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【この手を離すとしても】

 夢も見ずに眠る女は、幼子おさなごのように無垢むくな寝顔をさらしている。

 レグルスは白く薄い目蓋に唇を寄せ、ぴくりとも動かないことを確かめた。

 何の苦痛にもさいなまれていない証拠だ。

 つないだ手からレグルスがそそぐ力は、呪いの症状を抑制している。

 ほとんど能動的な力を使えないレグルスに医術と組み合わせた独特の『力の使い方』を教え込んだのは彼の父親だ。しかし、父に感謝する気には死んでもなれないレグルスである。

 なぜなら、


「……効率が、悪すぎる」


 エセルの姿を求めて港町を駆けずりまわっていた夜と同じ苛立ち。

 己の能力がとんだ『できそこない』であり、使い勝手が悪いことをレグルスはよく分かっている。

 彼は今、己の生命力が刻一刻と削られていくのを感じていた。

 父親が授けた術の原理はいたってシンプルだ。

 呪いも毒も一切をはねのける防御力は、常識外れに強靭な生命力をレグルスに与えている。

 その生命力を、直接『力』に変換し、利用する。


 この方法の大きな問題点は二つ。

 一つは、有効範囲が極端に狭いこと。

 レグルスが触れている範囲にしか影響を及ぼすことはできない。

 二つは、限りなく効率が悪いこと。

 もともとは水だったものを、無理やりほんの少しの油に変えて炎を燃やしているような不自然な方法なのだ。その上、レグルス自身に作用しようとする力の流れを、外部に向けさせるだけでかなりの無駄が生じる。

 そうして生命力が尽きるまで炎を燃やし続けたのならば、消えるのはレグルスの命の火だ。この術を発動し、エセルをむしばむ呪いを抑えつけ続けられるのは、もって後、一日といったところだろう。


 エセルの苦痛と恐怖に歪んだ泣き顔を思い出し、レグルスはつないだ手に力を込めた。


「……いつまで高みの見物を決め込んでやがる気だ」


 獣が牙を噛み鳴らすような、物騒な声。

 攻撃的なそれに応えるにしては、あまりにも悠然とした態度で一人の男が部屋に入ってくる。

 しなやかな長身に、うなじの所で一つに結んだ混じり気のない銀色の髪。

 戦うために存在する金属と同質の空気をまとうその男を、レグルスは心の底から苦手としていた。

 シリウス。

 その冷やかな青色の目が無感動に自分を見据えていると思うと、やるせない無力感をレグルスは感じる。

 そもそもシリウスにとっては、今のレグルスも何もできなかった愚かな子どもも、大差なく見えるのかもしれない。

 

「別段、見物などしている気はないが」

「じゃあ、気配を隠しもしねぇでうろついてる理由を言えよ。エセルが倒れた瞬間から、狙い澄ましたように出てきやがって」

「その随分前からいたことに、気づく様子もなかった男が、よく言う」


 その言葉にレグルスは唸るしかない。

 太陽と共に降り注ぐ双児宮の星の光、ジェミニから運ばれてくる西風。

 そういった外部からの力がこれ以上エセルにかけられた呪いを助長しないよう、細心の注意を払っていたつもりだった。

 全方位に気を張り巡らせ、警戒を怠らなかったレグルスにとって、シリウスの接近に気付けていなかったことは屈辱以外のなにものでもない。


 黙り込んだレグルスを見ても、シリウスの目は揺るぎもしない。

 嘲笑も憐みも浮かべない、氷のように澄んだ無表情は清廉でさえある。


「相変わらずお前は甘いな、レグルス。王都に向かっているということは、結局は俺に頼るつもりだったのだろう」

「……っ、そんなわけねぇだろ……!」

「星の加護が強まる王都に入りさえすれば、呪いの発現を防ぐことができると? 本当にそう思っていたならば、救いようのない甘さだな。いくら人馬宮が双児宮と対極の力を持つとしても、それはあまりに楽観的すぎる見込みだ」


 反論の言葉をレグルスは持っていなかった。

 呪いの徴候に気付けなかったのは、全て自分の甘さと弱さからだと身を切るほどに痛感しているからだ。

 エセルを守れなかった、という思いがレグルスの魂を凍らせる。

 いや、そもそも、今までは守れていたという認識自体、蜃気楼のような幻であるのかもしなかった。 

 それは恐ろしい仮説だ。

 双児宮に太陽が入る期間となり、ジェミニの呪いが威力を増したから、エセルに災いが降りかかったのではなく。

 ただ単に、呪いの発動はこの時期に始まると定められていたのではないのか。

 世界の成り立ち、それぞれの国の始まり、主要な王族の力と呪いの性質。

 そういった常人では持ちえない知識を、レグルスは一通り父親に教わりはした。

 だがそれは、ジェミニの呪いに対する詳細な知識ではない。


「確かにジェミニの呪いは、我が国の王宮内でならば封じることが可能だ」


 シリウスが淡々と放った言葉。

 それはレグルスにとって救いの光明であり、同時に毒のある蜜とも言えた。


「王宮に帰還した際、陛下がお答えくださったのだ。……三百年ほど昔、ジェミニの呪いに侵された者をサジタリアスの王宮と王族の力で保護した例があると。その者は王宮の外に出ることは二度と叶わなかったものの、呪いに苦しめられることもなく天寿を全うしたという」


 交易都市サディラでシリウスと顔を合わせたのは、たった三日ほど前のことである。

 王都に戻るだけで七日はかかるというのに、シリウスは事実、王都に届け物をしてからこちらに取って返してきたと言っているのだ。

 しかしシリウスの『もう一つの姿』を使えば、一日でこの距離を駆けることも不可能なことではないとレグルスは知っていた。

 問題はシリウスの……否、その主の意図がどこにあるかということだ。


「てめぇが出向いてきた理由はなんだ?」

「陛下はお前と取引がしたいと仰せだ。……リーオーの王族としての、お前と」


 リーオー。

 その国の名を聞いただけで、反射的に湧きあがる怒りをレグルスはこらえた。

 脳裏に浮かぶのは、美しかった母のむごたらしい死にざま。

 レグルスの母はリーオーを出奔した王族であり、ひっそりと森で暮らしていたというのに親族の呪いによって殺された。

 遠く神々の血を引く王族。

 その力の残酷性を、レグルスは誰より憎み、それでもなお強くなるための力を誰よりも欲していた。

 パイシーズにまで赴いていたのも、神託に従い、力を得るためにとった行動だったのだ。そこで見つけた大切な女のために、一時、たぎる憎しみを忘れていたのだが。


リーオーには復讐を果たすため以外に行く気は、レグルスにない。


「……俺はリーオーの王族なんぞじゃねぇ」

「王族の血を引いているという事実以外に、交渉に使える手札がないことを自覚しておくがいい。いくら過去の前例があるとはいえ、ジェミニの呪いを受けた者をかくまうことは危険を背負う行為だ。……何の益もなしに、サジタリアスが行う道理はない」

「シリウス、てめぇは……。てめぇはエセルを助ける気でいたんじゃねぇのかよ?」


 あの夜、屋敷を去る前にシリウスが放った言葉。


『今、俺がエセルを連れ去った方が安全だろうと言いたいだけだ』


 自分ならばエセルを守ることができるという挑発に、レグルスは反発したのだ。

 シリウスの持つ絶対的な自信が、憎らしかった。

 と、同時にレグルスの中に甘い考えが芽生えたのもこの時。

 この異母兄は嘘がつけない。ならばエセルの身に危機が迫れば、王宮にかくまってでも助けるだろうという甘い見込み。


 レグルスの言葉に、一瞬。

 ほんの一瞬だけ、揺らがないシリウスの表情が、揺らいだ。


 昏々と眠るエセルを見やるその瞳には、確かに恋情の色が宿り、惑うように揺れたのだ。


 しかし目蓋を閉じ、開けた時にはもうその色はうかがえず、迷いのないシリウスの顔に戻っていた。

 

「陛下の命令は、全てに優先する。お前が取引に応じないのならば、その女は正気と狂気の狭間はざまで千の幻と億の痛苦に苛まれ、むごい死を迎えるだけだ」


 感情の一切混じらない。鋼のごとき声。

 さきほど揺れたことこそが幻のように、今のシリウスから表情の一切を想像することはできなかった。


 エセルを救う道は、取引に応じるしか残されていないのだ。


 レグルスはもう一度つないだ手をかたく握る。

 弓を扱うもの特有のたこのあるその手は、レグルスに比べればとても小さくて、それでも幾度も戦場で彼の、仲間たちの危機を救ってきた手だった。

 初めて出会った、あのどしゃ降りの雨の日に、温もりをくれた手だった。


 この手を離すことになると、直感的に悟りながらもレグルスは答える。


「……取引に応じる。だからエセルを」


 たすけてくれ。


 魂からの叫びは、血を吐くようにかすれていた。




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