30話 相棒
「……大丈夫じゃねーだろ」
「あはは……」
ようやく立ち上がれる段階になって気付いたのだが、右足の脛が滅茶苦茶痛い。魔物に噛まれた傷は予想以上に深く、大量ではないものの血が止まらずに滴っている。自覚するまでは何とも思っていなかったのに、しっかりと認識すると途端に痛みが酷くなるから不思議なものだ。
陣君は呆れた表情を隠すことなく、私に見せつけるように大きくため息を吐いた。そして彼はおもむろに袖を捲ると手首に着けていた腕輪を私の方に向ける。
「これって、陣君の魔道具?」
「ああ、授業で先に作った治療魔術の魔道具だ」
陣君が腕輪をいじると、目に痛くないくらいの淡い光が傷口に向かって放たれた。しばらくの間その光は傷口を照らしていたものの、やがて魔力が切れたのか周囲に暗闇が戻る。
「……やっぱり、殆ど効果はないか」
眉間に皺を寄せながら彼は私の脛を見る。血はなんとか止まっているものの、裂傷は殆ど変化がなかった。
「普通はどのくらい治るものなの?」
「今の魔術だったら傷があったことすら分からないくらいには回復してるはずだ」
治療魔術を受けたのは初めてだったが、なるほどここまで効かないものだったのか。いや、普通の攻撃魔術がちっとも効果がないことを考えると、止血出来ただけでも儲けものだと思った方がいいだろう。
「十分だよ。ありがとう」
お礼の言葉を告げても、陣君は魔術の効果に納得していないようで未だに眉間の皺が取れることはなかった。
さて、落ち着いたところで問題に直面している。
「これは、ちょっと無理かな」
「だな」
私達は崖の上を見上げながら途方にくれていた。上まで戻ることができないのだ。
落ちた時は大した高さではなかったと思っていたのだが、いざ登ろうとしても手足を掛ける場所もなく、ましてや怪我した足では到底登ることなど叶わない状況なのである。
「どうしようか」
「誰かが来るのを大人しく待った方が賢明だ。さっき雷の魔術も使ったし、ある程度の居場所なら分かるだろう」
五年生で雷の魔術を使える子なんて多分陣君だけだろう。遠くからでもあの光は見つけやすいし、いい目印になる。
私達は崖の下の地面に座り込んだ。暖かい時期でよかった。冬だったら凍えていたかもしれない。
迎えが来るまで私は足を休め、陣君は腕輪に魔力を補填している。
「ごめんね、せっかくの魔道具使わせて」
「別に。魔力を込めるだけでまた使えるから大した問題じゃない」
「陣君、まだ魔力あるの?」
先ほどから躱された分も含めて結構な数の魔術を使っていたはずだ。それに治療魔術はかなりの量の魔力を消費すると聞いている。
しかし彼は苦しむ様子もなくけろっとしていた。
「有り余ってるな。これが終わったらお前のペンダントも貸せ。減ってるだろ」
「う、うん」
陣君の魔力量は当主――おじさんよりも多いという話は聞いたことがあったが、ここまでとは思ってもみなかった。彼が言うには、今までどれだけ魔術を使っても一度も魔力切れを起こしたことはないのだそうだ。恐るべし、陣君。
私はペンダントを外して陣君に渡す。
「これが無かったらもっと怪我してたよ。本当にありがとう」
「その為の物だろ。気にしなくていい」
クールにそう返した彼は魔石部分に指先を当てて魔力を流し込む。私の元へ帰ってきたペンダントは何だか先ほどよりも暖かく感じた。魔力に温度などないけれど、なんとなくそう思った。
魔力の補填が終わると、互いに沈黙が続く。別に居心地の悪いものではなかったけど、何か話したいなと考えていると、ふと先ほどまで武器にしていた枝が目に入った。
そう、戦っている時は考える余地などなかったけど、おかしいのだ。
「どうしてこんな所に魔物なんて出たんだろうね」
「確かにな」
魔物の生息地は基本的に把握されており、主に魔力が多く集まる場所に発生すると言われている。林間学校を行うに当たって魔物が発生する確率があるような場所を選ぶはずもない。
無論例外も存在する。市街地に魔物が発生した事件も過去にはいくつか起きているし、絶対に現れないという保証はどこにもない。けれど、こんなタイミングで魔物に襲われるのは果たして偶然で片付けていいものだろうか。
「けど、倒せたのは幸運だったな。それに魔物の数も少なかった」
「そうだね。狼型の魔物ってもっと群れで行動するって聞いてたけど、結局二匹しか出てこなかったし」
そう口にしながら、実はまだいるのではないかと一瞬不安が頭を過ぎったが、嫌な気配はしないし、陣君も魔力の乱れなどは感じ取っていないみたいだ。少なくとも、また襲われることはなさそうである。
「お前、結構強かったんだな」
「そう?」
「魔物のスピードにも負けてなかったし、魔物と戦うのだって初めてだっただろ? それなのに結構落ち着いてたしな」
スピードはともかく、戦うのに精一杯で他に何も考えていなかったともいうが。
基本的に家での試合は家族にこてんぱんに負けていたのでまだまだだとも思うが、魔物相手に通用して本当によかったと思う。
「私の夢は姫様の騎士になることなんだから、もっと強くなるの!」
少なくとも、こんな傷を負うようじゃ駄目だ。私は怪我をした足を見下ろして小さく息を吐く。私の体は治療魔術が効かない代わりに自然治癒でも割りと治りが早い。しかし大怪我をしたらひとたまりもないだろう。もっと、強くなるのだ。
とりあえず、家に帰ったら兄様と勝負してもらおう。
「……姫様の騎士、か」
「陣君はやっぱり将来魔術師になるの?」
「……それは」
私が何気なく尋ねた質問に、陣君は言葉を詰まらせた。どうしたのだろうと顔を覗きこもうとするが、暗いのでよく見えない。
陣君の言葉をしばらく待ったが、長い沈黙の後に彼はようやく口を開いた。
「小さい時は、絶対に魔術師になんてならないって思ってた」
「え?」
「周りの連中は俺の魔力の高さにすごい魔術師になるって囃し立てて、だけど制御が出来なくて魔力暴走を起こすと知ると掌を返して不知火の人間のくせにって罵倒してきた。お兄さんはあんなにすごいのに、って。
父さんにスパルタでコントロールを仕込まれてからも、魔術なんて大嫌いだった。周りが何て言おうと魔術師になってたまるかって思って、魔術が制御できるようになったことも隠してた。だけど……」
陣君はそこまで言って言葉を切る。微かに月明かりに照らされて垣間見た彼は、嬉しそうに微笑んでいたように見えた。
「……最近、楽しいんだ。あいつらに魔術を教えることも嫌いじゃないし、こうやって自分で作った魔道具が役に立ったのも嬉しい。ようやく、魔術を好きになることができた」
「陣君……良かったね」
「ああ」
珍しく明るい表情の彼に、私も釣られて笑った。入学式の時の陣君を思い出す。おじさんに隠れて周りを拒絶するように俯いていた彼を。
陣君はこんなにも変わったのだ。
「お前は姫様の騎士になるんだろ?」
「勿論! 絶対になるんだから」
「なら、魔術師の枠は空けとけよ」
「……え?」
「前に言っただろ、お前となら組んでやってもいいって」
「鳴神ー、不知火ー、聞こえたら返事をしろー!」
陣君の思わぬ言葉に気を取られていると、突然上の方から拡声器を使ったような大きな声が森に響き渡り、驚いた。
「先生が来たみたいだな」
「先生ー! ここです、ここー!」
「そこか、お前ら無事か!?」
懐中電灯の光を浴びせられて眩しい。やっと助けが来たと立ち上がろうとすると、何も言わずとも陣君が手を貸してくれた。
結局、魔物が出たこともあり林間学校はそのまま中断することになってしまった。仕方がないと思う一方、もっと遊びたかったとがっかりする。
足の怪我は歩けないほどではなかったものの、魔物に噛まれた傷ということで病院に運ばれることになってしまった。迎えを待つ間ひたすら恭子ちゃんに泣き付かれ、泣き止ませる為に相当な時間が掛かった。どうやら彼女は自分の所為だと思っているらしい。
「私が……行きたくないって我が儘言ったから」
「どのみち順番が変わっただけだから、誰かは魔物に襲われてたんだよ。だから恭子ちゃんの所為じゃない」
むしろ全く戦えない子が襲われていたかもしれないのだ。この程度の怪我で済んだのが本当に幸運である。
縋りつく恭子ちゃんを皆で宥めながら、予定よりも短い林間学校は幕を閉じてしまった。




