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RE:GEN  作者: pochi.


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Stufe 4: Jagd

カクヨム掲載作品です。


 レーゲンはナイフで扉を塞いだまま、ミゲルが紙を開くのを待った。立ち上がり、無意識に震える指でミゲルは畳まれた紙を開く。


 ノートサイズの紙の中央は、緑のクレヨンで乱暴に塗り潰されていた。しかしその所々は空いていて、そこには四本の木々と、それぞれの幹に巻かれた四色の紐が描かれている。塗り潰された部分の上部には家のマークが記されていた。後ろからのろのろと、ジョナスも絵を覗き込む。


「──玄関を出て、ガレージの方向を見れば山が見える。その麓に山小屋があるんだが──お前らの次のゴールはそこだ。……ただし、辿り着くには森を抜けなきゃならない」


 レーゲンは二人を見下ろしながらにやりと笑った。


「心配しなくても、森といっても庭みたいなもんだ。お前らでも抜けられる。──とはいえ森は森。迷うこともあるだろうから、印をつけておいた」


 そう言って上体を屈めると、空いている方の手でレーゲンは絵をなぞった。


「四つの木に、色の違う紐が結んである。その木を見つければ、次の木を示すヒントがあるだろう。森の中は道が無いから、そうやって目印のついた木を辿っていけば、必ず抜けられる」


 青、黄、オレンジ、赤──手前から順に奥に向かって、直線ではなく左右に点在する形で目印は描かれている。絵だけを見れば容易に感じるが、次のレーゲンの言葉で小さな安堵は打ち消された。


「外はもう夜だ。……月明かりがあればいいが、どうだったかな。──それと、別にただ森を抜けるだけが”遊び”じゃない。もちろん、これにも”条件”がある」

「じ、条件……?」


 ミゲルの背から顔を覗かせ、ジョナスが弱々しい声を溢す。スッとわずかに目を伏せ、レーゲンは続けた。


「今までのは”かくれんぼ”だっただろ? 次は、”鬼ごっこ”ってだけだ」


 そう言って、レーゲンはナイフを引いた。そしてそのまま床に落とし、蹴りつける。蹴られたナイフはミゲルとジョナスの脇を抜け、ジョナスが引きつった声を上げてミゲルの肩を掴む。ナイフはそのまま壁に跳ね返り、回転しながら廊下の方で動きを止めた。


 脇目も振らず、レーゲンは玄関扉を開く。蝶番の呻きとともに、冷えた風が三人の服を撫でて通り過ぎる。その先には、深淵が広がっていた。


 夕暮れの日差しを反射させていた木々の葉や地面の草は、すっかり色あせていた。古びた情緒を醸しだしていたポーチやベンチ、空のバードバスも温度を失い、夜の帳に紛れている。ミゲルたちが歩いてきた道も闇に閉ざされ、まるでこの一帯が本当に亡霊の住処になってしまったかのように、景色が一変していた。


「──見ろよ。雲は厚いが、疎らだ。運が良かったな」


 ポーチから空を覗き込み、歌うように呟く。レーゲンは扉に手をかけたまま徐にガレージ方向を指差した。


「ほら、あの森だ。ライトは持ってるだろ? 地図を頼りに、先に行け」


 ポーチに足を踏み出したミゲルたちは、レーゲンの指先を追う。明暗が安定しない月明かりに照らされ、そう遠く無い場所に木々が生い茂っているのが見える。森の騒めきが、まるで手招きしているかのように二人の耳に届く。


 ミゲルたちが戸惑いに足踏みしていると、レーゲンは扉側を振り返った。その傍に立てかけられていた物を手に取ると、玄関扉を閉めながらベンチまで歩き、豪快に腰を下ろす。そして、手に持った──年季の入った狩猟ライフルを膝に乗せた。


「ミ、ミゲル……」


 ダークウッドのグリップを撫でるレーゲンに恐れをなしたョナスが、震える声でミゲルを呼ぶ。この後森で何が行われるのか──二人は言葉にせずとも理解した。


「五分待ってやるよ」


 暗闇に、レーゲンのアース・アイが煌めいた。


「五分待ったら追いかける。──お前らが無事森を抜けたらお前らの勝ちだ。もし俺の銃が当たっても、生きて森を抜けられたなら、勝ちは譲ってやるよ」


 二人が慄く姿を見て、レーゲンは肩を揺らして笑った。


「そう怖がらなくてもいいぜ。この暗闇だ。俺だって俺の目と腕を試すようなもんだからな。──ほら行け、カウントダウンを始めるぞ」


 始めは楽しげに、最後には威圧を含め、レーゲンは二人を突き放す。震え上がるジョナスを背に、ミゲルは覚悟を決めた。進路は暗いが退路は無い。彼に従い、行くしかない。


 毅然とした表情で踵を返し、ミゲルはジョナスの腕を鷲掴む。驚くジョナスを顧みずライトを点けると、ミゲルは森に向かって駆け出した。


 背後から、あの低い笑い声が聞こえる気がして身震いする。しかし、ミゲルは半ば引きずるようにジョナスを連れ、森の深淵へと飛び込んだ。雲間から漏れた月光が、そんな彼らの背を照らした。





 草木生茂る森は、二人が想像した以上に暗かった。ミゲルのライトは木々に反射するが、周囲までは照らさない。歩くたびに草が鳴り、彼らの位置を闇に囁く。小動物の仕業なのか、遠くの音が足音の形で近づいてくる。


「ミゲル、本当に大丈夫なのかな? こんなに暗いんじゃ、目印なんか見つけられないよ!」


 ジョナスはずっと体を縮こませ、身震いしている。夜の冷えた空気ではなく、恐怖が彼の精神を支配しているようだ。彼の手を引いてしばらく走り、息が切れた頃にミゲルは足を止めた。


 地図を開いてライトで照らす。周囲に小さな羽虫が集まり、それが時折ミゲルの視界を横切る。構わず紙に描かれた絵を睨み、ミゲルは次に周囲を照らした。


 最初の木は、中央から少し右に外れた辺りだ。距離もそれほど奥まった位置ではない。絵の通りなら青い印があるはずだ。


 ミゲルの視界には、まだ遠くの出入り口が見えている。足を止めた付近から徐々に距離を調整すれば、目的の木は見つかるだろう。


「この辺にあるのかな? おんなじような木ばっかりだから、このまま行ったら自分がどこにいるのか分からなくなりそうだよ。こんな印なんかで森を抜けられるのかな」


 不安を紛らわすためなのか、ミゲルが周囲を探す間、ジョナスはずっと不安を口にしていた。それが、何故かミゲルの心をわずかに癒す。彼が不安を溢すほど、ミゲルの目は冴え、足は動いた。


 周囲の木々を一つ一つ照らしながら、青い印を探す。草を時折かき分けながら、ミゲルはジョナスの手を引いて道を開いていく。程なくして、案外あっさりとそれは見つかった。


 太い木の幹に、細長い布の帯がはためいていた。それはクレヨンと同じスカイブルーだ。ミゲルのライトに照らされ、まるで自ら発光するかのように存在を主張している。


「す、すごい……あった! ねえミゲル、あれだよね?」


 ジョナスの声が高まる。眉尻を下げながらも口角は上がり、瞳にはわずかに希望の光が点っている。ミゲルは小さく微笑んで頷くと、二人は目的の木へと駆け寄った。


「この木に次の場所までのヒントがあるって……あ、なんだ」


 ジョナスが布を見上げながら呟くも、ミゲルに照らされたその下部を見ると、ほっと安堵の息を漏らした。丁度布の結び目の下に、矢印が削られていたのだ。


「この矢印の方向に進んでいけば、次の黄色の目印まで行けるってことだよね?」


 進行方向を指差すジョナスに、ミゲルは頷く。指し示された方向の闇を、まるで狙いを定めるかのようにじっと見つめる。そんなミゲルにジョナスは首を傾げたが、それだけだった。


「……じゃあ、早速行こう。早くしないと、あの人が来ちゃう」


 ジョナスの声に、ミゲルは弾かれたように家の方向を振り向いた。矢印の先を照らしたライトがわずかにブレる。レーゲンは”五分待つ”と言ったが、時間の感覚を失う森の中でも分かる。そのタイムリミットは明らかに過ぎている。


 ミゲルはライトを下げ、じっと来た道に目を凝らし、耳を済ませた。風に揺られる葉音に紛れて聞こえる足音は無い。連なる木々は微かに注ぐ月光に照らされ、まるで牢獄の格子のようにぼんやりと立っている。


 ──その奥だった。視界に違和感を覚え、ミゲルは一瞬目を滑らせて再び戻す。遠くの木の陰に何かがいる。さらに注視すると、ジョナスの呼び声がぼやける。それでもミゲルはじっと焦点を定めた。


 目を驚愕に見開くと、ミゲルは唐突に駆け出した。彼が手を振るのに合わせ、ライトが忙しなく移動する。


「ミゲル⁈ ま、待って! どうしたの?」


 ジョナスも慌てて彼の背を追う。逃げるように走るミゲルだったが、それでも進路はあの矢印に沿っていた。


 脳内にこびりついた光景がミゲルを襲う。遠くの木から半身を覗かせ、レーゲンがじっとこちらを見ていた。ポーチで触っていた銃を構えるでもなく両手をだらりと下げ、楽しげに口角を上げるでもなく口を閉じ、虚にも見える目でミゲルを見ていたのだ。


 ライトを照らしたわけでも無い。月光に照らされていたわけでも無い。なのに、ミゲルにはその表情が手に取るように分かった。どの木を見ても遠くから、置き物のようにレーゲンがこちらを見ているような気がした。ミゲルは前だけを見て、ひたすら走った。


 やがて、黄色くはためく布の煌めきを視界の端に捉え、ミゲルは縋るように駆け寄った。乱暴に草をかき分け、木の根に躓きながらも目印の木に到達し、すぐに隠れるように幹に背を預けて座り込む。膝を抱えて息を整えていると、弾む息でなんとか彼を追いかけていたジョナスが合流した。


「ど、どうしたの急に? ……あの人……、見たの? ぼ、僕は……何も、見えなかったけど……銃の音も、しなかったし」


 激しい呼吸を抑えながらミゲルのそばに座り込み、途切れ途切れにジョナスが尋ねる。しかし、膝を抱え込んだミゲルは怯えた瞳で地面を見つめ、首を縦にも横にも振らなかった。


 突然頼りなく怯え出したミゲルの肩に、ジョナスは手を添えた。そして、首を伸ばして家の方向に目を凝らす。何もいないのを確認すると、ミゲルの隣で同じように膝を抱え込んだ。


「いったん落ち着かない? こんな時だし。──僕が言うのもおかしいけど……」


 ジョナスが苦笑して頬を掻く。顔を上げないミゲルに困り果てると、彼も地面に視線を落とした。


 風が止み始め、騒めきが緩やかになっていく。雲間から月が顔を覗かせたのか、周囲がほんの少し明度を増す。所々で草が月光を反射して煌き、森に陰影が生まれる。そんな変化に目もくれず、二人は地面の土を見ていた。


「──ねえ、ミゲル。……僕たちって、何が欲しかったんだろうね」


 突然、ぽつりとジョナスが囁くような声を溢した。ほとんど独り言のようなものなのか、ミゲルの反応を待つわけでもなく、ジョナスは静かに言葉を続けた。


「僕のパパはね、言うこと聞かないと叩いてくるし、すぐ怒鳴るし……すごく、怖かったんだ」


 ミゲルが微かに顔を持ち上げる。その仕草に気づいたジョナスも顔を上げ、ミゲルを一瞥して小さく笑った。


「でもね、ママにはすごく優しかった。──だから僕、ママにはパパのこと言いづらかったんだけど……でも、本当にもうダメだって思った時、思い切って相談してみたんだ」


 月光が恐怖の影を静かに撫で、光の帯に変化する。ミゲルはそんな錯覚に縋り、ジョナスの独白に耳を傾ける。


「そしたらママはね、──”パパは優しい人だよ”って。”どうしてそんなこと言うの、勘違いしてるだけだから大丈夫”って、信じてくれなかった」


 ジョナスは地面に記憶の光景を映し出しているのか、遠い目をしている。ミゲルは彼のそんな姿が、鏡に写った自分のような錯覚に囚われた。


「ママは僕にもすごく優しいんだけど、──それだけなんだ。だから僕はどうしようもなくて、一人でいるしか無くなった」


 ジョナスが顔を上げる。そしてミゲルに、真摯な眼差しを返した。


「だから、ブラックアンカー同盟だけが僕の居場所だった。──それは君も同じだと思うけどね。……君と、ソフィと、ノアと──四人であの場所にずっといられたらって、そう思ってた」


 ミゲルは昼下がりの廃船を思い出す。逃げるようにあの場所に集まって、好きに過ごして、日が沈む水平線を眺めながら家に帰る。そんな静かな何でもない時間が、とても満ち足りていた。


「僕はずっと怖くて、ソフィの意見にもあんまり賛成してなかったけど、それが嫌だったし……どこかで分かってたんだ。──ずっと子どもじゃいられないんだって。何かしなきゃ、抵抗しなきゃっていうのを、隠してた。……だからここに来る時だって、僕が弱音吐くたびに、ソフィが否定してくれるのが──すごく心強かった」


 海岸の賑わい、街の暖かさ、──全てから目を逸らして来たミゲルも、彼と同じだった。心のどこかで他人とは相容れない存在なのだと決めつけ、勝手に他人との関係に幕を引いて来た。──そう、家族との関係さえも。


「でも、こんなことになって……ノアもソフィもいなくなって、もう、そんなの関係なくなっちゃった。ゴールしたら、僕らは強くなれるのかな? もうあの人と友達になったってしょうがないとしか思えないけど、例えば勝ったら、あの人とも闘える力がもらえるのかな?」


 ジョナスの問いかけに、ミゲルは答えられない。そっと吐息を漏らし、ジョナスは目を伏せた。


「──わかんないよね。……ごめん。だって、そんなの僕ら次第だもんね」


 それきり、ジョナスは抱えた膝に額を乗せて黙り込んだ。月が雲に隠れ、辺りが再び闇で満たされる。ミゲルはそんな彼の後頭部を見下ろした。


 ミゲルの脳と心臓が夜の静けさと同化する。徐々に草木のコントラストが鮮明になっていく。ミゲルは地図を握りしめ、置きっぱなしにしていたライトを手に取った。


「ミゲル、大丈夫? ──落ち着いた?」


 ジョナスがぼんやりと顔を上げた。困ったように眉を寄せながらも、ミゲルは小さく頷く。するとジョナスは小さく欠伸を堪えるように唇を噛み締め、目を擦った。


「じゃあ、次の場所に行こう。もうそうするしかないもんね」


 二人は頷き合い、そろりと立ち上がった。身を屈めながら慎重に周囲を見回す。穏やかな静けさが一瞬にして不気味な静寂に変わる。しかし、レーゲンの姿は無い。


 背を預けていた木に幹を見上げ、黄色い布の結び目を捲る。同じように彫られた矢印に従い、草に紛れて移動を再開する。ミゲルはライトを点滅させながら方向を定め、注意深く先頭を歩く。ジョナスは周囲を警戒しながらその背を追う。二人は草の海を息を潜めて進んだ。


 すると、遠いのか近いのか判断不可能な銃声が響いた。森が音を吸い、且つ乱反射させている。ミゲルたちは跳ねる心臓と薄まる酸素を思い出し、溺れるように足を動かした。


「おーい」


 間延びした声が響く。ミゲルとジョナスの背中に冷たいものが走り、跳ねた心臓が今度は締め付けられる。──そしてまた、銃声。ボルトを引く音さえ二人の耳に届き、確実に近づかれているのが分かる。


 ミゲルの脳内に、再びあのレーゲンの姿がちらついた。じっとこちらを見据えるだけの、あの凪いだ瞳。落ち着きを取り戻していたと思われた脳はあっさりとそれを忘れ、ミゲルに恐怖を見せつける。制御できない感情に、無様に翻弄され始める。


 無意識にミゲルの足が早まる。ジョナスがそれに気付いて息を荒げ、必死に後を追う。彼もまた、ミゲルの感情に呼応するように焦燥を覚えていた。


 銃声が響き、わずかな間を置いて近くの木が鈍い音を立てた。徐々に狙いが定まっているのか、それとも当てずっぽうの結果なのか分からない。気まぐれに発されるレーゲンの声も、近いのか遠いのか判別しない。


 しかし目を見開き、襲いくる恐怖に苛まれながらも、ミゲルは次の目印へと辿り着いた。オレンジ色の布が目に入った瞬間、彼はまたも飛びつくように駆け込み、倒れるように座り込んだ。


「ね、ねえミゲル、君……なんかおかしいよ。どうしちゃったの? そりゃ僕だって怖いけど、でも君はずっと……僕より勇気があったのに」


 移動するたびに取り乱すミゲルを、ジョナスは怪訝そうな眼差しで見つめた。地に手をついて息を整えるミゲルの背を摩り、呼吸を整える手助けをする。ミゲルは胸を押さえ、感情に翻弄される自分に戸惑いながらひたすら息を吸った。


「森が怖い? ──僕も怖いよ。だってあの人が追っかけてくるのもそうだけど、普通にお化けが出て来そう。ね、そんな感じしない?」


 ”お化け”──ジョナスがそう言った時だった。突然、ミゲルの手元で煙ような、白い靄が燻り始める。反射的に手を離し顔を上げると、細い靄がじわじわと範囲を広め、細い靄の糸が風もないのに湾曲し始める。まるで周辺一帯が死地と化したかのように。


「ミゲル、大丈夫? ──ミゲル?」


 ジョナスの声が反響し、幾重にも重なっていく。それと同時に非現実的な銃声が木霊し、それに低い笑い声が微かに混じる。脳が回り、一連の幻のような変貌に意識が傾くほど、吐き気が迫り上がる。自分が何に恐怖しているのか分からず、ミゲルは木に背中を押し付けた。


「しっかりしてミゲル、大丈夫。僕らなら出来るよ。──大丈夫」


 根拠がないのは分かっている。だが、ジョナスの言葉は少なからずミゲルの脳に優しく響いた。呪文のように唱えられる励ましの言葉が、靄を少しずつ消していく。


「ミゲル、君にも僕らと同じ……何か絶対に嫌なことがあるんだよね? だって君は、だから喋れなくなっちゃったんでしょ? でも大丈夫。僕ら、一緒に頑張ろう。あと少し、──あと少しでゴールだよ」


 ジョナスの懸命な声は、確かにミゲルの心臓を柔らかく摩った。靄が治まり、ただの暗闇の森に戻っていく。そうしてしばらくすると、木々の騒めきが唐突に鮮明になった。


 声に応え、顔面蒼白のミゲルはジョナスを凝視した。ジョナスは不安げに眉を落としていたが、ミゲルの焦点が合うのを見ると、ほっと息を吐いた。


「──ミゲル、僕ら”お互いの事情には深く首を突っ込まない”って決めてたけど、でも、同じ気持ちを持った仲間だよ。君が話せないから聞いてなかったけど、君の怖いものってなんなの?」


 ジョナスはミゲルの顔を覗き込みながら問いかけて、すぐに口篭った。そして自嘲するように笑う。


「あ、ごめん。YESかNOで聞かなきゃだった。──ソフィにまた怒られちゃうな」


 小さく首を横に振り、ミゲルはまた、膝を抱えた。しかし取り乱した様子はなくなり、呼吸も落ち着き始めている。ジョナスは周囲を警戒してから隣に座り込み、同じように膝を抱えた。


「ミゲルって、お化けが怖いの?」


 ジョナスが尋ねると、ミゲルはまた小さく首を振る。少し考えて、ジョナスはいくつか候補を上げた。


「じゃあ、……ええと、怪物とか──悪魔みたいなやつ?」


 ミゲルが首を傾げる。ジョナスは苦笑すると、膝を抱え直した。


「あ、ごめん。だってお化け出そうって言ったら、君がすごく怖がったように見えたから」


 今度は首を横に振る。ジョナスはわずかに目を丸くすると、ポケットを漁り始めた。


「──メモに書く?」


 しかしジョナスがメモ帳を取り出すよりも前に、ミゲルは再び首を横に振る。そのどこか戸惑うような反応は、自分が何に恐怖しているのか理解していないように見えた。


 ジョナスはメモを諦めると、「じゃあまた少し休憩しよう」とミゲルに告げ、鬱蒼とした木の茂る森の間から木々の葉を縫うように空を見ようとした。空ではまた月が雲から這い出したようだったが、二人がそれを目にすることは叶わなかった。


「ミゲルが怖いもの──それが分かったら僕も協力出来るのに。僕は、その……弱いけど、一緒に”どうしよう”って、考えることは出来るから」


 その声は、夜の帳に浮かぶ蝋燭の灯火に似ていた。もしくは、寝室に並んだベッドの間で優しく灯るランプ。天井の電気を消してシーツに潜り、小さな灯火を挟んで秘密の会話をする。「実は……」から始まり、「秘密だよ」と約束して終わる──夢心地のような光景が頭に浮かぶ。


 微睡むように反応を返さないミゲルを横目にしばらく見つめた後、ジョナスは地面に視線を落とした。


「……──もしかして、ミゲルはただ、……この場所が怖いの? 僕みたいに怖いものがいっぱいあるんじゃなくて、ただ──」


「──此処と、あの人が怖い?」


 蝋燭の火が、黒い緞帳の端に燃え移る。布が端から不揃いに輝きながら、火の粉となって風に消える。ミゲルの心から何かが剥がれ始める。しかし黒い緞帳の先にあるのもまた、同じような黒い緞帳だ。


「僕もこんな森怖いとしか思えないし、あの人も怖いよ。だって、あんな風にナイフや銃で襲ってくるし……ソフィやノアも殺されちゃったし……でも、なんか、君は僕とは違う気がするんだ。──残ったのが僕だから不安なのかもしれないけど、でも君は……」


 ジョナスが言葉を紡ぐたび、ミゲルの心臓は重い音を立てた。遠くから耳鳴りが近づいてくる。その不快な音が、心臓の鼓動を強調させる。


「……君は、もしかして……この場所を知ってる? 知ってるから余計に怖いの? だからあの人のことも──」


 ミゲルはジョナスの言葉を全て聞く前に、唐突に動いた。側に置いたままにしていたライトを手荒く掴み上げて立ち上がる。そしてジョナスを顧みることなく次の場所へと足を進め、歩を早め、──走る。


「あっ、待ってよミゲル!」


 背後からジョナスが追いかける。その慌てた足取りが草を鳴らし、銃声を呼び寄せた。


 木が弾ける。それがほんの数歩先から聞こえてもミゲルは足を止めなかった。息が出来ているのかすらも分からない。ただ、進路だけは細い糸となって彼を呼び寄せ、それを辿ってひたすらに足を動かす。草が跳ね、土が剔れる。どこからともなく破裂音が連続する。二人が草を分ける音と、ジョナスの喘鳴にも似た呼吸を森が受け止める。


 ミゲルはとうとう最後の目印に手をついた。飛びついた勢いで、赤い布先が揺れる。肩を上下させながらそれを見上げ、ミゲルは矢印を確認した。


 遅れて足元のおぼつかないジョナスが追いつく。しかし、同時にミゲルは走り出した。


「ミゲル! ミゲル落ち着いて!」


 膝に手をついて息を整えていたジョナスは、額を拭ってミゲルに呼び掛けた。だが虚しくも、視線の先の背は草木に紛れて遠ざかる。呆然としながらもジョナスがそれを追おうと足を踏み出し、そして、短い悲鳴を上げた。


 金属音とともに響いた悲鳴に、ミゲルが我に返る。瞳を彷徨わせながら呻く声に振り向けば、背後でジョナスが蹲っていた。


 慌てて駆け戻ると、ジョナスの足は無情にも痛々しく、トラバサミに噛みつかれていた。


「ミ、ミゲル……痛い、どうしよう……外れないよ!」


 足首に食い込む錆びた鉄が、ジーンズを突き抜けて肌を食い破っている。痛みに耐えながらそれに触れて開こうとするも、びくともしない。ジョナスは脂汗を浮かべながらも震える手で、必死に逃れようとする。


「外れない! ミゲル、どうしよう……」


 ミゲルも屈み込み、ジョナスを助けようと試みる。しかし二人の力をもってしても、噛み付いた刃は離れようとしない。焦って地面に目を走らせると、トラバサミが鎖で繋がれていないことに気づく。ミゲルはジョナスを引きずっても連れて行こうと判断し、手を引いて立ち上がろうとした。


 その動きがピタリと止まる。顔を上げた先に、あの半身だけを木から覗かせ、闇の中からこちらを見る冷えた瞳があった。慌てて視線を外した先にもそれはある。ミゲルは忙しなく首を振り、その瞳を打ち消そうとする。しかしどこに視線を向けようと、レーゲンは遠くからこちらをじっと見つめていた。


 ミゲルの胸が潰れるように鼓動した瞬間、足元から──再びあの白い糸のような靄が滲み出す。それが、ミゲルの掴んだジョナスの腕に絡みつく。ミゲルは激しく彼の腕を振り払い、戦慄のあまり踵を返した。


「ま、待って! ミゲル! 置いてかないで!」


 地面に落とされた手を伸ばし、ジョナスが叫ぶ。しかしミゲルは走り出し、その叫び声に今度は振り返らない。


「ねえミゲル、行かないで! ……待って! 待っ──」


 無情な破裂音とともにジョナスの声が途切れる。ミゲルは背後で足音が近づくのを感じながら、必死に足を走らせた。


 何度も銃声が響く。それはミゲルの傍の木を弾き、すぐ後ろの土を跳ね上げ、前方の草を切り裂く。撃たれた大振りの枝が落ち、ミゲルの進路を塞ごうとするも、それを避けてひたすら前に進む。


「ハハハ、ねえ、待ってよミゲル! 置いてかないでよ!」


 レーゲンがジョナスを雑に真似、揶揄うように迫ってくる。それは木々に反射して四方から迫ってくる。声がいくつも脳内で重なり、あらぬ方向から響き、ミゲルの足を乱れさせる。


 そうしてついに、ミゲルは転倒した。何も無い、ただの土の盛り上がりに爪先を吸われ、勢い余って跳ぶように倒れ込む。あらゆる関節を擦り剥きながら地面を滑り、その勢いが止まった時、冷たい鉄の塊が後頭部に突き付けられるのを感じた。


 その勢いで額を打つ。ミゲルは這いつくばりながら、もう終わりなのだときつく目を閉じた。心臓は浮つき、早鐘を打つどころではない。まるで過呼吸のような息遣いに合わせ、地面の上で肩が揺れる。


 ミゲルは祈るように息を止めた。もう、何も出来なかった。





「──残念、セーフだ」


 ミゲルの後頭部から重みが消えた。押し付けるようにしてから離され、額が土を擦る。呆然と顔を上げると、落としたライトの光に照らされ、ポーチのウッドデッキと段差が見える。そしてその先に──闇を纏った小屋がずしりとミゲルを見下ろしていた。


 耳元をレーゲンの足が通り過ぎていく。彼は銃を手放すと、ナイフを捨てた時のように蹴って遠くへ追いやった。それがすぐそばの茂みに消えていくのを目で追っているうちに、レーゲンは段差に座り込んでミゲルをじっと捉えた。


 転倒したミゲルの手は、指先が茂みのラインからはみ出していた。そのすぐ後にレーゲンが銃を突きつけたことにより、ミゲルは僅差で勝ったのだ。


 放心状態で顔を上げることしか出来ないミゲルに、レーゲンは不敵な笑みを向けた。──開いた足を使って頬杖をつき、蔑むような瞳で。


「──おめでとう、ミゲル。お前の勝ちだ」


 少しも感情のこもらない賛辞だ。それが、今しがた犯したミゲルの罪を抉るようで、彼の目が熱を帯びる。彼はジョナスを明確に見捨てた。怖気付き、助けを求める声すら無視して捨て置いた。ジョナスは愕然と痛みに耐えていた。あれはどちらの痛みに耐えていたのか──ミゲルは反芻される映像にこみ上げるものを呑み込んだ。


「俺は勘違いしてたよ」


 変わらぬ表情でレーゲンが鼻で笑う。


「お前だったんだな──ミゲル。最初は、あの女のガキに連れ回されて……可哀想な奴だと思ったが──そうじゃなかった」


 ミゲルは眉間に皺を寄せて弱々しく首を横に振る。レーゲンの言葉を止めたいが、彼は動けず、声も発せない。


「──俺に挑みたかったのは、お前だったのか」


 嘲るとも呆れるとも取れる静かな笑い声が、月光の下で空気を揺らした。レーゲンの瞳を迎え撃つことがミゲルには出来ない。レーゲンはミゲルを責めているわけではない。だが彼の言葉は針となり、確実にミゲルの全身に刺さっていた。


「だからお前は仲間を俺に差し出し、俺を満足させ、こんなところまでやって来た。──恐れ入ったよ。……この俺が、だぜ?」


 ミゲルは為す術なくひたすらに首を横に振った。そんなことでレーゲンの言葉を止められないと理解していても、無条件に否定しようとする。その絶望や後悔に満ち溢れた表情が、レーゲンをさらに焚き付ける。


「……ミゲル、本当の度胸試しをしよう。──お前は一人になったんだ。最後の”遊び”でお前が勝ったら……俺はお前についてやるよ」


 この後に及んでまだ”遊び”などと宣うレーゲンに、ミゲルは唇を噛み締めた。後悔と自責の間から怒りが湧き上がる。その目が燃えたのを見て、レーゲンは肩を揺らした。


「何だ? オトモダチが殺されて悔しいってのか? 俺はずっと言ってたはずだ。足を止めるな、逃げろ、ってな。ろくに抵抗も出来ない弱い人間は、足が止まった奴から死んでいくんだよ。──身の程を弁えろ」


 言葉の最後に表情を消し、レーゲンはのそりと立ち上がる。そしてジーンズのポケットを探り、取り出したものをミゲルに向かって放り投げた。


 ライトの光を受けて瞬間的に煌き、弧を描いてミゲルの目前に落ちたのはペーパーナイフだった。柄に獅子のレリーフがはめ込まれた、細く美しい骨董品──書斎でソフィが自らのポケットに仕舞い込んだ物だ。わななく指先で引き寄せると、銀の刃に写った自分と目が合う。


「もういいだろ、ミゲル。余計なことなんか考えずに最後まで遊んでいけよ。──何てったって、”ここ”が、お前の望んだ”ゴーストハウス”なんだから」


 レーゲンは両手を広げ、そのまま半身を捻って背後の山小屋を指した。開けた森から月光が注ぎ、屋根や壁を青白く照らす。その不気味な陰影に意識が誘発され、ミゲルの視界にまた靄がちらつき始める。


「お前の度胸を見せてみろ」


 月光の下、彼の言葉に呼応するように木々が騒めいた。


 一瞬の沈黙。


 ミゲルは手にしたペーパーナイフを強く握りしめた。





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