親父
1
仕事を終えて、独身寮の自分の部屋に帰ると、親父が部屋にいた。
「よぉ、お帰りぃ」
この部屋の住人に断りも無く、しかも悪びれる様子もなく部屋でくつろぐ親父の姿を見てイラっとしたが、仕事の疲れもあって怒る気にもなれなかった。
「また突然現れて、いい加減にしろよ」
「なぁんで、そんなこと言うかなぁ。親が子供の様子気にして何が悪いんだよぉ」
唇をすぼめてすねた顔をするが、全く可愛くない。
「さっぱりしたいから、話ならシャワーの後で聞くよ。適当にくつろいでて」
と言ってるそばから部屋でごろごろしている親父に、少しは遠慮しろよと手にしたタオルを投げつけた。
「何すんだよぉ」
そんな親父のささやかな反抗も無視して、風呂場へ直行。
「おい、タオル忘れてるぞぉ」
2
熱めのシャワーをさっと浴びて、さっぱりしたことで幾分か落ち着いた。親父が突然出現するのにもいい加減慣れてきたが、毎度のくたびれた格好を見ると何とも気が抜ける。
風呂場からあがると、親父は部屋にちょこんと座っていた。しわのよったスーツ姿で、だらしなく首に巻いたネクタイ姿には哀愁が漂っている。
「しばらく姿見せなかったけど、まだフラフラしてんの?」
「うん、まぁ」
そんな親父の受け答えをよそに冷蔵庫から缶ビールを取り出して、その場で蓋を開けて一口飲む。喉の奥にぐびっと清涼感が広がる。この瞬間が最近では唯一の楽しみだ。親父を置きざりにして、しばし幸福感に浸っていたが、親父が物欲しそうな顔してこちらを見ている。
「おい、俺にも一杯注いでくれよぉ」
しょうがないなぁ、とコップに一杯注いでやった。
「ありがとう」
目の前に置かれた一杯のビールに、親父は満足そうだった。
ようやく、テーブルを挟んで親父と話す体勢になった。親父はにやにやと何故かはにかんでいて、いっこうに話を振ってこないので、こちらから話を投げかける。
「で、今日はどうしたの?何か話があってきたんじゃないの?」
「いやぁ、だから今日は様子を見に来ただけだってぇ。しばらく会ってなかったしさぁ、それはそうと仕事のほうはどうなんだよ?もう慣れたか?」
「うん、まぁね。社会人一年目だからさ、色々覚えることがありすぎて考えてる余裕なんてないよ。毎日どうこなすかでいっぱいいっぱいだよ」
「そうか、そうか。まぁ、一年目なんてそんなもんだ。あがけあがけ」
親父はそんな事を言うと、にやにやしながら俺の若い頃はなぁだの、上司が嫌な奴でなぁだのそんな話をずっとしていた。俺は相づちをうちながら、ひたすら聞くに徹した。
そもそも親父は話が長い。だらだらと喋り続け、話にメリハリがないので聞いててもつまらない。だから親父の話はいつも聞き流している。
「だからさ、そういうわけなんだよぉ」
「えっ?何が?」
だから話を急に振られると、もう一度聞き返すことになる。
「いやだからさぁ、いままでのことスマンって言ってるんだよぉ」
「あぁ、うん」
どうやら親父は、いままで仕事にかまけて家族のことをほったらかしにしていた事を、スマナイと思っているということが言いたいらしいく、その為の前振りとして自分の人生を小一時間もかけて喋っていたのだった。
現在の親父からは想像もできないが、俺が小学生の頃は親父とすれ違い生活で、朝に俺が起きると親父は出社していて、夜は俺が寝た後に帰宅といった生活だった。遠足や運動会など、学校の行事にはノータッチで、家にいるよりも会社にいるときのほうが多かった。
そんな仕事人間だった親父が、いまでは縮こまって目の前に座って自分に詫びている姿など当時は想像もできなかった。
自分が社会人になってわかったことだが、お金を稼ぐというのは並々ならぬ労力をようする。いまは自分一人が生活するのもやっとなのに、親父は家族の分まで働いていたと考えると、本当に頭が下がる。最近ようやくそのことが実感として分かってきた。
「謝んなくていいよ。もうわかってるからさ。それよりさ、親父のほうはどうなの?」
「どうって?」
「いつまでフラフラしてんのって、いい加減落ち着こうとは思わないの?」
「いやぁ、まだ気持ちが定まらなくってねぇ。それにさ、こうやってフラフラしてるほうがお前に会いに来れるじゃないかぁ」
と言ってにやにやと笑う。
たまにこうやって会いに来てくれるのは、正直嬉しい気持ちもあるが、いつまでも居場所を定めずフラフラしている親父が気がかりでもある。
「しっかりと居るべきところに居てくれれば、身内としては安心もするんだけど」
「すまねぇなぁ、心配かけちまってさぁ」
「いや、いいよ。おいおい決めてくれれば……」
とあくびをしながら親父に言う。
時計を見ると、もう深夜0時をまわっていた。
3
目を覚ますと、時計は午前7時を指していた。
どうやら昨日の夜、ベッドで寝ずにそのまま部屋で寝てしまったようで、体がだるかった。ゆっくりと体を起こして部屋を見回すと、部屋には朝日が差し込み独身生活の殺風景さを妙に際立たせていた。
親父は部屋にいなかった。
「おはよぉ」
ベッドの上にいた。
「昨日は疲れてたのに、長い事付き合って貰ってすまんかったなぁ」
「まだ、いたの」
眠い目をこすりながら、ベッドの上に胡坐をかいている親父を見上げる。何だか殿様のようで滑稽だった。
「いやぁ、お前が話しの途中で寝ちゃったもんだからさぁ。挨拶ぐらいはしていこうと思って」
にやにや、ではなく恥じらうように親父は笑った。
「じゃあ、もういくからな」
「なぁ親父、そろそろ成仏しろよ」
親父はにこにこしながら。
「また、来るからなぁ」
そう言って、親父は朝日に溶けていった。
テーブルには、コップ一杯のビールが残ったままだった。
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