれてよかった。
教室で話すのもちょっと話辛いので、あまり人がいない階段を選んだ。ブラッドレイさんは、少し居心地が悪い様子で立ち尽くしている。何せ昨日決闘をした相手だ、みーちゃんのことがなければ、私だって気まずかったことだろう。
「それで、用とは何なのです?」
「あのさ……ブラッドレイさんって、小さい時にこの辺に住んでなかった?」
「ええ……一年ほどですが」
何故知っているのか、というように訝しげな表情を浮かべている。やっぱりそうだ。
「その時に昨日のミサンガを貰った、合ってる?」
「な、なんでそんなこと知っていますの!? あなた、わたくしのことを嗅ぎ回ってるんじゃないでしょうね!」
「違う違う、そんなんじゃないよ! あの、そのミサンガ、お願いだからちょっとだけ見せてよ」
「嫌です!」
「ほんの少しでいいから!」
お願い、と手を合わせて何度も頼むと、最初は取りつく島もなかった彼女だったが、最終的に「本当に、少しですからね」と折れてくれた。
彼女は大事そうに手首から黄色いミサンガを外すと、それを私に差し出した。
私は慎重に受け取ると、食い入るようにミサンガを観察する。昨日私が切ってしまった部分は繋ぎ直されている。いやそれだけではない。このミサンガが切れたのは昨日だけではないようで、いくつもの結び目が作られており手首に巻くのもぎりぎりの長さになっていた。
間違いない。みーちゃんに似合うと思った黄色を中心に選んだ紐。作った時は上出来だと思っていたのに、今見ると微妙な出来の三つ編み。まさしく私が作ったものだ。
「やっぱり……」
「もういいでしょ! 返しなさい」
奪われるようにミサンガが手の中から消える。
「これ以上あなたに付き合っている暇はないですわ。失礼いたします!」
「あ、待ってよ、みーちゃん!」
せっかく確信が持てたというのに。私は踵を返したブラッドレイさんの……みーちゃんの腕を慌てて掴んだ。振り払われそうになるが、何とか彼女を止める。
振り返ったみーちゃんは、非常に怒っていた。
「馴れ馴れしく呼ばないでほしいですわ、わたくしを誰だと思っているの!」
「話を聞いてよ、ねえ。みーちゃんでしょ? 私だよ、そのミサンガ作ったひーちゃんだよ!」
「はあ!? 何を言うかと思えば、そんなことあるはずがありませんわ!」
「いやいや本当だって! 小さい時に一緒に遊んだでしょ」
「ひーちゃんはわたくしのお姉さまのような方で……それにもっと可愛らしい子です!」
確かに昔は前世の記憶があったこともあって、みーちゃんにお姉さんぶっていた時もあったなあ、と思い出す。
そして私がみーちゃんの容姿を事細かに覚えていなかったように、彼女も私の顔を大して記憶していなかったのだろう。ひーちゃんはずっとこんな顔です。
言い合っているうちに疲れたのか、段々とお互いに言葉がなくなっていった。
はあはあ、と息を整えていると先ほどまで怒っていたみーちゃんが、一度言い争いが止んだからか冷静になり、言葉を紡いだ。
「……証拠はありますの」
「証拠?」
「あなたがひーちゃんであるという証拠を出しなさいと言っているのよ。もし嘘を吐いていたら……」
もし今剣を持っていたら絶対に突き付けられていただろう。消えた語尾に少々不穏なものを感じながら、私は頭を捻った。
証拠って言われても何かあるだろうか。私がひーちゃんであると一発で分かるもの。
ミサンガは作ったと言っても信じて貰えないだろうし、一緒に遊んでいた子の名前を言うとか?
しばし考えたが、私ははっとしてみーちゃんの目を見て口を開いた。
「幽霊」
その一言を口にした途端、彼女はびくりと肩を揺らす。
これだ。
「最初に会った時、みーちゃんは幽霊だもんって言い張って」
「それ以上言うと許しませんわよ!」
彼女は手で物理的に私の口を塞いだ。もがもが、と呻く私に容赦することなく全力で押さえ付けてくる。
あ、ちょ、鼻まで塞がれたら息出来ない……!
「ぶはっ」
本気で抵抗すると、流石に正気に返ったのか手を放してくれた。空気が美味い。
まったく、昔の自分が恥ずかしいのは分かるけど、ここまですることないのに。
しかし、これで証明できたはずである。私はぜえぜえ言いながらみーちゃんに得意げに笑いかけた。
「ね、信じてくれたでしょ」
「わ、わたくしは……」
対するみーちゃんは口をぱくぱくさせて何かを言いかけた。けれどそれは音になることはなく彼女はよろよろと後退したが、やがて意を決したかのように吹き抜けの階段に響き渡るように大声をあげた。
「……わたくしは、決して認めませんわよ!」
「え?」
「あなたがあのひーちゃんだなんて、絶対に信じませんわ!」
えー、ここまで来て認めないとは思わなかった。
みーちゃんはそう高らかに宣言すると逃げるように教室の方へ走っていった。
「……それでさ、なんで認めて貰えなかったと思う?」
その日のお昼休み、私は昨日の出来事を昴に聞かれた為、朝のことを合わせて話すことにした。お昼ご飯は外でどこかで食べているのか、教室はみーちゃんの姿はなかった。
昴はふんふんと食べながらも相槌を打って聞いている。
「そりゃあ単に意地を張ってるだけだろ」
「何で?」
「ぼろぼろのミサンガをそんなに大事にしてひーちゃんとの絆を信じてたのに、まさか本人に気付かずに決闘申し込むとか、赤っ恥にもほどがあるだろうが」
昴の言葉に成程、と納得する。確かに気付かなかったのがショックというのはあるのかもしれない。
だけどこちらとしては昔みたいに普通にしゃべったりしたいのになあ。
あのみーちゃんの様子からすると、仲良くなるのは時間が掛かりそうだ。
「ひなたちゃん居ますかー」
お弁当を食べ終わった頃、不意にそんな声が聞こえて私は廊下に目を向ける。すると、最近会えていなかった恭子ちゃんが私を探すようにキョロキョロと教室の中を見回していた。お昼なので皆好き勝手に動き回り、窓際にいる私は見つけにくかったようだ。
「友達?」
「そう、ちょっと行って来るね」
昴に断りを入れて席を立つ。そして恭子ちゃんの元へ向かうと、途中で私に気付いたのか「あっ」と声を上げて手を振った。
「ひなたちゃん久しぶりだね」
「うん、学科が分かれてると中々会えないね」
嬉しそうな恭子ちゃんに、私も自然と笑顔になる。彼女とは中等部に進学してから初めて会う。
この学校は学科ごとに校舎が分かれている。同じ学科なら中等部と高等部は設備の問題か一緒の建物であるが、だからこそ騎士科の授業は大抵この校舎だけで行われていて他の学科の校舎に行く機会は殆どないのである。
今日はどうしたのか、と恭子ちゃんに聞くと「ひなたちゃんに会いに来ただけだよ」と嬉しいことを言ってくれた。
「経営学科の制服、可愛いね。騎士科はなんかびしっとしてるからちょっと肩が凝るんだ」
「うん、私も気に入ってるんだ。でも騎士科のはかっこいいよ」
彼女は私に見せてくれるようにその場で一回転する。うん、姉様の制服を見た時も思ったけど、やっぱり可愛いな。
「騎士科はどう?」
「ちょっと名前で面倒なことになってるけど、楽しいよ」
「あー、鳴神だもんね」
「やっぱり初等部の時とは違うよね」
「あんまり騎士科志望の子いなかったもんね。同じクラスだった子は魔術科に行った子が多いみたいだし。……ひなたちゃん、そういえば最近陣君達に会った?」
恭子ちゃんも久しぶりだが、陣君や藤原君といった魔術科の子は基本的に顔を合わせることがない。経営学科や教育学科の校舎は騎士科と隣同士なのだが、魔術科は同じ敷地でもかなり遠いのだ。わざわざ行こうと思わなければ会うこともない。
「陣君達どころか、中等部に入ってから魔術科の人自体一人も見てないよ」
「やっぱり学科が違うと中々会えないよね。また前みたいに皆で遊びたいのになあ」
「だよねえ」
学科が違えばスケジュールは勿論のこと帰る時間も異なる。それに騎士科に入って父様の特訓が一段上のものになった為、あんまり遊ぶ時間も取れていない。
また皆で遊園地とか行きたいなー。
「ひなた、次移動だぞ。先行ってるからなー」
遊びたいね、と二人でため息を吐いていると、教科書を抱えた昴がやってきた。彼の言葉に時計を見ると、お昼休みはもう残す所少しになっていた。
恭子ちゃんも帰らないといけないし、名残惜しいがこのくらいにしなくては。
昴は通りすがりに恭子ちゃんを見ると「ひなた、可愛い友達がいるんなら紹介してくれよな」とふざけたことを言い、ひらひらと手を振って教室を出て行った。
まったく、恭子ちゃんもぽかんとしているじゃないか。
「……ひなたちゃん」
他の女の子とは合わせないようにしなくては、と考えていると突然茫然とした様子で昴の後ろ姿を見ていた恭子ちゃんが、がしっと強い力で私の両肩を掴んだ。
「ど、どうしたの」
「あの人、誰? 名前なんて言うの!?」
「え?」
いきなり恭子ちゃんに捲し立てられるように問い詰められて、私の思考は一瞬停止した。
え、誰の名前? ……昴?
「藍川、昴だけど……?」
「昴君、かあ」
本当にどうしたんだ恭子ちゃんは。
頬を紅潮させながら、もう姿も見えない廊下をじっと見つめる彼女。こ、これはもしや。
「恭子ちゃん……」
「あっもう時間だし行くね。また来るから、絶対来るから!」
腕時計に目を落として、それから彼女は足早に教室を去って行く。待って、と言いたかったのだが止める間もなかった。
真相を確かめることも出来ずに、言いようのない気持ちが広がった。
「恭子ちゃんが、昴に?」
まさか、恋した!?




