旅の始まり
本当だかどうだかは知らないけれど、王族というものは不可思議な力を持つらしい。
たとえば私が生まれた国パイシーズの王族は白銀のウロコと鋼鉄の背ビレを持つ巨大な魚に変化し、水を操ることができるという。
本当にそんなことができるなら、ぜひ戦争で活かしてくれ。
敵船の一つでも沈めてくれ。
何度そう思ったか分からないが、パイシーズの王族は王宮から滅多なことでは出てくることもなく、戦場に立つことなど皆無だった。
だから私ら庶民の兵士はそんな伝説ほとんど信じちゃいなかったし、伝説の詳しい内容も知らなかった。
けれど王族を頂点とする国の上層部はそういった伝説を『事実』と認識している。
まぁそりゃ、自分自身が巨大な魚に化けることができたりしたら嫌でも事実と分かるだろうから、国王本人は伝説が嘘か本当かを知ってて当然だろう。
腹が立つのは自国に都合の悪い伝説を、意図的に庶民には広めないようにしていやがりましたことだ。
お綺麗な大理石で造られた神殿で、笑うしかないことにお偉い大神官サマから私は『事実』を聞かされた。
『敵国ジェミニの王族は双子として生まれたならば一つの命を二つの身体で共有し、不可思議な力を持つ。怪力や互いの間で通じる思念、そして呪いの力など。双子の片割れが死ねば、数刻後に残った一人の心臓も動きを止めるが、その間に呪いの術は完成してしまう。
……つまり兄王ザムエルを仕留めたおぬしに向けて、弟王テオドールの呪いは既に完成してしまったのだ。このままではパイシーズ全土にまで災いがふりかかるだろう』
だから、と重々しい声で大神官は続けた。
『おぬしには全ての呪いを背負って、国から出て行ってもらう』
そうすればパイシーズは呪いを免れる。
本気でそう思っている連中に、反吐が出た。
伝説も呪いも真実か否かなんて私には分かりっこなかったが、ただ一つ確かなことがあった。
『ジェミニ王族の呪い』を『事実』と認識しているこの連中は、双王のどちらかを殺させたならばその兵士を捨てることを初めから決めていたのだ。
それがたまたま私であったというだけ。
あの最悪の戦場で隊長が殺されるのではなく、隊長がザムエルの首を斬り落としていたとしたら、国から捨てられるのは隊長だったということだ。
隊長は守りたいものがあって戦っていた。
そんな一兵士の意志も、誇りも、この連中にとって狂信を妨げるざわめきにもなりはしない。
めまいに似た怒りをやり過ごしたあと、私に残ったものは何もなかった。
もう何もかもどうでもよかった。
隊長はもういない。憎い仇ももう殺した。
やるべきことも、戦う理由も、帰る場所も、国も、ない。
麻痺した感覚でとらえた世界はぼやけていて、船に乗せられて見知らぬ土地に放り出されるまでの記憶は自分のものではないようだ。
見知らぬ土地で私の腕をつかんだ、見知った男の声が私を正気に返らせた。
「お前のことは隊長から頼まれてんだ。……だからこんなとこで死にそーなツラでふらふらしてんな、馬鹿が。お前が死んだら、密航してきた俺の苦労が水の泡じゃねーか」
これが私とレグルスの旅の始まりだった。