19話 不知火さん家の晩御飯
一年の時、姫様に会いに行った帰りに廊下の曲がり角でぶつかった美人さん。
いつもの私なら絶対にそんな些細なことを覚えていない。けれど、そんな私の記憶にさえしっかりと残ってしまうほど、この人の顔面のインパクトはすごかった。
まあ、ちらっと聞いたはずの名前までは覚えていない。
黙り込んでいた私を陣君が前に押し出す。
「兄貴、今日うちに泊まるって言ってたひなただ」
「は、初めまして、鳴神ひなたです! お世話になります」
「鳴神……」
というか、陣君のお兄さんだったんだ。
お兄さんは紹介された私を見下ろした。身長が違いすぎてこうやって上から見られるとちょっと怖い。無表情なので何を考えているのかちっとも分からないけど、歓迎されていないという訳ではないらしい。彼はしばし私を見た後、そっと頭に手を置いて「ゆっくりしていくといい」と、言ってくれたのだから。
そして彼はそのまま廊下を歩いて行ってしまった。
思わずその後ろ姿を目で追っていると、陣君に肩を掴まれる。
「いつまで見てるんだ、さっさと戻るぞ」
「ああもう、待ってよ」
全く、陣君はいつもせっかちだなあ。
リビングに戻ると、そこには不知火のおじさんが帰って来ていた。おじさんを見て、陣君がいきなり回れ右をしたことに驚いていると、
「陣、お帰り。ひなたもよく来た!」
と両腕を伸ばし、囲い込むようにして私達を一遍に抱きしめた。
ちらりと隣にいる陣君を見るとうんざりとした表情を隠していなかった。
「おじさん、お世話になります……あの、苦しいです」
「ああうん、ごめん。つい」
ついって。おじさんを見た瞬間に陣君が逃げ出そうとしていた所から見ると、きっといつもやってるんだろうな。
「父さん、お帰り」
「ただいま。もう司も帰って来てるだろ? 早速夕食にしようか」
ああ、そうだ。そういえばあの美人さん、司って呼ばれてたっけ。
「もう準備出来ておりますよ。司様をお呼びしてきます」
「頼む」
そこへ、キッチンからひょいっと顔を出した佐伯さんがおじさんにそう言葉を掛ける。本当に有能な人だ。そして、有能であるが故に苦労してそうである。
おじさんに連れられてダイニングテーブルに着く。家全体は広いものの、リビングやキッチン、ダイニングなどはうちとさほど変わらない。あまり広くても落ち着かないのでよかった。
しばらく待っていると、料理を持った佐伯さんと共に美人さん――司さんがやってきた。そうして彼が席に着くのを確認すると、おじさんが「昨日伝えたが」と話し始める。
「週末うちで預かることになったひなただ」
「あの、よろしくお願いします」
「ひなた、こっちはうちの長男、陣の兄の司だ」
「不知火司。……前に学校で会ったな」
「ええっ覚えていたんですか!」
まさか覚えられているとは思ってもみなかった。司さんは一目見れば中々忘れない顔をしているが、私は特別特徴の無い容姿である。もしかして、鳴神の子というのをあらかじめ知っていたのか?
「兄貴と会ってたのか?」
「一年の時に廊下でぶつかっちゃったの」
「その時もぶつかったのかよ」
実はそうなんです。そんな呆れた顔しないで。
一通り挨拶を終えると、食事が開始される。夕食の献立はハンバーグとサラダ、コーンスープにパンという、完全な洋食だった。
食べられないものが無くてよかった、というのが第一の感想である。人の家に来て残すのは流石に申し訳ないし、無理して食べるのも、そしてそれを見られるのもご遠慮したい所だったのだ。
まず一口、ハンバーグから口に入れる。ふわっと優しい口通りだ。手の込んだお店の味というよりは、いつも口にする家庭料理の味わいでとても美味しい。
「美味しいです」
「よかった。佐伯の料理は基本的に美味しいんだが、時々爆弾が出てくる時があるからな」
爆弾って……どういうことなんだ。
「この前のミネストローネ、見た目は普通だったのに滅茶苦茶甘くてびっくりした」
「ああ……あれはすごかったな」
不知火兄弟が揃って遠い目をしながらそう呟く。佐伯さんまともな顔してなんて恐ろしい物を生成してるんだ。
「お前も後二日いるんだ、当たるかもな。というか当たれ」
がし、と隣の陣君が私の服を掴みながらそう言う。やめて、道連れにしないで!
「陣とひなたがじゃれてる! 司、カメラ持って来い!」
「父さん、食事中」
こんな所にもカメラマンが潜んでいたとは。しかし司さんに冷静に切り返されている。
何でも写真を撮りたがる女子高生みたいだ。
そういえばおじさんに言いたいことがあったのを思い出した。
「おじさん、お願いがあるんです」
「ん? 何だ?」
「あの、出来れば……あの部屋変えてもらいたいんですけど」
「部屋?」
何か問題でもあったのかとでも聞きたげなおじさんに、私のセンスの方がおかしいのかと思い始めてしまう。
私の泊まる客間を知らないらしい陣君はレタスを口いっぱいに頬張りながら首を傾げている。
「気に入らなかったのか? どの客間だ?」
「どピンクの」
「ああ、あの部屋か……」
私の一言で部屋を特定したのか、陣君はげんなりとため息を吐いた。やっぱり私、間違ってないよね!?
「ひなたまで陣と同じことを言うのか? 女の子らしい部屋をイメージして作ったんだが」
「……悪いが、他の部屋は布団を干してなかったり、物置同然になっていたりして今回は無理だ。申し訳ないがあれで諦めてくれ」
「司、あれって言い方はよしてくれ」
三人から否定されて、おじさんは少し不満げである。いや、多分ああいう部屋が好きな女の子もいるとは思うよ、具体的には思いつかないけど。
あっ姉様だったら好きかどうかは分からないけど、平気そう。
「じゃあ、次に泊まる時はひなたが好きな部屋にしよう」
と、最終的に何故かそれで手を打ったとばかりにその話題は幕を閉じた。さりげなく次の約束まで取り付けられている。
夕食を食べ終えると食後に紅茶が出された。猫舌なので冷めるまで話すことにする。
「えっと、司さんは……」
「司さんって呼び方、なんだかお嫁さんみたいだね」
「おい」
私の言葉におじさんが良く分からない例えを言い、陣君が突っ込む。不知火家って面白いな。
「じゃあなんて呼べばいいんですか?」
「……別に何でも」
「そうだねえ、司お兄ちゃんっていうのはどうだい?」
おじさんの主張が激しい。
まあでも、同級生のお兄さんをさん付けで呼ぶのは、確かにちょっと呼びにくいものがある。おじさんが茶化してきたから尚更だ。しかしお兄ちゃんも中々ハードルが高いような。
私は悩んだ末、後者を選んだ。
「司お兄ちゃん」
「……何だ」
最初の沈黙にものすごい葛藤が込められていた気がしたが、やっぱり嫌だったのだろうか。
「司お兄ちゃんは中等部なんですよね? やっぱり魔術科ですか?」
「ああ。中等部一年、魔術科所属だ」
かっこいいなあ。前世だったら「○○中学校一年です」と答える所を、こんなにかっこいい肩書になるのか。学校名まで入れるとさらにすごいことになる。
ちなみに中等部から分かれる学科は、騎士科、魔術科、経営学科、教育学科、政治学科、医療学科の六つである。最初二つのインパクトと言ったらない。
「中等部ってどんな授業になるんですか?」
「そうだな……、基本的には学科ごとで受けることになるが、基礎教養などの共通授業もある。それに魔術科は騎士科と合同の授業もいくつかあったりする」
「へえー」
「一番大きいのは五年に一度行われる生徒同士のトーナメント戦だな。これは桜将軍のように騎士科と魔術科の生徒がペアになって優勝を狙うんだ」
桜将軍、とは王族に付く騎士、魔術師の専属護衛の通称である。つまり私がなりたいものだ。
桜将軍において重要なのは、騎士と魔術師がいかに上手く連携できるかに掛かっている。そのトーナメント戦も、それが重要視されることだろう。
「ひなたは騎士科に入るんだろう?」
「勿論です」
「ならそのトーナメントにも参加できるかもね。優勝したペアは本当の桜将軍になるっていうジンクスもあるんだ」
おお。よくある話だが、そう言われると頑張りたくなる。
「ひなたと陣なら、きっと優勝間違いないな」
「俺?」
急に話題を振られた陣君が、飲んでいた紅茶をむせた。そういえばもう飲めそうだ。
「鳴神さん家のひなたちゃんが出場するなら、不知火さん家の陣君と組むのは当然じゃないか」
「……そうなのか?」
「いや私に聞かれても」
陣君、家族には割と素直なようで、言われたことをそのまま鵜呑みにしてそうだ。
彼は、おじさんの言葉をぶつぶつと繰り返すようにして考えこんでおり、話しかけ辛い。
「私は構わないけど、陣君が嫌なら無理しなくてもいいんだよ。どのみちずっと先の話だし」
今の時点でそんなに真剣に考えなくてもいいのに。
「……別に、構わない。お前と組んでやってもいい」
「そ、そうですか。ありがとう……」
なんでこんな流れになったんだ?
偉そうな了解の言葉を得て、私は首を傾げながら紅茶を口にした。




