17話 お泊りします
二年生になってから少しの時間が経った。特に真新しい変化もなく、いつも通りの生活を繰り返している。クラス替えが無いので折角仲良くなれた子と離れないことは良いのだが、どうにも新学年になった気がしない。
そんな少々退屈なある日のこと。学校から家に帰ると、母様が困ったような顔をしていた。
「母様、どうしたの?」
「あ、ひなた。お帰りなさい。少しね……」
何かあったのだろうか。母様がこんな表情を浮かべるなんて中々ありはしない。
母様は少し口元に手を当てて考えるようにした後、しゃがみ込んで私に視線を合わせた。
「ねえひなた、実は母様達、明日の夜から明々後日までちょっと遠くへ行かなくちゃいけないの」
「遠く?」
「そう、だからその間、一人で不知火さん家にお泊りできるかな?」
「兄様と姉様は?」
「二人も私達と一緒に行くの。ひなたはまだ少し小さいから、また今度ね」
「えー」
一人だけ置いてけぼりなんて。私はがっくりと項垂れた。
そもそも遠くってどのくらい遠くなんだろう。沖縄よりも遠いのかな。
何故私が沖縄を引き合いに出したかというと、以前家族旅行で沖縄へ行ったからである。
寒くて家の中でがたがた震えていた二月、父様が祝日からの連休が取れたので旅行に行くことになった。その時に沖縄か北海道かどちらに行きたいかと聞かれて、寒さに震えていた私は即座に「沖縄!」と叫んだのだった。
全員一致で選ばれた沖縄旅行だったのだが、ここで私はこの世界が異世界であることを再認識することとなった。
飛行機で到着した沖縄の気温は、氷点下でした。
暖かいと期待して沖縄の地に降り立った私は、酷い裏切りを受けた気分になった。
「どうして沖縄がこんなに寒いの……」
「ひーちゃん、なんで寒いかって、そんなのどうして地球が丸いかって聞いてるようなものだよ」
兄様の言葉に寒さで凍えた頭では、そうか地球は丸いのか、よかった。としか考えられなかった。
それでもちょうど開催していた雪まつりを存分に堪能したり、結果的には楽しい旅行だった。
……大いに話が逸れたが、沖縄は連れて行ってくれたのに遠いから駄目だと言われる場所とはどこなのだろう。海外?
いや、遠いというのは嘘なのかもしれない。
深刻な母様の表情や、突然決まった所から考えてあまり楽しい予定ではなさそうだ。だからこそ、ぐずりそうな私を置いていくことにしたのかもしれない。
「お泊りかあ」
一人置いて行かれると考えると寂しいが、陣君の家でお泊りだと思えばちょっと楽しくなってきた。明日は金曜日だ。ということは休み中ずっと陣君と遊べる。
……うん、私だって元高校生なのだ。駄々をこねて母様を困らせてはいけない。
不安そうな母様を安心させる為に、私は元気よく頷いたのだった。
「陣君、今日お泊りするの聞いてるよね?」
「昨日父さんから聞いた。帰りは一緒に帰って来いって」
次の日、学校で陣君に一応確認を取っておく。
ちなみに一緒に帰って来いというのは、陣君の所の車に乗せてもらえという意味である。
うちの学校は、基本的に登校は車での送り迎えが普通である。お嬢様お坊ちゃまばかりだから危険ということもあるが、最大の理由は歩いて登校できる範囲に住んでいる子が圧倒的に少ないのだ。
公立小学校のように学区で学校を分けているのではないので、都内でも色んな所から生徒がやってくる。稀に県外から毎日通っている子もいたりするのだ。
私の家は都内だが、私の足でも毎朝走って登校する自信はない。
「おはよー! なになに、ひなたちゃんお泊り会やるの?」
陣君と迎えの車の話をしていると、登校してきた恭子ちゃんが早速食いついてきた。
「恭子ちゃんおはよう」
「……はよ」
こうやって陣君が挨拶するようになったのを見ると、なんだか成長した我が子を見ているようでちょっと感動する。
「お泊り会っていうか、ちょっと家族が用事で出掛けるから週末は陣君の家にお世話になるんだ」
「ふーん、やっぱり二人の家って仲いいんだね。……いいなあ、私なんて今週末はおばさんの所だよ。お母さんとお父さんは取引先との会合がどうのって言ってたし。おばさんが嫌いな訳じゃないけど子供は私一人だし、楽しくないんだよね」
憂鬱だなー、ため息を吐く恭子ちゃん。私も一緒に遊びたいけど、自分の家ではないので私が勝手に決められるものではない。
ちらり、と陣君を見る。その視線の意図する所が分かったのか、彼は面倒くさそうに「じゃあ、」と言葉を発した。
「泊まるのは流石に今からは無理だけど、明日父さんが遊園地に行くって言ってたから一緒に行くか?」
「遊園地?」
「え、そうだったの?」
恭子ちゃんの目がキラリと光った。
私も知らない情報だ。おじさん、そんなに気を遣ってくれているのか。
すると話を聞くや否や、目にも止まらぬ速さで恭子ちゃんが陣君の服を掴んで揺さぶった。
「行く、行きます! チケット代はちゃんとお父さんにお願いするから! だから連れてってください陣様!」
「わか、分かったから放せ!」
「やったー!」
陣君は男子の中でも結構小さいので、恭子ちゃんに揺らされると全く抵抗も出来ないままガンガン揺さぶられ続けてしまう。舌を噛みそうになりながらなんとか了解の返事をすると、恭子ちゃんは喜びのあまり教室を駆け回った。
「おはよ……って恭子は何してるんだ?」
「大吾郎君も一緒に行こう、そうしよう!」
「何の話だ!?」
登校早々、テンションの上がった恭子ちゃんに巻き込まれた藤原君は、唐突な発言に只々首を傾げるばかりであった。
「帰るぞ」
「ちょっと待ってよ」
最後の授業も終わり、連絡事項が伝えられると解散だ。陣君がさっさと帰ろうとするので慌てて教科書を鞄に突っ込み、彼の後を追いかけた。
そのまま専用の駐車場へと向かうと、黒塗りの車の前に二十代くらいの若い男が立っていた。陣君は迷いなくその男の元へと進んでいく。
余談だが、車に全然詳しくない私でも、その車が他に停まっている車よりも恐ろしく価値のあるものなのだろうということは窺えた。不知火さん家は相当稼いでいるらしい。
「お帰りなさいませ、お坊ちゃま」
「……お坊ちゃまは止めろと言ってるだろ」
若い男は陣君が来ると優雅に頭を下げる。年の割には貫禄がある人だ。彼は不機嫌そうな――いつものことだが――陣君を見ると、次に後ろに着いていた私に目を向けた。
「そちらのお嬢様は、鳴神のご令嬢でよろしいですか?」
「ああ」
「お話は伺っております。ではお乗りください」
ごごご、ご令嬢とか言われてしまった。普段から木刀を振り回してあちらこちら跳ね回っている私には似合わな過ぎる名称である。
それにしても堅っ苦しいな、と思ってしまった。うちの運転手は朗らかなだがしっかりしているおじいちゃんで、呼び方も「ひなたちゃん」と呼ばれて孫のように接してもらっている。
陣君に続いて車に乗り込むと、座席がふかっと気持ちよくて思わず跳ねて遊んでしまった。
「人の車でぐらい大人しくしろ」
「すみません……」
おかしいな、私精神年齢かなりいってるはずなのに、なんで小学二年生に窘められてるんだろう。




