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世界を救ったヒーローの得物は一升瓶!?

作者: 穂麦

「世界が滅びるのではないか」


 そんな言葉が、テレビの向こう側で現実味を帯びて語られ始めたのは三年前だった。


 突如として日本各地に出現した異世界の穴――ダンジョン。そこから溢れ出したモンスターの蹂躙により、地図の上からいくつもの街が消えた。


 だが、人類も黙って見ていたわけではない。


 日本であれば自衛隊が、他の国であれば軍隊が総力を挙げて立ち向かい、数多の犠牲を払いながらも、一時はモンスターをダンジョン付近まで押し戻すことに成功していた。世界は、緩やかな復興へと向かうはずだったのだ。


 しかし今日、画面に映し出されたのは、これまでの希望をすべて粉砕する絶望だった。


 激しく揺れるカメラが、見慣れた新宿のビル群を背景に放たれる無数の火線を映し出す。地を這う戦車隊が必死の砲撃を繰り返すが、爆煙の先から現れたのは、これまでのモンスターとは明らかに格が違う巨大なモンスター達だった。


 ビルのような体躯。最新兵器の直撃を受けても火花を散らすだけの、強固な皮膚。


「……こんなのどうやって」


 テレビに映されていた隊員の一人が、奥歯を噛み締めるかのような表情で、続けようとしていた言葉が出るのを堪えた。しかし、その先の言葉がなんであったかは、誰もが理解していたはずだ。


 悲痛な怒号が響き、巨大な足音がアスファルトを削り取るたび、防衛線が紙細工のように崩れていく。日本の、いや人類の終焉を誰もが確信した、その時だった。


 ――その人が、現れた。


 僕は瞬きすることさえ忘れ、テレビの中の光景を凝視した。


 米粒のように小さく見えるひとつの影が、爆炎と土煙を真っ向から切り裂いて進む。自衛隊が総掛かりで傷一つ負わせられなかった巨獣の群れを、その影は、まるでゴミでも払うかのような手つきで一方的になぎ倒していく。


 爆震を突き抜けて進むその後ろ姿は、まさしく人類を救うヒーローそのものだった。


『やりました! 倒しました! モンスターがダンジョンへ逃げ帰っていきます!』


 実況の絶叫が響く。日本中が、いや世界中が歓喜に沸いたはずだ。そのヒーローの圧倒的な武力のおかげで、最悪は押し戻されたのだから。


 でも、なんだろう。胸を焦がすような高揚感の中に、じわじわと奇妙な違和感がある。


 報道ヘリのカメラが、救世主の姿をズームで捉えた。


「……え、なんで、スーツ?」


 あれほどの激闘を潜り抜けたというのに、安物のビジネススーツには汚れひとつない。しかも、その頭には宴会芸のごとくネクタイが巻き付けられ、右手に握られているのは聖剣でも伝説の武器でもなく、どこにでも売っているラベルの貼られた一升瓶だった。


 そういえばさっき、あの巨大なモンスターの頭をそれで叩き伏せていた。一撃を食らったモンスターは、まるで土下座でもするかのような無様なポーズで沈み、二度と起き上がらなかった。


 それ、本当に一升瓶? 硬すぎない? というか、まさか……酔った勢いで戦っていた?


 日本中が英雄の正体に注目し、その素顔が露わになる中、僕はあまりの羞恥心に顔を覆った。


 ねぇ、お父さん。


 なんでよりによって、仕事帰りのスーツ姿で戦っているの? それに、そのネクタイの巻き方は、絶対に泥酔モードじゃないか。


 せめて、せめて顔くらいは隠して欲しかった。明日からどんな顔をして近所を歩けばいいのだろう?


 僕は今、世界滅亡の危機よりも深刻な問題に頭を抱えた。


 ※


 翌朝、お父さんは自分の部屋で泥のように眠っていた。


 お父さんが愛おしそうに抱えて寝ているのは、ラベルの一部が怪獣の返り血で赤茶色に染まった、空っぽの一升瓶。


 部屋に充満する、安酒の臭いと獣臭が混ざり合った異様な悪臭に、ここまで神経を抉られる日が来るとは思いもしなかった。世界を救った英雄の部屋が、場末の居酒屋の裏路地と同じ匂いがするなんて、誰が信じてくれるだろうか。


 キッチンへ向かうと、そこにはいつも通りの朝食が並んでいた。


 お母さんは、昨夜は早々に寝ていてテレビを見ていなかったらしい。まさに知らぬが仏を地で行く仏のような微笑みで、トーストを焼いている。


 椅子に座った僕の視界に、一通の新聞が飛び込んできた。


『一升瓶の救世主、現る。』


 そんなふざけた見出しを、僕は見なかったことにしたかった。


 でも、一面を飾る特大の写真には、ネクタイを頭に巻き、泥酔した顔で巨大怪獣を撲殺する、よく知っている中年男性の姿が、鮮明に掲載されていた。


「……ああ、おはよう」


 背後からかかった、ただの二日酔いの情けない声に、心臓が跳ね上がった。


「……おはよう」

「あなた、昨日はどこで飲んで来たのよ。帰るのがずいぶん遅かったじゃない」


 お母さん、お願いだからこれ以上、核心を突くのはやめてほしい。


「いやぁ、それがさ。どうにも飲み過ぎたみたいで……全く覚えてないんだよ。気づいたら駅前で寝てたような気がするんだが……」


 お父さんは、怪獣の頭蓋を粉砕した右拳で気楽に頭を掻いている。


 覚えていない!?


 人類を救っておいて──他の国は分からないけど、日本は救ったはずなのに。それなのに本人はアッサリと記憶を飛ばしていた。


 僕は確信していた。もうすぐ、この平穏な家には政府や報道陣が押し寄せてくると。そして、とても面倒なことになるから、ここにいない方がいいことを。


 あと、ご近所さんが回覧板を持ってきたとき『お父様には、世界を救って頂いて……プッ(笑)』とか反応する姿も確信していた。


 僕は、昨日から温めていた唯一の生存戦略を口にする。


「……お父さん、お母さん。高校なんだけどさ。少し遠いから、バイトして一人暮らししようと思うんだ。……今すぐ。今日からでも」


 二人が呆気にとられる中、僕は心に決めていた。


 たとえこの世界が滅びに向かおうとも。


 僕は向こうで、絶対に──絶対に赤の他人のふりをして過ごそうと思う。



 







 あと、お父さん、お母さん、ごめん。


 僕は二人を見捨てることにするよ。やっぱ自分の身が一番かわいいから。

最後まで読んでいただきありがとうございます!


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