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「え? 誰、君」
喫煙所の入り口、つまりはそこから出ようとしていた俺の目の前に突如現れた声の主に驚愕の声を上げる。情けない話だが混乱を極めると人間は片言になってしまうようだ。
「申し遅れました。私、株式会社キュウセイ第一営業課特殊営業部事務員の恵那と申します。本日付で第三営業課から移動になります貴方の秘書職も兼任いたしますので、今後とも、どうかよろしくお願いいたします」
そんな馬鹿丁寧な挨拶をした彼女はそのまま俺に向けて深々と頭を下げる(最敬礼という奴だ。とてもじゃないが中学生ほどに見える彼女がするには似合わなさすぎる)が、俺が訊きたいのはそんなことじゃない。いや、誰だと質問したのは俺だけれど、それはとっさに出てしまった言葉であって実際はこう言いたかった。
「いや、別に君の素性を訊きたかったわけじゃなくて。というかウチの社員なのか、ってそれも違う。お譲さんじゃなくて、山県。俺が言いたいのは状況を説明しろってことだ。こんな女子中学生を捕まえて俺にドッキリでも仕掛けてんのか?」
もう支離滅裂な言葉だ。仮にも営業職に就いている人間の話す内容ではない。だが、それほど俺は混乱しているのだ。
「いいから恵那の言葉通りに第三会議室で説明を受けてこい。もし嘘だったとしたら俺がお前ん所の課長に土下座でもなんでもして責任とるから」
既にお手製ライターで咥えていた煙草に火を点けていた山県は、いい加減にしてくれと言わんばかりの表情で言った。俺はそんな山県の態度に幾らか苛立ちを覚え「分かったよ」と普段ではめったに鳴らさない舌を打ち、正面の恵那さんへと振り返り言った。
「えっと、恵那さんでよかったよね? いまいち、というか丸っきり現状を呑み込めてないんだけど取りあえず説明してもらってもいいかな?」
明らかに年下だろうが敬称は付ける。これは癖みたいなもので小学生位の子供ならちゃんづけで呼ぶが、ここまでの年齢になるとどうしてもさん付けで呼んでしまう。これは圧倒的に思春期であろう子供の対応が苦手だからだ。
「かしこまりました。元より貴方へのご説明が本日の業務なので」
「ああ、そう……」
可愛げのない。率直な感想はそれだった。
「それでは、山県さん。お疲れ様でした」
恵那さんはそう言って、俺にしたような最敬礼を山県へと向ける。以前より面識があったであろう二人の間に独特の空気が流れる。口調こそ相変わらずだが、恵那さんの山県へと向ける表情は少しばかり柔らかい気がした。
そして、彼女を見る山県の顔も。
「おう。恵那も御苦労さん」
山県はそう短く彼女を労うと、煙草を持つ右手を少しだけ上げ、振った。その振動で彼の袖口に灰が落ちるが山県は気にもかけずに俯いてしまう。
「おい、後でお前にも訊きたいことがあるからな。定時になったら一度顔を出す」
俺はそんな山県に言った。恵那さんは既に会議室へと向かって歩き出しているが、俺もこの会社で働いているので会議室の場所は把握している。
「わからねーよ。ひょっとしたら早退するかもな」
俺の言葉に顔を上げて、ニヤリと口元を釣り上げる。ニヒルを気取る事の多い山県だったが、その表情は疲れきっていて、普段よりも様になっていなかった
「それじゃ、明日だ。とにかく話をする機会は設けさせてもらうからな。ここでも良いし、飲み屋でもいいから」
俺はそれだけを言い残し、山県の返事を待たず先を行く恵那さんの背中を追いかける。
「本当に、疲れた」
俺の背中に、山県が何か言葉をかけた気がするが、生憎と聞き取ることは出来なかった。