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毒サソリの少年

 アンタレスと名乗った少年を目にした瞬間、ぞわりと全身が総毛立った。

 弓以外はてんでダメでも私も元軍人だ。

 ヤバい状況……命の危機というものの空気ぐらい瞬時に感じ取れる。

 

 この少年はヤバい。


 琥珀色の目は楽しげに細められ、だるだるした体勢のままなのにまとう雰囲気がヤバい。

 血にまみれたダガーを見るまでもなく、毒のある生き物特有のオーラに気圧されそうだ。


 本能が私に告げる。

 不用意に動くなと。

 動いたが最後、致命的な何かが即座に飛んで来るだろう。


 愛用の弓が手元にないことが心もとなさに拍車をかける。

 たとえ室内で役に立たないと分かってはいても、戦場に出る時はいつも共にあった弓だ。

 こんなきっつい殺気が飛び交う場面にないと裸で猛獣の前にいるような気分になる。

 くそう、シリウスめ。私の弓をどこへやった!


 緊迫した空気を裂いたのは、どんな場面でも涼やかなシリウスの声。


「相変わらず匂いを隠すことだけは上手いな、赤毛」

「どーもー。犬さんに気付かれないって、オレってば優秀っしょー? まーでも、探知能力じゃアンタの勝ちかな。オレ、アンタの気配たどれなかったし。いや男の気配なんてたどりたくもねーけどー。ミーファちゃんみーっけ、って来たらアンタもう戻ってるし」

「そうか、なら諦めろ。陛下の宝であるミーファ様を連れ去ろうなどという、愚かなことを考えるな」


 その言葉を聞いてアンタレスは決まり悪そうに頭をかいた。

 背に垂らした一本三つ編みが左右に揺れる。

 ……そういや貴族でもないのに髪を伸ばしてるのは何故だ。


「あーごめん。ミーファちゃん。それについて一個残念なお知らせがあるんだわ」

「ふえっ! な、なんですか?」

「俺の親分……スコルピオンの王様からの命令でさー。さらってくるの無理っぽいなら、殺してこいってお達しなんだよねー。ほら、うちの大親分、サジタリアスの王様に嫌がらせすんのが趣味な人だし? 『奴に初めてできた愛する女を奪ってやるのも面白いが、殺すのもまた一興』って言っててねー」

 

 そんなハタ迷惑な話をにこにこ笑いながらするな。頼むから。

 というか一国の国王が嫌がらせで暗殺者派遣すんな。


「つーわけでー、オレとしては残念なんだけどミーファちゃん殺すことになったから」

「させるわけがなかろう」


 確固たる宣言と共に、シリウスが疾風のごとく走る。

 流れるような動きで剣を抜き放ち、アンタレスの喉首に白刃を閃かせた。

 ――――――速いっ!

 太刀筋が銀色の残像としてしか捉えられない。

 けれどその神がかった斬撃を赤毛の少年はダガーで受け止めた。


 いや、違う。いなした。

 シリウスの神速にして重さのある剣とまともに打ち合うことはせず、上段から斬り結んで、身体を跳ねさせたのだ。

 アンタレスの動きはまるで曲芸師のようだった。

 触れ合った剣の威力を利用してコマのようにくるくると回り、ダン、と天井を蹴りつける。

 全身のバネを利用し、目にも止まらぬ速さでシリウスの背後にまわり、投げナイフを繰り出す。


 そのトリッキーな動きに隊長の言葉を思い出した。


『暗殺者っていうのは室内戦闘の熟練者だよ。レグルス、もし君が暗殺者と対峙することになったら、室内でやり合うことは避けるべきだね』


 あれはいつだっただろうか。

 なぜだかレグルスに向かってこんこんと諭していた隊長を偶然見かけたのだ。

 レグルスはいつも通り、ふてくされたような顔で「うるせぇ」などと言っていたと記憶している。


 広めの寝室はいえ、この場も立派に室内だ。


 シリウスの強さは今まで私が見た剣士の中でも飛び抜けているけども、アンタレスの体さばきとスピードは尋常じゃない。

 どちらが優勢とも言えない苛烈な応酬から、目が離せなかった。



 しかし弓使いとして鍛えた視力のおかげだろう。

 視界の端でうごめいた『何か』に私の身体が反応した。


 うわ、なんだろう。ものすごく嫌なものを見た気がする。


 頭で考える暇などない。

 反射的につかんだ枕で、ベッドにはい上がってきていた『それ』を振り払う。


 絨毯にぼとりと落下した『それ』に、全身の毛穴から汗が噴き出した。

 ……ううっ、実物は初めてみるけど想像以上にグロテスクだ。

 

 太い尾を持つ、禍々しく黒いサソリだった。

 仰向けに落下したサソリの、うぞうぞとうごめく脚に吐き気がこみ上げる。


「おねーさん、良い勘してるねー」


 ひゅうっ、と口笛を吹き、楽しげにアンタレスが叫ぶ。

 軽口を叩きながらもダガーと投げナイフの連続攻撃は途切れることはなく、金属同士がぶつかり合う高い音を響かせている。

 そのため、こちらに一瞬気を取られたシリウスはわずかに体勢を崩した。


 アンタレスは無邪気とも言えるほどあっけらかんと笑っている。


「気づかない内に殺してあげようって思ってたんだぜー? そいつ一番毒強いクロちゃんって種類だから、刺されたら一瞬であの世だったのに」


 純粋に好意でそう思っていたという口調。

 あーあ、と嘆く声を心底恐ろしいと思った。


「これでちょっと怖がらせて殺すことになっちった。ごめんなー、ミーファちゃんと見知らぬおねーさん」


 その後にアンタレスが口にした言葉は私には理解不能な言葉だった。

 ……古代語だろうか?

 北大陸も南大陸も、主要な国々はみな統一言語を使っていて、国によって訛りはあるものの意味が分からないということはないのに。


『我が血において命ず。現出せよ、千の黒蠍』


 その声に呼応するように、グジャリグジャリと、なんとも不気味な音が響く。

 目をやれば、壁にいつのまにかあった赤黒い染みからサソリが大量にはい出てくる音だという信じたくない事実を、理解せざるを得なかった。


 ちょっ! なんだその反則技は!

 暗殺者にそんな不可思議な技が使えるだなんて聞いてないよ!


「はい。これがオレのしょぼーい能力。ホントは親分みたいにかっけー大サソリになりたいんだけどね。できなくってさー。そん代わりに自分のそばにサソリちゃん召喚できんの」


 おしゃべりの間にも攻防は止まってはいない。

 何度目か分からない斬撃をシリウスが繰り出し、長剣とダガ―が火花を散らす。


「随分と余裕だな。説明などするとは」

「えーだってオレ、ミーファちゃん好きだし。会ったばっかだけどそこのおねーさんともお知り合いになりたかったし? もう残念で残念で……」


 ダガーがものすごい音を立てて、シリウスの剣をはじいた。

 腕力の差を考えてだろう、始めはまともに斬り結ぶことさえ避けていたというのに。

 まさか……腕力が上がっている?


「あと、ちょっとラリってるからさー。ドーピングしてんの。アンタと互角にやるためにねッ!」


 速さも力も増してきているアンタレスの相手で、シリウスはこちらを助ける余裕などない。

 いやそれどころか、黒光りするサソリの群れにも対処しなくてはならず一気に劣勢に立たされたと言えるだろう。


 じょじょに床は黒サソリに埋め尽くされ、その大部分は意志を持ってミーファに向かって来ていた。

 たかが毒虫と侮ることなどできない。

 動きは素早く、時には跳ねてベッドに飛びついて来るのだ。

 毒針尻尾をくねらせつつのジャンプをかましてくるサソリが、無数にうじゃうじゃ。

 ううう、気持ち悪い。サソリに刺されて死ぬなんて真っ平ごめんだ!


 腕の中で震えているミーファをしっかりと抱え直す。


 声をかけてあげたいけどもアンタレスの注意を引くのはまずいため、やめておいた方が賢明だろう。


 アンタレスがこちらに背を向けた瞬間を見計らって、ミーファを抱き抱えたまま窓際まで走った。

 とにかく逃げなくてはならない。

 確実に迫ってくる毒サソリの群れから。



 バルコニーへ続く大型窓を開け放った瞬間、心臓がドクリと悲鳴をあげた。

 ひたすらに軽い口調の死刑宣告が背後から投げつけられたからだ。


「はい、逃げちゃダメー」


 殺気の塊と共に、投げナイフが空を切る音がした。

 暗殺者のナイフだ。おそらくは猛毒が塗ってある。

 アンタレスの攻撃を回避するシリウスが慎重だったのも、おそらくはそのせい。

 

 背に向かって飛んでくるナイフがどこかに刺されば、一巻の終わり。

 避けないと。なんとかして避けなければ。


 でも、もう遅いと心臓が跳ねた瞬間にどこかで諦めていた。


 戦争中にいつも思っていたことだ。

 命の幕切れは蝋燭の炎を吹き消すように、あっさりと訪れる。

 大仰な前振りなんて存在しない。死は当たり前のような顔をして突然やってくるのだ。


 隊長と両親と、そしてレグルスの顔が頭をよぎる。

 ごめんなさい。

 どうやら私はここまでのようです。

 

 レグルスには、随分前から伝えたかったことがあったけれど。




 ずぶり、と。

 投げナイフが肉に突き刺さる、にぶい音が耳朶を打つ。




 覚悟していた痛みは――――――――ない。



 なんでだろう。

 思わずつぶっていた目を開くと、私をかばうように腕に抱いている誰かと視線が合った。


「くそ、やっと見つけたと思ったら……。なにやってんだ、馬鹿エセル」


 鮮やかな緑の瞳が、忌々しげに私をにらんでいる。

 見慣れた不機嫌顔なのに、眉のしかめ方がいつもとは違った。

 まるで、痛みをこらえるかのような。



「――――――――レグルス」



 名を呼んだ声は私のものではないように、ひどく震えていた。




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