18話 お宅訪問
車のエンジンが止まる。どうやら不知火家に到着したようだ。
玄関まで来ると、運転手の男性が重厚な扉を開け「お二方、お帰りなさいませ」と優雅に一礼する。
一瞬執事喫茶に来たのかと思った。
呆けた私を置いて、陣君はずかずかと家の中へ入っていくので慌てて私も後を追う。
「ひなた様のお部屋はこちらです」
「あ、どうも」
家の奥に向かう陣君に釣られて進みそうになった私に軌道修正がかかる。促されて運転手さんの後を着いて行く。
……というか、運転手って家の中まで案内するのか?
何やら疑問が顔に出ていたのか、「どうなさいましたか」と聞かれる。
「あの、お兄さんって運転手じゃなかったんですか?」
「ええ。運転手兼執事兼家事担当です」
「ええー」
どんだけ忙しいんだ。というかそれをこなせるなんて、とんだハイスペックである。
まだ若いのにすごいなあ。
「くっ」
気付かないうちに口に出してしまっていたようだ。小さく笑われる。そりゃあそうだ、七歳児が「まだ若いのにすごい」なんて中々言わないだろう。
「ご期待に沿えませんが、私は今年で四十になります」
「……え?」
はい?
私はもう一度お兄さんをしっかりと見た。……どう見ても二十代、頑張っても三十いくかいかないか、という所である。
「……本当に?」
「……本当に」
思わず聞き返した私に、お兄さん――お兄さんという敬称で良いのか迷うが――はにこっと笑った。
思ったよりも堅い人ではなさそうである。
「えっと、お兄さんは……」
「すみません、名乗っておりませんでしたね。私は佐伯と申します。以後お見知りおきを」
「佐伯さんですね。それで、佐伯さんが家事も担当してるってことは、陣君のお母さんは仕事をしてるんですか?」
うちの母様は専業主婦……いや、カメラマン兼主婦なので、家事は全て行っている。
入学式でもおじさんしか見なかったし、忙しい人なのかなと思っていると、佐伯さんはどことなく痛ましげな表情を浮かべていた。
それを見た瞬間、触れてはいけない話題だったと気付かされる。
「奥様は……五年前にお亡くなりになりました」
「あの、すみません。無神経なことを……」
陣君のお母さん、亡くなっていたのか……。
本人の前で迂闊なことを言わないように気を付けなければ。
「こちらがひなた様のお泊りになられる客室です」
「……この部屋、ですか」
案内された部屋の扉が開かれると、そこにはピンク、ピンク、ピンクで満たされていた。.
さらによく見ると、お人形やぬいぐるみなどが壁際の棚に所狭しと並べられ、極めつけは凄まじい存在感を放つ天蓋付きのベッドであった。
「……す、すごい部屋ですね」
「小さな女の子がお泊りになる時に、と当主様が自らデザインされました」
おじさんが一体どんな顔をしてこの部屋を作ったのか気になる。不知火家は我が家よりも大きく、泊まる人に合わせた客室が他にもいくつもあるらしい。
「ちなみに、他はどんな所があるんですか?」
「そうですね……例えば畳を敷いた純和風の部屋でしたり、ログハウスをイメージした木目調の部屋などもありますね」
何それ、そっちの方がずっと泊まりたいんだけど。
私の期待の籠った目を見たのか、少々困った様子で佐伯さんは口を開いた。
「申し訳ありませんがご当主様による決定なので、私の一存では……」
泊まりに来ておいてずうずうしいが、後でおじさんに直談判しよう。
佐伯さんは最後に「キッチンにいるので困ったことがありましたらお尋ね下さい」と言い、キッチンの場所を教えて去っていった。
私は部屋を見回してため息を吐く。
そして今までピンクのインパクトが激しすぎて気付いていなかったが、部屋の片隅にぽつんと予め届けていた私の荷物が置かれていた。しかし私は木刀を準備した覚えはなかったのだが、何故か一緒に着いて来ている。父様だな。
せっかく陣君の家に泊まりにきたのだから、この間くらい思い切り遊ぼうと思っていた。しかし木刀を目にすると、条件反射で素振りをしなくちゃという気持ちになってくる。
木刀を持って部屋を出て元来た道を戻る。すると途中にあったリビングで陣君が宿題を広げていた。
「ねえ陣君、外走ってもいい?」
「……ああ」
集中しているのだろう、聞いているのか聞いていないのか分からない返事をされた。
まあ一応了解を得たからいいだろうと、私は再び外に出ると一旦木刀を置いて不知火家の外周を走り始めた。
……さてと、終わり。
家が大きいから外周の距離もうちより長いだろうと思っていたのだが、体の感覚的にあまり違いはないように感じた。多分うちは庭が大きいのだろう。剣の練習専用のスペースも確保されている為、それに押されるように家は一般家庭とさほど変わらない。
それからきっちり素振りをして、流石に人の家なのでここまでにしておく。
家の中に戻ると、先ほどまでリビングに居たはずの陣君がどこかへ消えていた。勝手に探し回ろうともこの家は広すぎるし迷ってしまいそうなので、私は大人しくキッチンへと足を向ける。
ジュージューと何かが焼ける美味しそうな音がした。私がキッチンを覗き込むと、慣れた手つきで調理をしている佐伯さんがいた。
「すみません、陣君がどこに行ったのか知りませんか?」
「お坊ちゃまは地下の修練場にいらっしゃいますよ。ご案内しますか?」
そうは言いながらも、やっぱり忙しいのだろう。私が場所だけ教えてほしいと言うと、少しほっとした顔をしていた。
おじさん、もっと人を雇った方がいいと思うよ。
「ここが、修練場か」
教えてもらった通りに地下の扉を開けると、そこは殺風景な空間が広がっていた。
かなり広く、しかし物は殆ど置いていない。有るものといえば、部屋の一番奥にある的のようなものくらいか。
陣君は部屋の片隅で、その的に向かい魔術を放っていた。
いきなり的が燃え出したかと思えば、次はその的に新たに氷柱のようなものを当てている。何度か色んな魔術を発動させたが、一度も的を外すことはなかった。
「陣君すごい!」
「……」
思わず拍手をしながら駆け寄ると、何故かむっとした表情で顔を背けられてしまった。
「ん? どうしたの」
「……だよ」
「え?」
「なんで勝手にどっか行くんだよ!」
陣君は怒鳴ると、ぷいと拗ねるように私に背を向けて、再び魔術を放ち始めた。
やっぱり聞いていなかったのか。
「陣君、私ちゃんと『外走ってもいい?』って聞いたよ」
「覚えてない」
「それは宿題して聞いてなかったからでしょ? 私言ったもん」
あっ、初めて的から外れた。
「……そうなのか?」
「そうだよ、今度はちゃんと聞いてね」
魔術が止む。彼は私に背を向けたまましばらく黙り込んでいたが、ややあって「ごめん」と非常に小さな声で言った。
うんうん、陣君成長してるなあ。
それからしばらく、陣君が魔術を放つのを眺めていた。
ただ的に当てるだけではなく、威力を大きくしたり小さくしたり色々試しているようだ。その中でも彼は特に雷の魔術を、何度も何度も的に当てていた。
「雷が一番得意なの?」
「そうだな、一番使いやすいのは雷だ」
雷って上級魔術なのに、それが一番使いやすいとは。将来が恐ろしい子だ。
まあ私にとっては雷の魔術がどれほど難しいのかというのは一生理解できない問題だ。他のものと比較も出来ないのだから。
「ひなたは魔術が使えないんだったな」
「どうせそうですよ」
でもいいんだ、私は騎士になるんだから。
気が付くと随分と時間が経ってしまっていた。私達は話ながら地下の階段を上がる。
「明日楽しみだねー」
「……良かったな」
「うん、陣君は何乗る? 私はね、ジェットコースターが」
言いかけた所で何かにぶつかってしまった。前を見ないで階段を上がっていたので気付かなかったが、ちょうど一階へたどり着いており、そして偶然にも階段から続く廊下いた人にぶつかってしまったのだ。
私はふらりと背後――階段に落ちそうになるが、なんとか陣君が支えてくれて事なきを得た。
「お前……重い」
「酷いよ。でも助けてくれてありがとう」
本当のことでも言っていいことと悪いことがあるんだよ。
「……すまない」
落ち着いた所でようやく、私はぶつかってしまった人を確認することが出来た。不知火の家の中なのだから、帰ってきたおじさんか、私達を呼びに来た佐伯さんかと思ったのだが、そこにいたのは予想外の人物だった。
「兄貴、おかえり」
「ああ……ただいま」
陣君と会話を交わした人物は、いつかの学校で出会い頭に衝突してしまったあの超美形の人だったのである。




