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第九話「無垢なる略奪者」

帝都の中央広場は、熱狂的な歓喜の渦に包まれていた。

民衆の声は地鳴りのように響き、石造りの校舎や時計塔を震わせている。

その熱狂の中心に、彼女はいた。

辺境の村から見出されたという、光の聖女、アリシア。

彼女が軽く手を振るだけで、人々の間からは悲鳴に近い歓声が上がる。

私は、広場を見下ろす貴賓席の影から、静かにその光景を観測していた。

隣には、皮肉めいた笑みを浮かべたジュリアンが控えている。

「いよいよ真打ちの登場ですな。あれが、世界に無限の負債を振りまく、愛すべき債務者だ」

ジュリアンの言葉を裏付けるように、アリシアが行動を起こした。

広場の中央には、数年前の落雷で枯れ果てたという、帝国の象徴たる「守護の古木」が横たわっている。

誰もが諦め、切り倒すのを待つばかりだったその巨木に向かって、彼女は迷いのない足取りで歩み寄った。

アリシアは、汚れなき瞳を潤ませ、その痛々しい幹にそっと手を触れる。

「かわいそうに……。あんなに立派だったのに、こんなに冷たくなって……」

彼女の声は、広場全体に響き渡るほどに澄んでいた。

「光よ、この木に再び、生命の喜びを。みんなを、笑顔にして!」

彼女がそう願った瞬間、天から降り注いだのは、眼を焼くほどの純白の輝きだった。

それは美しい、と形容する他ない光景だった。

枯れ果て、灰色に変色していた巨木の表面を、黄金の脈動が駆け巡る。

パキパキという、生命が爆ぜるような音が響き、一瞬のうちに瑞々しい若葉が枝を埋め尽くした。

「おお……! 奇跡だ! 聖女様の奇跡だ!」

人々は地面に膝をつき、祈りを捧げる。

だが、私は見た。

彼女が光を注ぎ込んだその瞬間、広場を彩っていた花々が一斉に首を垂れ、土の色が毒を盛られたかのようにどす黒く変色したのを。

生命を創造したのではない。

彼女は、周囲の土地が数百年かけて蓄えるはずだった滋養と、大地の霊脈を強引に前借りし、一箇所に凝縮したに過ぎない。

その結果として生じた「空白」は、目に見えない闇の澱となって、周囲へと拡散していく。

「……始まりましたわね」

私は、椅子の手すりを指先で叩いた。

私の視界には、アリシアの背後から噴き出す、悍ましいほどに濃密な「黒い煙」が見えていた。

それは彼女が奇跡を起こせば起こすほどに増大し、世界から奪われた可能性の死骸となって漂っている。

「彼女は満足げです。自分が、どれほど残酷な略奪を行ったのかも知らずに」

ジュリアンが冷徹に指摘する。

「令嬢、あの闇がここへ流れてきます。受け入れの準備を」

「ええ、わかっていますわ」

私は目を閉じ、自らの内側にある混沌の回路を開放した。

聖女が振りまいた光の代償。 行き場を失い、世界を呪うエネルギーの奔流。

それが、吸い寄せられるように私の身体へと流れ込んでくる。

「っ……!」

肺の奥が焼けるような、強烈な不快感が私を襲った。

それは無念に枯れた草花の悲鳴であり、栄養を奪われた大地の乾きだった。

以前の私なら、この負債を押し付けられただけで、精神が崩壊していただろう。

だが今の私には、加速させた時間の中で手に入れた、五分と五分の均衡がある。

私は、流れ込む闇を拒絶せず、むしろ愛おしむように包み込んだ。

そして、同時に自身の内にある光を燃焼させ、その闇と正面から衝突させる。

黒と白が混ざり合い、激しく火花を散らす。

私はその「衝突のエネルギー」を、混沌の炉の中で丁寧に濾過していった。

痛みは、神へと至るための祝詞に変わる。

絶望は、新たな理を紡ぐためのインクに変わる。

「……ふう」

数分後。 私が目を開けたとき、私の魔力密度は、先ほどよりも一層、静謐な高みへと押し上げられていた。

「素晴らしい管理です、エレオノーラ様。あなたは今、一国の霊脈を救うと同時に、その主権を己の内に取り込んだ」

ジュリアンが満足げに頷く。

広場では、まだアリシアが人々に囲まれて微笑んでいた。

彼女は、自分の善行が私という「闇の器」を育て、神格化を加速させていることなど、微塵も疑っていない。

「ねえ、ジュリアン。彼女に会いに行きましょう」

「おや。直接、言葉を交わされるのですか?」

「ええ。聖女が、いかに無垢で、いかに恐ろしい存在か……。それを、この目で確かめておきたいの」

私は立ち上がり、貴賓席を後にした。

民衆の波をかき分け、私は聖女アリシアの正面に立った。

人々の視線が、華やかな公爵令嬢と、清楚な聖女の対峙に釘付けになる。

「……あなたが、聖女様ね。素晴らしい奇跡を見せていただいたわ」

私が微笑みかけると、アリシアは一瞬、眩しいものを見るように眼を細めた。

「公爵令嬢様……。私、ただ、この木がかわいそうだと思っただけなんです。みんなが喜んでくれて、本当によかった」

彼女の瞳には、一抹の曇りもなかった。

本当に、心の底から「良いことをした」と信じ込んでいる。

彼女の手を握った瞬間、私は彼女の身体の奥から、底なしの「虚無」を感じ取った。

光を無限に消費できる特異な体質。 だが、その引き換えに、彼女には「結果を顧みる力」が完全に欠落している。

「あなたは、とてもお優しいのね。その優しさが、いつか世界を救うのか……あるいは、壊すのか」

「え……?」

アリシアが困惑したように首を傾げる。

私は彼女の手を離すと、耳元でだけ聞こえるほどの囁きを落とした。

「いいのよ、そのままのあなたで。あなたが奇跡を振るえば振るうほど、私は美しくなれるのだから」

「何を……?」

彼女が聞き返そうとしたときには、私は既に背を向けていた。

公爵令嬢としての完璧な所作で、私はその場を去る。

背後では、再びアリシアを称える歓声が巻き起こっていた。

だが、その歓声の合間に、新しく芽吹いた古木の葉が、早くも微かに黒ずみ始めていることに気づいた者は、私とジュリアン以外にはいなかった。

「無邪気な略奪者……。彼女こそ、この世界の最も純粋な欠陥ですわね」

私は、馬車の中でジュリアンに向かって言った。

「ええ。ですが、その欠陥があるからこそ、私たちは完全へと至ることができる。実に、美しい不条理ではありませんか」

「ええ。本当に面白いわ」

私は、自らの指先に宿る、灰色の小さな揺らぎを見つめた。

聖女が光で世界を塗りつぶそうとするなら、私はその裏側にある全ての闇を飲み干し、神としての対称性を完成させる。

聖女と悪役令嬢。 光と混沌。

どちらが最後に世界という舞台に立っているか、もはや議論の余地はなかった。

私は、加速した時間の中で、次なる「食事」を待ちわびる捕食者のように、静かに目を閉じた。



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