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恋の決壊点  作者: かすか
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第1話 臨界のカウントダウン

大学生になって半年。

私、日向ひなたの視界は今、極限の緊張と、それ以上の「物理的な圧力」で白く霞んでいた。


ここは、同じ大学で憧れの先輩であるれんさんの部屋。

高校の先輩だったが、大学で再会できるとは思わず、運命を感じた。


その日から、ぐいぐい押しに押して、ようやく手に入れた「彼女」のステータス。

三ヶ月が経過し、「お試し期間」の、今日は一つの到達点だった。

積極的なアプローチが功を奏して「もう自由に使っていいよ」と半ば諦め顔で手渡された、銀色の合鍵が手の中にある。



彼には好きな人がいる。同じ学部の同級生。

私からの告白を曖昧にする態度に業を煮やし「私が忘れさせてあげますから」と、勝手にお試し彼女の枠に滑り込んだのだが、彼の中にある「片思いの同級生」の影を追い出し、私が本命に昇格するための、たった一つの希望の鍵だった。



(……もしかしたら、ワンチャンあるかも)


そんな淡い期待を抱いて、今日は服も気合いを入れてきた。ふわりと広がる淡いベージュのスカートに、少しだけ鎖骨が見える白のブラウス。

鏡の前で何度もチェックした、清潔感と少しの背伸びを混ぜた勝負服だ。


けれど、いざ蓮さんの部屋に勝手に足を踏み入れ、静寂の中に放り出されると、彼の生活空間に侵入できた喜びはすぐに書き消され、巨大な不安へと反転した。

(勝手なことをして、って怒られるかな。……重たすぎるってフラれるかも)


一度ネガティブな思考に陥ると、止まらない。

彼には『お邪魔してます。』とだけ連絡を入れた。


既読が付くまで部屋の中をウロウロしていたが、『バイトで遅くなる。』と、よく知らないキャラのスタンプとセットで返ってきた瞬間、彼のベッドを借りて存分にジタバタさせてもらった。



自覚していた以上に私は緊張していた。せめてもの罪滅ぼしにと、余計なモノをうっかり見つけてしまわないよう、当たり障りのない形で部屋を掃除・整頓しておく。

しんとしたワンルームで一人、彼の帰りを待つ時間は、まるで審判を待つ被告人のような気分だった。


喉が異常に渇く。


私は、カバンに入れてきたペットボトルのお茶を無意識のうちに何度も口に運んでいた。

ゴクゴクと喉を鳴らすたび、不安が少しだけ洗い流されるような気がして、いつも以上のペースで中身が減っていく。


一本目を空け、さらに二本目に手をつける。私の不安と反比例するように、下腹部には確かな「重み」が蓄積されていった。

緊張がろ過作用を加速させ、それが今、私の小さな身体の中で、逃げ場を失って暴れ始めていた。


「……っ、ふぅ……」

午後6時。そろそろ蓮さんが帰ってくる時間だ。


ベッドに腰をかけスマホをいじって時間を潰している間も、下腹部がじわりじわりと、重い熱を持ち始める。最初は、トイレに行けば済む話だと思っていた。

けれど、立ち上がろうとした瞬間に「もし、してる途中で先輩が帰ってきたら?」という恐怖が頭をもたげた。


合鍵をもらったばかりの女が、勝手に部屋を掃除し、あまつさえトイレまで占領している。

そんな無遠慮な姿を見せたら、まだお試し期間中できっちり線を引いている彼に『図々しい女』と嫌われてしまうのではないか。

サッと済ませばすぐなのに、もしかしたら……と、そんな過剰な自意識が私をベッドに縫い付けた。



時間が経つにつれ、尿意は「違和感」から、刺すような「痛み」に近い切迫感へと変質していった。

浅くなる呼吸。不意に訪れる波が、無慈悲に膀胱の筋肉を刺激する。


私は内股をこれ以上ないほど固く閉じ、勝負服のスカートを指が白くなるほど握りしめた。

座っているだけでも、下腹部で弾けるような拍動が伝わってくる。一歩でも動けば、その衝撃で自分の中の「堰」が崩壊してしまう――そんな予感が、私を支配していた。



午後6時40分。

思い返せば、いくらでもチャンスはあったのに。その一歩が踏み出せなかった代償は、あまりに重かった。

もはや蓮さんと過ごす甘い空想は霧散し、思考のすべては、下腹部を襲う荒波のような圧力と、それを食い止めるための絶望的な抵抗に占拠されていた。


額からは冷や汗が滴り、視界が明滅する。下着にもじっとりとした感覚があり気持ち悪い。

まだ出した自覚はないので、これは間違いなく汗だ、と自答する。


(……もう、いい。怒られても、嫌われてもいい……!)


ようやく、羞恥心よりも破滅への恐怖が勝った。

このままでは、一番好きな人の部屋で、取り返しのつかない汚点を残してしまう。



(漏らすよりはマシだ……っ!)


震える膝を必死に支え、ベッドから腰を浮かす。内側に溜まった嵐が外にあふれ出さないよう、両手で出口に強く鍵を掛け、慎重に一歩目を踏み出す。


(よし、これなら行ける!)


あと数メートル。トイレに辿り着き、すべてを解放できる――。

そう思った、まさにその瞬間だった。



――ガチャリ。

静寂を切り裂く、非情な宣告。

玄関の鍵が、外側から回る音がした。


「ただいま……。色々あって、ちょっと遅くなった」



あぁ、蓮さんが、帰ってきた。

私は、中腰のまま、石のように固まった。



目の前に、世界で一番愛しい人がいる。


けれど、今の私にとって彼は、救世主であると同時に、

私の「最後の一線」を奪い去る死神に他ならなかった。

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