ウサギの身の上話&血まみれダガー
「ではエセルさんはシリウス様にいきなり拉致されたとおっしゃるのですね!」
「あれを拉致と言わないなら、何を拉致というのか分からないよ」
ミーファの恐ろしすぎる誤解を解消するために、なんかもう疲れた私はひどく投げやりな調子で言葉を放った。なんで縄で縛られたと言ったら、特殊なプレイをする恋人関係にあると思われるのかが分からない。
あれか、ミーファの中ではシリウスは恋人をまず縛る男として記憶されているのか。
ミーファはなぜだかひどく考え込んでいたが、突然ポンと手を打った。
……ウサギの身で手を打てるってすごい器用なんじゃなかろうか。
「それは俗に言う一目惚れというやつではありませんか!」
「ごめん。なんでそうなる」
「シリウス様が鎖をつけるほど執着されているのならば、エセルさんに対して本気だと考えるべきだと思いますよ。だって宮廷の女性陣からものすごいアプローチを受けているのにことごとく冷たい視線ではね返し、今のところ特定の恋人はいらっしゃらないようですし。なによりも、陛下のご命令以外には何に対しても興味を持たれないようなシリウス様が捕まえてくるなんて、これはもう恋という他ありません!」
興奮しているらしいミーファが膝の上に乗って来た。
もふもふした丸い生き物の重みは正直言って心地いいが、キラキラお目目にはげんなりする。
なんだろう、この魂を吸い取られていくような疲労感は。
訂正しようと思ったら、ひどく力のない声が出てしまった。
「捕まえたんじゃなく、拉致ね。拉致」
「それでもすごいですよ! だってあの方は興味がないものは無視するか斬り捨てて終わり、という御仁ですから!」
「……それ人として問題あるんじゃ……」
「ですがそれを補って余りあるほど有能で、剣の腕は国一番。陛下もそれはそれは信頼していらっしゃるんですよ!」
国王陛下のことをよく知っているという口ぶりに、信じがたい事態の連続で麻痺していた思考回路が動き始めた。
「ところで……ミーファはいったい何者なのかな……?」
ウサギでしゃべって、王様の宝。
……知らない方が良いような気もしてきた。
「わたしですか! わたしは陛下の側室です」
可愛らしい声が告げた衝撃の事実に、私はベッドに突っ伏したくなった。
国王陛下の側室。
この膝の上に乗っている、ふわふわのウサギが。
いったい何がどうなっているんだ、サジタリアスという国は。
「…………国王陛下ってウサギ好きなの?」
ようやく出た質問がこれだよ。
さっきからサジタリアス国王のイメージが二転三転してきてるんだが、そのどれもがまともな人物像を結ばない。
「いえ、ウサギはお嫌いだそうです。お小さい頃、膝の上に抱っこしたら粗相をされてしまったことがあるらしく……私もこの姿にはあまりなるなと言われております!」
「……この姿?」
「はい、わたし普段はちゃんと人間をしておりますから! ただ大量の血を見たり、びっくりするとウサギになってしまう体質でして……。殿方にキスをしていただくと元に戻るのです。なにやら滅びた国の王族の血が混じっているらしいのですが、よく分かりません!」
王族の血、か。
それは現実に力を持つものなのか。
私としては王族の不可思議な力が本当だとは信じたくないのだけれども。
だってジェミニの王族に呪われてるから。
しかし、しゃべるウサギが膝の上にいるというのは事実だ。
ウサギに変化できる王族の国があったなんて知りもしなかったけど、レグルスはなにか知っているかもしれない。
ミーファの愛らしい兎唇がむぐむぐと身の上話を語り始める。
「わたしは祖母と二人で暮らしていたのですが、祖母が亡くなった後、村にやってきた奴隷商人さんに売られてしまいまして……。村の皆さんはわたしがウサギになることもほのぼのと見守ってくださる良い方ばかりだったのですが、借金に困って出戻ってきた村長さんの息子さんが……その、わたしを売り飛ばしたそうです。
そして奴隷市場を一網打尽にしたシリウス様に助けていただいて、失われた王族の血がどうのこうのということで、陛下と出会ったわけです。
最初はウサギということで嫌われておりましたが、色々ありまして今では『お前だったら例えウサギ姿でも一瞬キスするぐらいはしてやる』とおっしゃってくださるまでになりました!」
「その色々あっての内訳が激しく気になるんだけども……」
なにせウサギ嫌いを克服してまで愛が芽生えたのだ。
いったい何があった。
「王様の側室がなんでこんな所にいるの? 王宮にいようよ」
「もっともです……陛下のお傍を離れてしまいました。陛下、不眠症気味でいらっしゃるのに……ああ、大丈夫でしょうか」
心配そうに溜息をつくミーファ。
ウサギから人間に戻ったら、なかなかの美少女なのだろう。ウサギ姿でも可愛いが。
「側室になってからお作法にダンスと忙しい日々だったのですが、アンに眠り薬を嗅がされてさらわれてしまいまして……。あ、アンというのはスコルピオンの暗殺者さんです。とても気さくなのですが、とてもとてもとても怖い方です。笑顔で血の海を作るのが趣味だそうで……わたしはウサギになってしまいました」
そういえばシリウスもスコルピオンやら毒サソリがどうのこうのと言っていた。
スコルピオンもリーオーと同じく南大陸の大国。
中央海に散らばる島々との貿易権をめぐり、海をはさんでにらみ合うサジタリアスとは険悪で有名だ。
射手の弓は常に大サソリに向かって構えられていると言われている。
双魚と双子の関係と似たようなものなのだろう。
つらつらと考えていると、勢いよくドアが開いた。
駆け込んで来たのは銀色の長い尻尾……じゃない一つに結んだ長い髪をなびかせたシリウスだ。
……どこまで間抜けなんだろう、私。
ミーファの身の上話に聞き入って、逃走についての思考を放棄してたよ。
「無事か」
私の顔を見た瞬間、どことなくほっとしたような顔をしたシリウスが意外だ。
崩れることなどないような怜悧な美貌に、ほつれた髪が少しかかっている。
急いで戻って来たのだろうか。
ベッドの傍まで来ると、シリウスは私の膝上のミーファに恭しく礼を取った。
「ご無礼をお許し下さい、ミーファ様。気絶していた貴女を神器に閉じ込めましたのは、ゆえあってのことでした」
「謝らないで下さいシリウス様。なんとなく理由があるんだろうなぁ……と思っていましたから!」
「ありがとうございます。ところで、ご自分で神器を開けられたのですか?」
「はい! エセルさんの励ましでなんだか力が湧いてきて、ドカンと!」
「そうですか……では私よりもミーファ様の力の方が上ということですね。陛下のためにも非常に喜ばしいことではありますが……今は少々まずい事態が発生しました」
そう言いながら、手際良く私にはめた首環を外す。
シリウスが襟元から鍵を取り出した時は、後生大事に首から下げてたのかとツッコミを入れたくなったが我慢した。空気を読んで我慢した。
「端的に言いますと、神器で封じていたミーファ様の気配がもれ、この場所を暗殺者に嗅ぎつけられた可能性が高いのです。毒サソリどもは皆、罠にかかったと判断していたのですが……嫌な予感もしましたので。この場は放棄し、安全な場所に移ります」
だから私を解放したのか。
これはドサクサに紛れて逃げるチャンス。
……そう思えたのは本当に一瞬だった。
「いやだなぁ、ヒトを犬みたいに。犬なのはアンタだけだろー」
場違いを突き抜けるほど明るい声が響いたのだ。
目を向ければ、誰もいなかったはずの壁際に一人の少年の姿。
赤褐色の髪を一本の太い三つ編みにして、だぼついた黒の衣をまとった不思議な風体をしている。
彼を見てミーファが声をあげた。
「アン!?」
「おこんばんはー。気がつけば、アナタの背後に、そっといる。お茶目な暗殺者アンタレスでっす」
ウインクをした少年は道化じみた口調に似合わないことに……鮮血が滴り落ちるダガーを手にしていた。