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黄昏に見る悪夢

 サジタリアス国王は、智慧ちえを司る人馬ケイロンの末裔。

 特に当代の国王陛下は傑物との噂がとどろいており、その類まれな手腕は国のすみずみにまで及んでいるという。

 ……ウサギなミーファを側室にしているお方だが。

 いや、本来はミーファも人になれると信じてはいるんだけど、見たことないからイメージはウサギのまんまですよ。

 ともかく、整備の行き届いた街道というのもサジタリアス国王陛下の賜物なわけで。

 馬車のために敷かれた石畳は凹凸が少なく、街道沿いの宿場町には盗賊対策のために王都から警備隊が配置されているらしい。早馬をかっ飛ばしてる時、巡回中の騎士と何度かすれ違ったから、盗賊もこれじゃあ割に合わないだろう。商人や旅人を狙おうものならすぐに連絡され、近場の宿場町から来た騎士にふるぼっこにされること確実だ。

 そんな理由でサジタリアス国内の旅は楽に進む。

 まぁ距離が距離だから、交易都市サディラから王都カウス・メディアまで早馬で急ぎに急いで、七日というところらしいけど。


 宿屋の看板娘の心底忌々しそうな舌打ち(レグルスにも向けられていた)を背に、出発してから早三日。

 中間点にある大きな宿場町で、『それ』は起こった。




   *    *     *

 



 旅人相手に商いをする店が立ち並ぶ通りは、人でごった返していた。

 干し肉やドライフルーツを売る乾物屋、傷に効く軟膏をさかんに宣伝している薬種商、すでに出来上がった簡易な服も商っているらしい布屋。そういった旅の必需品を売る店の合間に、安い飯屋兼酒場が挟まれており、そちらの呼び込みは相当元気でうるさいのが多い。

 まだ夕暮れ時だがお早いことに酔っ払い共の笑い声が響いて来るから、それに負けないよう声を張り上げざるを得ないのだろう。


「……ったく、宿で休んでろっつったのに……」

「やー、でも買い出しをまかせっきりにすると収まりが悪いというか何というか。レグルスが買うとどうも豪快な買い方で、無駄が出そうで嫌というか」

「どう考えても後のが本音じゃねぇか」


 ぎろり、と眼光鋭く睨まれては苦笑するしかない。

 レグルスの放つ不機嫌オーラは雑踏を割れさせる作用があるので、歩くのが非常に楽だ。

 今、大慌てで避けたそこのお兄さん、気持ちはよく分かります。

 下手にぶつかったら斬り殺されそうですからね!


「サディラでは買い物まかせたけどさ……干し肉ばっか多く買って、自分に本当に必要な傷薬とか買ってないっていう信じられなさだったからね……」

「深々と溜息はくな。あのぐらいの傷、もう痛みもねぇよ」

「レグルス、その無意味に虚勢はる癖やめようよ。傷口からの化膿が一番怖いのは、軍時代から分かってることなのに」


 こればかりは目を合わせて真剣に言う。

 見上げるほど高い位置にある緑の目は、案の定、ますます不機嫌そうに細められ……ぷいっと逸らされるかと思ったのに、今回は気遣わしげな光を浮かべた。


「……それよりも、お前は何ともねぇのか?」

 

 思い出すだに顔から火が出そうな出来事以来、レグルスはこういった問いを何度も繰り返している。

 それに対する私の返事は、いつも同じ。

 

「何ともないって。健康そのもの。何なら今から的当ての賭けでもしようか」

「…………あのしるしの色は、濃くなったりしてないな?」

「変わんないよ。灰色のまんま」


 嘘だった。


 心臓の真上にある不気味なあざは、時間がたつごとに濃くなっている気がする。

 今はもう、黒に近いのではないだろうか。

 何を隠そう、無意味に虚勢を張っているのは私の方だった。

 ここ数日、全方位を警戒している雰囲気のレグルスに、これ以上の負担をかけるのが嫌だったから。……違うか、自分のためだ。

 口に出せば、黒い痣からしみ出た毒が全身を駆け廻る。

 そんな予感がして、呪いを現実のものと認めるのが怖くて、逃げているのだ。

 

 痣と、恐怖心以外、呪いめいたものは今のところない。

 平気だ、と笑ってさえいれば、まだ大丈夫な気がしていた。

 それが何の根拠もない思い込みだと、すぐに思い知らされるとも知らずに。



 

   *    *     *

 



 ふと、何かを感じて横を向くと、一人の子どもが私を見ていた。

 雑踏をすり抜けて射抜いて来る視線に、思わず歩みが止まる。

 店と店の間、人が一人ようやく抜けられるような路地に立った子どもは、ひどく痩せた身体にボロボロの服をまとっていた。

 戦災孤児? 

 いや、パイシーズと違ってサジタリアスは孤児院など福祉もきちんと行っていると聞いた。

 浮浪児が全くいないとは言えないが、それでもあんな今にも死にそうなほど痩せこけた子どもがいたら助けてやろうという人がいるくらいには、この国は豊かだ。

 この宿場町も整備された街のひとつで、旅人の活気に満ちて雑然としている割には治安も良さそうだというのに。

 不自然さに、目が逸らせない。

 子どもは、ざんばらに切った焦げ茶の髪の隙間から、私だけをしっかと見つめている。

 こけて落ちくぼんだ目も、髪と同じ暗い色。

 煤で汚れた顔は男の子か女の子かも判然としない。


 けれど子どもがニィッと、口の端をつり上げた瞬間。

 耳元に宣言されたようにはっきりと、分かってしまった。



 あれは、私だ。



 私だった。

 11歳の時の、痩せこけて、死にかけていた時の、私。

 隊長に拾われる直前の、拾われるのが一日遅かったら飢え死にしていただろう私。


 子どもの私はなぜか、弓を手にしていた。

 長弓なんかではない。

 村にいた頃、狩りに使っていた短弓。

 父親からもらったそれは、村が焼き滅ぼされた時に燃えてしまったはずだったのに。


 子どもらしくもない、邪気に満ちた笑みを浮かべながら、『私』は矢をつがえた。

 やけに禍々しく光るやじりは、真っ直ぐに私だけを狙っていて。


 雑踏を行き交う人々は、薄い影だった。

 全てをすり抜けて、矢は私の右手を貫いた。


 絶叫をあげたはずなのに、何も聞こえない。

 夕暮れ時の赤いはずの空気が、やけに白くて。

 全ての音が遠くて、無音の世界に閉じ込められたような現実感のなさ。


 それなのに、痛みだけは途方もなく鋭かった。


 顔をかばうように突き出したためか、矢は手のひらから甲へ貫通している。

 そう、認めると、ぐ、と吐き気がした。


「う……あ、あ……っあ、うあ」


 意味をなさないうめきが、喉からもれる。

 痛い。


 手のひら、矢を、うあ、抜かないと、でもどうすれば。


 右の指を動かすと、飛び上がるほどの激痛が走った。

 声にならない絶叫を上げて、しゃがみこんだ所に、また矢が。


 刺さる。

 右の肩口を押さえていた左手を、そのまま縫い止めるように。


 刺さる。

 左肩の、浅い位置に。


 わざと、急所を外すような、狙い。

 ――――――獲物を、いたぶって、いる狙い方。


 子どもの笑い声がする。

 幼い『私』の声で「もっと刺さるよ」と。


「お前が射殺いころしてきた人間の数だけ、矢が刺さるよ」


 楽しげに楽しげに、わらべ歌を口ずさむように。


 あまりの恐怖に、私は――――――――




「――――ぃ、おいっ! エセル! 聞こえるか!」


 レグルスの声が聞こえた瞬間、金色の光が私の中に流れ込んで来た。

 冷たい鋭い痛みの檻を壊して、私の中へ。

 温かな、まばゆいほどの金色の、力の奔流。


 レグルスの、まとう生命力、そのものが。


「………………れぐ、るす?」

「エセル。俺が見えてるな? 息は? ……わりぃ、とにかく今はゆっくりと息をしろ。しゃべんのは落ちついてからだ、いいな?」


 温かかった。

 広い胸板が頬にあたっていて、レグルスの鼓動が聞こえた。

 迷子になった子どもを抱き締めるみたいに、もう見失うまいとばかりにしっかりと抱き締められて、温かい。


 痛みの残滓ざんしが、溶けて消えていく。


 レグルスの大きな手のひらが頬をぬぐって、そこでようやく、自分が涙を流していたことに気づいた。

 

「大丈夫か?」

「……うん。……さっきの、あれは、私は……」

「…………とにかく、場所を移動する。首の後ろに手ぇまわせ。しっかりつかまってろ」


 レグルスの腕が私の膝裏と腰を支えて、抱きあげた。

 金色の光が離れていくと、またあの痛みが襲ってくる感覚がして、私は思わず首筋にしがみついてしまう。

 そんな私をあやすように、レグルスは言う。


「エセル。大丈夫だ。俺が触れていれば呪いは抑えられる」

「……レグルス、私は、どうなってた、の」

「お前は突然、真っ青になって倒れた。……何を、見た?」

「……子どもの、頃の私が。私に矢を……痛みが。とても、痛くて……」

「分かった。悪かった。それ以上言わなくていい。……それ以上、思い出すな」


 自分が斬りつけられたみたいなレグルスの声に、心臓がぎゅっと縮む。

 痛みを、伝染させたいわけじゃない。

 苦しまないでほしい。


しるしの色はもう……黒いんだな?」

「……うん。ごめん」

「謝んな。……俺がわりぃんだ。お前に全部話すのが嫌で、そのくせまだ灰色なら大丈夫だと思いたがった、俺が」


 雑踏のざわめきも徐々に遠くなって、私たちに沈黙が降りた。

 濃くなっていく夜気の中、レグルスの温もりにすがっている自分に気づく。

 

 いや、それはもうずっと、前から。

 追放された直後から、私はこの熱にすがり続けていた。

 他の女を見ないでほしいなんて、そんな思いすら表に出せないほどに、レグルスが離れて行くことが、怖くて。


 いつのまにか宿屋の部屋で、私は柔らかくベッドに下ろされた。

 しがみついていた腕を離すと、レグルスは手を握ってくれた。


「あれは、ジェミニの呪いなの?」

「ああ、そうだ。呪いが発症すると幻覚を見る。……お前が見たものは、全てまやかしだ」

「……なんだか、すごい眠い……」

「寝てろ。俺が傍にいる。悪夢なんざ追い払ってやるから、安心しとけ」


 繋いだ手のひらから、じんわりと金色の熱が流れ込んでくるのが分かる。

 不思議と、ずっとずっと前から、この光に守られてきた気がして、ひどく安心できて、ひどく眠い。

 痛めつけられた精神が、休息を欲するように。

 私の意識は、夢も見ない深い深いふちに吸い込まれていった。



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