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バッタになった父  作者: 南 春


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また今度

子供との時間が作れない全ての父親に

 休日の朝。


テレビから子ども向け番組の音楽が流れ、窓の外ではセミが元気よく鳴いている。


朝ごはんを食べ終えた翔太は、待ちきれないように虫取り網を抱えると、幸一の前へ駆け寄った。


「パパ、虫取りに行こう!」 


年長さんになった翔太は、虫取りが大好きだった。


チョウを追いかけたり、カマキリを見つけては夢中で走ったり。


休みの日だけでは足りず、保育園から帰ってくると、「公園に行こう」と毎日のようにせがんでくる。


幸一はネクタイを締めながら、困ったように笑った。


「ごめんな、翔太。今日は朝から仕事なんだ。」


「えぇー……。」


 翔太は虫取り網をぎゅっと握りしめた。


「ママと行っておいで。小学校の近くだったら、きっとチョウもトンボもいるぞ。」


「でも、パパと行きたい。」


その一言に、幸一は胸が痛んだ。


今度の休みには、一緒に行こう。」


「ほんと?」


 「約束だ。」


 翔太はぱっと笑顔になると、大きくうなずいた。


「じゃあ、チョウを捕まえたらパパに見せる!」


「よし。今日は高得点、期待してるぞ。」


「まかせて!」


 幸一は翔太の頭をそっとなでると、仕事用のかばんを手に玄関へ向かった。


「いってらっしゃい。」


妻の春がエプロン姿で声をかけた。


幸一は靴を履き、玄関のドアを開ける。


 玄関の外へ出ると、初夏の朝の日差しがまぶしかった。


 振り返ると、白い虫取り網を持った翔太が窓から大きく手を振っている。


 幸一も笑顔で手を振り返し、会社へ向かって歩き始めた。


 ――本当は、自分も翔太と一緒に虫取りへ行きたかった。


そんな思いを胸に、足早に会社へ向かった。


それからあっという間に一週間が過ぎた。


朝、翔太が目を覚ますころには、幸一はもう家を出ている。


夜、幸一が帰るころには、翔太は夢の中だった。


「おはよう」も「おかえり」も言えない日が、当たり前のように続いていた。


そして迎えた約束の週末。


けれど、その日も幸一は仕事だった。


帰宅したころには、外はもう暗くなっていた。玄関には、虫取り網が置いている。


 幸一は静かに寝室の扉を開けた。


 翔太はぐっすり眠っていた。


枕元には、虫かごが置かれている。


中には、小さなチョウが一匹だけ入っていた。


「今日ね。」


 後ろから、妻の春が静かに声をかけた。


「翔太、朝からずっと楽しみにしてたんだよ。」


幸一は何も言えなかった。


「『今日はパパと虫取りに行くんだ』って、何度も話してた。」


幸一は申し訳なさそうに目を伏せた。


「ごめん。どうしても、ほかの人には代われない仕事だったんだ。」


春は軽くうなずく。


「仕事が大事なのは分かってる。」


少し間を置いて、穏やかな声で続けた。


「でもね。守れない約束は、しないほうがいいよ。」


その言葉が、幸一の胸に静かに残った。


「……そうだな。」


幸一は眠る翔太の頭をそっとなでた。


「明日、ちゃんと謝るよ。」


そうつぶやくと、幸一は翔太の静かな寝顔を、しばらく見つめていた。


部屋の明かりを消そうとした、そのときだった。


枕元の虫かごの中で、小さなチョウが羽をふるわせた。


幸一はその姿をぼんやりと眺めながら、ふと思った。


(俺も虫になれたら、少しは気が楽になるのかもしれないな)


ほんの一瞬、頭をよぎっただけの考えだった。


幸一は明かりを消すと、すぐにそのことを忘れてしまった。


来週は、絶対に一緒に虫取りへ行こう。


そう心に決めると、ゆっくりと目を閉じた。


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― 新着の感想 ―
虫かごの中のチョウより、約束のほうが先に捕まえられなかったのが印象的だった。「虫になれたら楽かも」という一瞬の考えが不思議で、静かなのに妙に心に残る話だった。
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