誘拐犯は狼系
鼓膜を震わせる男の声に、意識が浮上する。
重く深く、耳に心地よく響く、まぁぶっちゃけ良い声だ。
…………レグルス?
なわけはない。
首筋に感じるじんじんとした痛みが、私に現在の状況を思い出させてくれる。
ああ、そっか。気絶させられて、どっかに連れて来られたってことか、私。
……なまってたのかなぁ。
レグルスが小うるさく言ってくる警戒心うんぬんの話はともかく、ロクな反撃もできないまま気絶させられるとは思わなかった。
仮にも兵士だった者として、かなり恥だ。
「……が……の手配を………………に王宮への連絡を任せろ。ああそれから、期待はしていないが捕らえた連中への尋問はどうなった?」
何やら長い指示を出していたらしい男前ボイスが途切れ、別の声がきびきびと返答をした。
「はっ! やはり海賊は単なる隠れ蓑だったようです。スコルピオンの手の者は一人もおりませんでした」
「毒サソリは単体で動くからな……。まぁいい。『宝』がこちらに戻ってきた以上、もう一度奪いに来るだろう」
「では増員の兵を領主から借り受けては……」
「陛下の望みは『迅速に、かつ内密に』だ。『宝』の奪還が果たされた今、信用に値しない兵を入れる利はない」
「はっ! 申し訳ありません! 浅慮なことを申しました」
どう聞いても上官と部下の会話だ。
軍にいた頃はこんな会話もよく聞いたな、と場違いにも少しなつかしくなった。
首の痛みをこらえて、そろそろと薄目を開ける。
そこは随分と高級そうな部屋だった。
レリーフを施された白い柱に、重厚な臙脂色のカーテンの対比がいかにも金持ち的な美を主張している。
歩いたらフカフカしてそうな毛足の長い絨毯。
部屋に明りを提供している花の形をしたランプも、それが置かれた猫足テーブルも、とにかく全ての調度品が無駄にきらきらしい。
見たことなんてもちろんないが、貴族の館とはこんな感じなのかもしれない。
とどめに、私が後ろ手に縛られて転がされているのは金糸で蔓草が織られたベッドカバーの上だ。
……やばい、ヨダレとか垂らしてたらどうしよう。
めちゃくちゃ高価そうなんですけど!
ベッドの上から見る限り、この部屋に人はいない。
声は部屋の奥、わずかに開いたドアの隙間から聞こえてきているらしい。
……ここが二間続きの高級宿屋とかであることを祈ろう。
もしホントに貴族の館だったりしたら、シャレにならん。いや真剣に。
「ご苦労だった。下がれ」
「はっ!」
レグルスに似た男前ボイスが、声質に似合う尊大な口調で言うと(推定)部下が部屋を出て行ったようだ。
ひかえめに閉じられたドアの音。
それに続いて(推定)上官殿の気配がこっちに近付いてくる。
え、ちょ、来ないで欲しいんですけど。
何でとっ捕まえたのかは知らんけど、捕虜への尋問は偉い人の仕事じゃないだろ!
つか、さっきも何かの尋問は部下任せだった発言してたじゃないか!
逃げたくても、手だけじゃなく足もご丁寧に縛られてるから、芋虫のごとくはうことしかできないんですよ。
軍隊生活長かったですが、捕虜になった経験はないので対処方法なんて知りません。
というか本当に何で私を捕まえたんだよ!
あれか、ジェミニの王の片割れを射殺してパイシーズから追放された『夜陰の射手』だからか!
理由なんてそれしか思いつかないけど、大陸の西端と東端ほど距離のあるサジタリアスは別にどっちの国とも利害関係なんてなかったはずだぞ!
私の心の叫びも空しく、一人の男が部屋に入って来た。
第一印象は、とにかく美形。
ああ、こいつもレグルスと同じく女にもててもてて仕方がないんだろうな。
真冬の夜空みたいに冷たいのに、燃えているようなブルーの瞳。
綺麗な銀色の髪は襟足のところで一つにくくられている。
……そういえばサジタリアスの貴族は男でも髪を伸ばすことが常識だとかなんだとか、レグルスが言ってたような……。
うわ、嫌な方向に予想が大当たりですか!
鍛えられた鋼のような体つきの銀髪軍人はベッドの傍でぴたりと足をとめた。
ただ立っているだけで無駄にサマになる男だ。
「起きたか。お前の名は何と言う?」
捕虜に対する尋問にしては語調が柔らかいと思うのは気のせいだろうか。
いや、さっきの部下に対する声より明らかに優しいような……?
例えるなら、さっきが狩猟犬に向けて指示を出す主の声なら、今は愛玩犬に話しかけてる甘いご主人様の声だ。
変だ。
この怜悧な美貌、という言葉がしっくりくる男が何を考えているのか全く読めない。
「……ああ、すまない。こちらから名乗った方が良かったな。俺の名はシリウスだ。シリウス・ボレアリス。北部に領地を持つボレアリス家の次男で、サジタリアス現国王陛下に剣を捧げ、仕えている」
ええと、そんなご丁寧に自己紹介されても……どうリアクションしろというのか。
気絶させられて拉致られて、縛られてる女に礼儀正しい自己紹介するか普通。
普通しないよ!
行動に整合性がなさすぎて怖いんですけど!
「ええと……あの、何で私を連れてきたんですかね……?」
拉致ったとは言わない。怖いから。
銀髪男……シリウスはその問いに笑みを浮かべた。
あ、間違った。こいつは犬のご主人様なんかじゃない。
群れを従える絶対的な力を持った、狼。
そんな凶暴な笑みだ。
鋭い犬歯が見える笑みの浮かべ方は、レグルスにひどく似ている。
「お前が欲しいと思ったからだ」
……弓使いとして、だよな?
あの的当てをどっかから見てたのだろう。
「……仕官のお誘いなら普通に話しかけてくれれば……」
「違う。俺は狙った獲物は絶対に逃がさない主義だが、今は任務中だ。口説く時間がないからこうして無理やり連れてきた」
あ、無理に連れてきた自覚はあったのか。
そこから話が通じないのかと思ってたよ。
……というか、何か今、理解不能な言葉が混じっていた気がするんだが……。
「それよりお前の名を教えろ」
「あ、エセルです」
反射的に答えてしまう。混乱しすぎて頭が働いてない。
「そうか、エセル。もう一つお前に尋ねたいことがある」
狼っぽい笑みを浮かべながらシリウスがベッドに手をついた。
そうして本当に狼とか犬とかがよくやるように無造作に私の首筋をなめたのだ。
ひいぃぃぃぃぃ!!
ちょ、くすぐったい! まじでやめろ! やめてください首弱いんだからな!
「なぜレグルスの匂いがお前にしみついているんだ? お前はあれの女なのか?」
首筋に与えられた感触にじたじたする私を押さえつけて、にらんでくる。
こんな時でも美しいと思ってしまう青の目は、色こそ違えど……。
「……っ、れ、レグルスを、知って、るんですか?」
「あれは俺の愚弟だ」
声も、笑い方も、にらみつけてくる眼差しの強さもレグルスに似た男はそう言った。
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読んでくださる方全員に心から感謝しています!
ですが大変申し訳ないことに、これから作者の生活上の都合により更新ペースが遅くなります。
可能な限りアップしたいと思っておりますが、10月の半ばまで立て込んでいまして……。
どうか温かい目で、ラブコメなエンディングにたどりつくまでお待ちくださると幸いです。