自己申告では犬系
自分よりも大きな生き物に押さえつけられる感覚は捕食される瞬間の鹿やウサギと同じなのではないだろうか。
逃げられないという絶望感と、これから食われる内臓が上げる悲鳴。
命を握っているのはいつだって強者で、弱者は悲鳴を上げるか涙をこらえるかくらいの選択肢しかない。
のしかかられた瞬間に蘇った記憶がある。
あれはジェミニとの戦況が厳しさを増してきた頃だったから、19歳の時だろう。
私たちの遊撃隊に与えられた任務は敵陣の様子を探ること。
ジェミニ軍が平野にはった陣からかなり離れた山小屋を拠点にして、見つかりにくいよう散開し情報収集を行っていた。
私は拠点に詰め、皆が持ち帰って来た情報を整理する役。
ほとんど山と同化しているような朽ちた木の匂いのする山小屋で仲間の帰りを待っていた。
たぶん、ものすごく運が悪かったのだろう。
ジェミニ軍からの脱走兵がその山小屋を見つけたのだ。
金欲しさに軍に入ったはいいが、戦闘で命が惜しくなったクチだろう。街のゴロツキといった雰囲気の五人の男たちは私を見るなり下卑た笑いを浮かべた。
弓以外の武器は人並み以下の腕前の私はあっという間に抑えこまれ、ささくれ立った木の床に組み伏せられた。
もがけば殴られて口の中に血の味が広がったのを覚えている。
けれど次の瞬間に血を噴き出していたのは私を押さえつけていた男の方だった。
男の腕を斬り飛ばしたのはいつの間にか戻ってきていたレグルスで、その目は緑色の炎みたいに獰猛に燃え盛っていた。
助けが来る見込がない分、銀髪の偉そうな軍人に押し倒されている今の状況の方がヤバいのかもしれない。
なんせ縄で縛られてるし。
それでも、その男が言ったことが衝撃的すぎて、蘇ってきていた記憶の光景も現在の状況も一瞬にして吹っ飛んだ。
* * *
ぐてい。
ぐていぐていぐてい……ぐて、偶蹄?
いや、愚弟だ。
愚弟ってなんだっけ?
自分の弟のことをへりくだって言う言葉だったような。
あれだ。実は全然そう思ってないのに「ふつつかな娘ですが……」とか言って嫁に出すのと同じ感じの語句だった気がする!
というか、
「レグルスがあなたの弟!?」
「そうだ。もっとも、異母兄弟だがな」
「じゃあ、あなたが正妻の子で、レグルスがお妾さんの子とかそういう……」
「それは違う」
意外なことにシリウスは律義に質問に答えようとする。
私の困惑気味にひきつった頬を長い指でなでながら、何やら思案しているようだ。
……いやいや、なでるななでるな!
首弱いって言っただろうが! 心の叫びで!
首筋に近いところも真面目に無理だから!
嫌なんで首をふって逃れようとしたら、あっさり顎を捕らえられた。
睫毛が振れそうな至近距離からのぞきこまれる。
「そうだな……俺とレグルスの父親のことから説明した方が分かりやすい。俺たちの父親は18人の女を孕ませて、21人の子どもを作った男だが」
なんかいきなりとんでもない話が出てきたよ。
「親父殿は女を籠絡するのが上手かったらしい。現に俺の母であるボレアリス家の当主が奴を悪く言うのを聞いたことがない。そしてレグルスの母親はリーオーの王族だった」
リーオー。
獅子の治める国。
私でも知っている南大陸の大国の名だ。
え……ちょっと待て。
話がなにかとんでもない方向に進んでいくんですけど。
いや、それ以上に……。
「レグルスの母親は王家を出奔した身だった。リ―オ―から遠く離れた森に隠れ住んでいたところを親父殿が見つけて口説いたらしい。レグルスが生まれた後もしばらくは平穏だったようだが、どうも王家がらみの陰謀で母親が殺され、レグルスは親父殿に手を引かれてボレアリス家にあずけられた。……俺が九つで、あれが五つかそこらだったな。警戒心の強い野良猫そのものの鋭い目つきをしていたのを覚えている。それからあれが13の時にボレアリス家を飛び出すまで共に育った」
私の頭はいつも許容できる範囲をこえると、ぼんやりする。
この霞がかったアホな思考でも理解できることは一つだけ。
この話を、レグルスの口から以外で知るべきではなかった。
レグルスは、私を許すだろうか。
「さて」
偉そうな軍人らしい落ちつき払った声が降ってくる。
ベッドに私を押さえつけたままの体勢で、銀髪の男はゆったりと確認した。
「質問は以上だな?」
というか、今まで私の質問タイムだったのか。
これ以上、レグルスの過去を探るのはいくらなんでも反則すぎる。
聞いてしまった情報だけでも知りすぎてしまったぐらいだ。
私はのろのろと首を横にふった。
「では、今度は俺の質問に答えてもらう。……もう一度聞くぞ、お前はレグルスの女なのか?」
「違います」
宿屋のチェックインでは夫婦と偽ってはいるがレグルスと私の間に甘いものはひとカケラもない。
あるのは腐れ縁と……レグルスにとっては義務感だけだろう。隊長に頼まれたことへの。
「ではなぜレグルスの匂いがこのようにしみついている? かなりの数の夜を共に過ごさねばこうはなるまい」
野宿では寄り添って寝てるけど。
かなりの数の夜を共に過ごしてるけど。
なんというかあれはお互い暖を取っているだけというか。
いつから傍でひっついて野宿してるのか覚えてないけど、もう習慣というか。
いや、それよりも何でそんなことが分かるんだよ。犬じゃあるまいし。
レグルスの名前とか過去とかがいきなり出てきて動揺してたけど、根本的な疑問にようやくたどり着いたよ。
「……匂いでレグルスが分かるんですか?」
「当然だ。俺は『オオイヌ』だからな」
当然だとかそんな偉そうに言われましても、さっぱり意味が分からない。
オオイヌってなんですか。犬の種類ですか。
「……犬なんですか?」
「ああ。だからこそ陛下の『宝』を毒サソリの手から奪還する任を与えられ、交易都市サディラにたどり着いた。そうしてお前を見かけて、欲しいと直感したので任務中に不謹慎だとは思ったが捕まえたのだ」
「いやいやいやいや、そこは真面目に任務こなしましょうよ!」
うっかりノリツッコミしてしまう。初対面の男なのに。
あれか、ツッコミどころが多いのはレグルスの兄弟だからなのか!?
奴も方向性は多少違うが偉そうでツッコミどころ多いんだよ!
シリウスはさも心外そうに硬質な青の瞳を見開いて、首をほんの少し傾けた。
憎らしいほどにサラサラした長い銀髪が私の頬にこぼれかかる。
「任務はもちろんこなしている。陛下の『宝』も既に奪還した」
真上から私を見降ろし続けていた瞳が逸れ、部屋の一角を指し示す。
横目に確認してみると木目も美しいテーブルの上に「これぞ宝箱!」という自己主張も甚だしい箱が鎮座していた。
うわあ、分かりやすい。
あの埋め込まれてる宝石、サファイアとエメラルドじゃないですかね。名前しか知らないけど。
装飾過多な『ザ・宝箱』に呆れていると、慌ただしくドアが叩かれた。
「シリウス様! ディールとジルクの班が襲撃を受けました! 毒サソリの手口と思われます!」
「かかったか。すぐ行く」
部下の切迫した声に、シリウスは訓練された軍人にふさわしい素早い所作で私の上から退いた。
……押さえつけられてないって素晴らしい。
しかし私が解放感を味わいつつ、肩と腕のしびれをほぐしているというのにシリウスは空気を読まなかった。
ガション
なぜか間抜けに響く金属音と共に、一瞬で首になにかがはめられた。
いや、分かってる。
分かっちゃったから、分かりたくないんだよ!
「念のためだ。動きまわられるのは困るからな。……では行ってくる。大人しく待っていろ」
非常識なまでに勝手なことだけのたまって、シリウスは寝室を出て行った。
誰が待つか!
というかご丁寧に縛った上に、鎖付きの首輪までつけるなよ!
自分は犬だって言ったのはお前だろ!
犬は首輪をつけません。つけられる側だから!
私の心の叫びでシリウスが呪われることをひたすら祈った。