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RE:GEN  作者: pochi.


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Stufe 2: Gipfel

カクヨム掲載作品です。


Stufe 2: Gipfel



 岩場を抜け、ビーチの片隅からボードウォークへと向かう。午後の日差しの下、日光浴や海水浴をする水着姿の若者たち。サーフボード片手に並び立って移動する青年たちも、向こうでビーチバレーを楽しむ男女も、皆等しく彼らの世界を楽しんでいる。


 ボードウォークに出れば、スケートボードを傍に立てかけ、手すりに寄り掛かりながらドリンク片手に談笑する若者たち。向こうからはパームツリーの影をすり抜け、ローラースケートの男女が縦一列に滑ってくる。ヘッドフォンから漏れるビートに合わせてターンし、片足でスピンするパフォーマンスに、すれ違う観光客が拍手と歓声を送る。彼らが颯爽とミゲルたちの前を通り過ぎると、風とともに香水のバニラが漂った。ミゲルたちは鼻を曲げながら、大通りの横断歩道へとひたすらに歩く。


 信号を渡り、賑わうビーチと通り沿いのショップを抜ければ、そこはもう住宅街だ。壁をカラフルに彩った家並みにパームツリーが散りばめられている。所々で小さな野外市場やバザーが繰り広げられているのか、軽快な音楽が風に乗ってやって来る。しかし大人の集まりだからか、場所柄か、音量は控えめだ。振り返れば、遠くに見えるボードライン・パークの観覧車はわずかに霞がかり、あのビビットで熱気に溢れたビーチがまるで幻のように薄らいでいた。


 太陽とは反対方向に四人は歩く。街を横断する道路を真っ直ぐに進めば、その向こうがセレストヒルだ。行き交う人々から隠れるように、影を踏むように、ソフィを先頭にして一列に、彼らはひたすら喧騒から距離を取った。


 最後の横断歩道。片側一車線の小さな道路を隔てた先に、丘へ続く緩やかな登り坂が見える。その頃には周囲の風景も少しずつ変わり、一帯は静けさに包まれていた。車一台通り過ぎるかどうかも怪しい横断歩道の信号をしっかり待ち、やがて青になるとソフィは真っ先に飛び出していく。それに慌ててジョナスが続き、ノアがゆったりとついていく。ミゲルも足を踏み出そうとした時、ふと間延びした声がかかった。


「おおい」


 嗄れきった声だ。思わずミゲルが振り返ると、家の垣根にひっそりと置かれたベンチに、真っ白な頭の痩せた老人が座っていた。縒れたシャツとハーフパンツから覗く手足は日焼けしきり、まるで枝のようだ。落ち窪んだ目は開いているのかどうかすら危うい。どうやら垣根で出来た日陰で休んでいるらしい。


「そこから先は、子供の行く場所じゃないぞ」


 滑舌も危うい掠れた声が、ミゲルの耳を刺激する。しばし、奇妙な沈黙が二人の間に降りた。


「ミゲル、信号変わるよ」


 ノアの呼び声に、ミゲルは弾かれたように振り返る。トラフィックライトの赤い手が点滅し、カウントが始まっていた。ミゲルはそのまま、横断歩道の先に待つノアに駆け寄る。老人から再び制止の声は掛からない。──ミゲルも、振り返ることはなかった。





 街を抜け、四人は坂道の端を並んで歩いた。色に溢れた世界から取り残されたように、何もない荒れた草原と、鬱蒼と茂った木々の景色が続く。誰が所有しているのかも定かではない木小屋や荷車が放置され、ざわざわとした自然の音の中に佇んでいる。カーブを何度か過ぎれば背後に見下ろせた街並みも消え、四人はとうとう喧騒から孤立した。


「ね、ねえ……やっぱりやめない?」


 ジョナスが忙しなく周囲を見回しながら、ソフィの背に声を掛けた。彼女は毅然とした足取りを止めず、ジョナスをちらりとだけ振り返る。


「じゃあ、帰ってもいいわよ」


 容赦のない提案に、ジョナスはこれでもかというほどに眉尻を下げる。


「そんな、帰れないよ!」

「何よ、こっから先にも行けないし、帰れもしないっていうの? 情けない……じゃあここで待ってる?」


 ソフィの意志は固い。ジョナスの弱々しい提案は、彼女の炎によって尽く燃え尽きて塵となる。するとそんなジョナスが頼るのは背後のノアなのだが、ノアは苦笑するだけだった。


「──ソフィを放ってはおけないよ。……ねえ、ミゲル?」


 ジョナスに優しく語りかけてから、ノアはミゲルを振り返る。ミゲルが頷くと、ジョナスは諦めて盛大な溜息を吐いた。


「ほらね。ミゲルは無口で大人しいけど、勇気があるのよ。アンタも少しは見習いなさい」

「だって、本当に人が居ないんだよ。車も通らないし……人が住んでるとは思えない」

「今は新道があるからね。わざわざ山道を選んで隣の州へ行く人はいないのさ。──昔は狩りをしに来る人たちがちらほらいたらしいけど、動物も居なくなって、誰も寄り付かなくなったって感じみたいだよ」


 ソフィに鼓舞されても不安が拭い切れない様子のジョナス。そんな彼の気を逸らすためか、ノアが穏やかに彼に応対する。しかしそれでいて、チノパンのウエストに挟んでいたペーパーバックを取り出してページを開き、栞を外して歩きながら続きを読もうとしている。ジョナスは不安を訴えることを完全に諦め、前を行くソフィの背中を見つめた。




 次第に、空に茜が混じり始める。日差しが和らぎ、森林の風の冷たさが増す。一度も人や車とすれ違うことなく、かろうじて舗装された道を進む。木々が騒めき、空き地の草が揺れる。ノアが、風に翻弄されるページを億劫に思ったのか、再び懐に仕舞う。それから四人はぽつぽつと会話を挟みながら気を紛らわせた。声が木や道路に容易に跳ね返り、まるでそこは、四人だけの世界となっていた。


「──見えたわ、あれよ!」


 足の疲労も蓄積してきた頃、ソフィが前方を勢いよく指差した。上り坂の向こうに色あせたグレーの屋根と、白い壁が見える。駆け出すソフィに倣い、四人はその家の付近までようやく辿り着いた。木陰に隠れてひとまず様子を窺う。


「本当だ、大きい家だね」


 ジョナスが感嘆の声を上げた。道路から家までは多少距離があり、芝が獣道を作っている。わずかな木のパーテーションの傍には砂埃で白んだトラッシュボックスとポストが放置され、その向こうに堂々と、それでいてひっそりとその家は佇んでいた。


 傾き始めた陽が、白いラップサイディング壁を鈍く反射させていた。玄関ポーチには鉄製のガーデンベンチと空のバードバスが見える。二階建てで、ちらほら見える格子窓はカーテンが閉められているのか、中が窺えない。街の一戸建てよりも二回りほど大きな家は、存在感があるはずなのにどこか希薄だった。


「……どうするの? なんか、やっぱり人が住んでるようには見えないんだけど」

「そうね……静かすぎるわ」


 木の幹から向こうの家を覗き込み、ソフィとジョナスが眉を顰める。彼らの言う通り、その家からは生活の気配がしなかった。唸り声を上げる二人の背後で、ノアはのんびりと顎を摘んだ。


「でも、思ったより綺麗だね。ゴーストハウスなんて言うから、もっとひどいのを想像してたんだけど……最近空き家になったのかな?」

「本当だ、確かにそうね。埃はかぶってるけど、壊れてないし」

「じ、じゃあここから……どうするの?」


 話し合う三人の後ろで、ミゲルは家の向こう側に視線を向けていた。その先の遠くに見える木々の前に、開けた場所が垣間見えたのだ。目ざとく気づいたソフィが、ミゲルの目線を追ってにやりと笑う。そして今一度周囲を注意深く確認すると、「来て」と囁いて一歩踏み出した。


「まずは人が住んでるかどうか偵察から始めるわよ」

「あ、ソフィ! 玄関ドア叩く気じゃないよね?」


 ジョナスが慌てて声を潜めて彼女を呼び、忍び足で着いていく。二人は玄関ポーチを通り過ぎ、奥へと足早に向かって行った。肩を竦めたノアがミゲルを振り返り、ミゲルが彼を見上げて頷く。そして二人も慎重に、前を行く二人を追った。





 近づいても、相変わらず物音がしない。窓から部屋を覗こうとも、隙間なく白いカーテンが塞いでいる。そうして観察しながら迂回するように家の奥へと足を進めると、その先には庭が広がっていた。


 レンガを埋めてエリア分けされた花壇から、様々な色彩が空に向かって伸びている。唐突な彩りに目を奪われ、四人の足は自然とそちらへ向いていく。四つの円形の花壇には、種類の異なる花が規則正しく植えられていた。


「花壇にいっぱい花がある!」

「──誰もいないのに、庭がこの状態っていうのもなんか変ね」


 ジョナスが駆け寄り、ジーンズのポケットからメモ帳とペンを取り出す。適当に目に入った茎を引き寄せせようと手を伸ばした彼に、やんわりと制止がかかる。


「それは、触らない方がいいかもね」

「──なんで?」

「それはベラドンナって言って、触るとちょっと危ないんだ」


 それを聞いたソフィが触れようとしていた手を引っ込める。そして盛大に表情を歪めた。


「そんなもの、何で植えてるのよ」

「分からないけど……何ていうか、見た目だけで選んだって感じなのかな? 綺麗に分けられてはいるけど、ちょっとバラバラって気もするし」

「全部触っちゃダメな花?」

「ううん、そんなことないよ。バーベナ、ベロニカ、カサブランカ、ベラドンナ、クーピングタイム……このへんは大丈夫。──この、咲いてないのはクリスマスローズだね。この花も、ちょっと触るのは注意かな」


 ノアが、庭を見渡しながら、ひとつひとつ指差して花の名を告げていく。三人はその指先を追って、素直に首肯しながら話を聞いた。


「詳しいんだね、ノア」

「まあね。僕の家でも花を育ててたんだ。母さんから本を貰ってたし……自然と、ね」

「アンタの過保護なお母さん? 外に出そうとしないのに庭は見せるなんて、悪趣味ね」

「まあ、母さんは僕が病弱だって思い込んでるから」


 ソフィはいつでも仲間の味方だ。しかしそんな彼女に、ノアは仕方なさそうに含み笑いを漏らすだけだった。


「こうしてアンタが抜け出してるっていうの知ったら、発狂するんじゃないの?」

「──あの人が気づいた時に、僕が家に居ればそれでいいんだよ」


 ミゲルは二人の会話を耳の片隅に入れながら、早速メモ帳にペンを走らせるジョナスを覗き込んだ。そこには黒いペンで、ベラドンナの花が描かれていた。陰影を使い、絶妙に色まで再現されている。


「──まあでも、この街の人って庭を綺麗にして通行人の目を楽しませるの好きよね。庭先でガーデンパーティなんかやってるの、よく見かけるわ」


 空気を変えようと思ったのか、ソフィが話題を変更した。彼女の大人びた物言いに、ノアはくすりと笑う。


「そうだね。ここまで通行人とは会わなかったけど……僕らもまんまと誘われちゃってるし」

「でも、ここにいるのって不良なんでしょ? 花の世話なんてするのかなぁ……本当は不良なんかいないんじゃないの?」


 ジョナスがペンを止めてソフィに問いかける。ソフィは腕組みをして小さく唸った。


「そうは言うけど、この庭──”水だけはとりあえずやってます”ってだけにも見えるわ。ちゃんと手入れするなら、剪定したりするものじゃないの? 雑草とかも生えてるし」


 鋭い意見にノアが目を丸くする。ミゲルとジョナスも顔を見合わせた。


「そうだね、ソフィ。君はやっぱり、賢いな」


 ソフィはフン、と鼻を鳴らし、満足げに口角を上げる。


「つまり家主がいて空き家じゃないなら、こうはなってないって事よ。──不良が住み着いてる説はまだ死んでないわ。もしかしたら暇すぎで水やりぐらいしかすることないのかも」

「……暇すぎたとしても水やりなんかするのかなぁ」


 もっともな意見を呟くジョナスを、ソフィの鋭い視線が射抜く。びくりと肩を震わせて、ジョナスは気まずそうに空笑いをした。


「じゃあ、……これからどうする? もうこの際、正面から訪ねてみるかい? せっかくここまで来たんだし」


 ノアの提案に、ソフィは目を閉じて逡巡する。そして諦めたように肩を落とすと、両手を小さく上げて肩を竦めた。


「それしかないのかもね。──それにしても奇妙な家だわ。こうしていても家の中から物音ひとつしないし、窓は全部塞がってるし」


 溜息混じりにそう言って、ソフィが来た道を振り返る。──そして、大袈裟に肩を震わせた。彼女に倣った三人も息を飲む。四人の視線の先──通り抜けてきた家の壁に肩を寄りかからせ、こちらをじっと見ている少年がいたからだ。


 着古した大ぶりな白いシャツは上二つのボタンがだらしなく外され、裾を出し、まさに適当に身につけているといった様子だ。ジーンズは色あせ、故意なのかそうでないのか定かではないが、片方の膝には穴が空いていて、他に小さなダメージも見える。乾いた泥が付着したスニーカーもそのままで、服装にはあまり頓着がなさそうだ。


 加えて、おざなりに伸ばされたダーティブロンドは肩に当たって小さく跳ね、彫りの深い目元には正気が無い。気怠げな姿勢も相まって、まるで空気のような存在感であるのに対し、その瞳だけは──地球を模したようなアース・アイだけは、遠くからでも小さく光って見えた。


 四人は突然現れた少年の存在に、思わず息が止まった。いつからその場所でそうしていたのか分からない。もし、庭に到着した後すぐに彼が居たのなら、黙ってこちらをじっと窺っていたことになる。それを想像すると、──何とも不気味だ。


「……お前ら誰?」


 全く抑揚のない掠れた声だった。体は微動だにせず口だけを動かして、少年がミゲルたちに小さく問いかける。それが呼吸を許された合図かのように、全員が揃って息を吐いた。


「──アナタ、ここの家の人?」

「俺が聞いてんだけど」


 我に返ったソフィが恐る恐る尋ねると、少年はその言葉尻に被せるようにして釘を刺す。その声にも抑揚がない。しかし、そこはかとない圧が、四人にじわじわとにじり寄る。


 ソフィは気圧され、ぐっと喉を鳴らした。そんな彼女に歩み寄ったノアは、警戒しながらも穏やかに、彼の質問に答えた。


「ごめん、この辺にゴーストハウスがあるって噂を聞いて、探検しに来ただけなんだ。そしたらあんまり綺麗な庭があったものだから」


 少年は表情を崩さず、肩だけを揺らして嘲笑するような笑いを漏らした。


「……ゴーストハウス?」


 得体の知れない少年の雰囲気に、一番背後のジョナスはミゲルに半ば隠れるようにして身を引き、その腕を掴む。負けるものかとばかりに視線だけは迎え受けるソフィと、あくまでも穏やかに対応するノアの陰で、ミゲルは黙して様子を窺っていた。


「──でも、やっぱり……単なる噂だったみたいだね。僕たち帰るよ」


 ノアがそう言って三人を振り返る。「いいよね?」と問いかけるような視線を向けられ、ジョナスが何度も頷き返す。そんな彼に反して、ずっと少年から目を離さずにいたソフィが意を決したように肩に力を入れた。勢いよく足を前に踏み出し、果敢に少年に近寄っていく。相変わらず壁に肩を預けたまま姿勢を崩さない少年は、瞳だけで彼女の動作を追った。


「アナタって、ゴーストハウスに住む不良なのよね?」


 人一人分の距離を開けたところで立ち止まり、腹のあたりで両の拳を強く握りしめ、ソフィは気丈にも少年を見上げた。その口から発された言葉にノアは口を開け、ジョナスはミゲルの腕を掴む手に力を入れる。全く感情の読めない顔でソフィを見下ろす少年は、何も返事をしない。


「アタシたち、アナタと友達になりたくてここまで来たのよ」


 恐れと熱意の入り混じった声で、ソフィは言った。しばし沈黙の後、ソフィを見下ろしていた少年は、瞳だけ動かしてノアを見据える。肩を竦めたノアは、溜息の後にソフィの隣へと歩み寄った。


「うん、まあ……ゴーストハウスの住人と友達になりたいっていうのが、”僕ら”の希望ではあったんだけどね」


 やんわりと、ノアが説明を加える。並び立つと分かるが、少年は頭半分ほどノアより背が高い。だが屈強には見えず、どちらかというと痩せ型だ。腕っ節が強そうには到底思えない。ノアよりも若干年上に見えるが、彼と友人であると言っても差し支えのないほどだった。


「僕はノア。この子はソフィで、──後ろの二人がミゲルとジョナス。後ろに隠れてる方が、ジョナスだよ」


 初めて少年の瞳がミゲルに向けられる。抑揚のない、それでいて心の奥底まで覗き見られていそうな強烈な視線だ。ミゲルの足は、庭先の草に絡めとられたかのように竦んだ。


 突然、少年がようやく壁に預けていた肩を外した。ずっと組んでいた腕を解いて両のポケットに入れる。その姿勢は少し猫背で、この中で一番背が高いというのに、まるで下から覗き込むように四人を見やる。それが野生動物のようにも見え、四人はわずかに身を引いた。


「まあ……オトモダチ希望って話なら、──せっかくここまで来たんだ。上がっていくか?」


 じっと四人を見つめ、口角を小さく持ち上げる。苦労して貼り付けようとして、失敗したような微笑みだ。それがミゲルの心臓を鈍く貫き、ジョナスを震え上がらせる。まるで霧のように漂い、有無を言わさず視界を奪い、自らのテリトリーに誘い込む……得体の知れない、妖しい囁き。


 意外な少年の申し出に、「え」と声を漏らして目を瞠ったノアの傍で、ソフィは爛々と目を輝かせた。彼女の反応を見ると、少年はさっさと背を向け、ゆっくりと玄関の方へ向かって歩き出す。一歩踏み出しかけて振り返ったソフィは、顳顬に汗を浮かべながらも期待に満ちた表情を浮かべていた。


「チャンスだわ。せっかく誘ってくれたんだし……勇気を出して、行ってみましょう」


 そう言い残し、ソフィは少年の背を追って駆けていく。言われるがまま、ミゲルは足に絡みつく草を断ち切って歩き出した。困惑顔のジョナスがそれに続き、ノアが着いていく。


「──意外だ」


 独りごちたノアの呟きだけだその場で風に漂い、静かに消えて行った。






 いつの間にか空は、すっかり茜色に染まっていた。ポーチに戻ると、少年は玄関扉をそっと開く。心中の取手と蝶番が鋭い音を立て、開いたドアの隙間から家特有の香りが漏れる。体を中に滑らせた少年に倣い、まるで泥棒でもするかのようにひっそりと、ミゲルたちが後に続く。扉が再び軋み、閉じる音がやけに耳に響く。室内は、驚くほどの静寂に包まれていた。


 傍の壁面にはブラウンのコンソールテーブルが置かれている。テーブルスタンドの脇にはわずかに下を向いたドライフラワーと、写真の抜かれたフォトフレームがいくつか並んでいる。その向かいには埃をかぶったシューズラックと、その上に散乱した郵便物があった。


 ナチュラルな色使いのマットを踏み締め、濃淡様々なヘリンボーン模様の床板を進んでいく三人の背後で、ミゲルはふと足を止めた。コンソールテーブルの中央部分、壁にかけられた楕円の鏡に自分が映る。螺旋模様の装飾が美しいそれは埃の薄膜をまとっていたが、それでも目を惹いた。


 上階へ続く階段の傍を抜けた先、おそらくリビングから、ひょいとジョナスが顔を覗かせる。佇むミゲルに「どうしたの」と声が掛かると、ミゲルは尾を引かれるように鏡から視線を外し、呼ばれるままにそちらへ向かった。


 リビングに入ってまず目立ったのは、窓に掛けられたカーテンだ。外から見た通り、全てしっかりと閉じ切られている。漏れる光が少ないというのに天井のメインライトは点けられていない。部屋の隅に置かれたスタンドライトだけが淡い光を放ち、暖かい色の光で部屋を灯している。


 薄暗がりに浮かぶのは、布が掛けられた皮張りのソファとローテーブル、本が並んだブックシェルフ。何かが置かれていた形跡だけが残されたラックや、長い間使われていないだろう暖炉、起動する気配の感じられないテレビ。古めかしい振り子時計は静かに振り子を揺らして時を刻んでいるが、針は十時を過ぎたところを指していて、針は動いていないようだ。まるで部屋の中の時間は止まっているかのようだった。


 リビングの奥は地続きで、ダイニングやキッチンのようだった。しかし、明かりが僅かで詳細までは判別できない。不気味さはあるが、ゴーストハウスかと言われるとそうでもない。そんな印象の部屋だった。


 床に敷かれたカーペットが彼らの足音を吸う。少年は手前側のソファに腰を下ろすと、向かいのソファにミゲルたちを促した。


 ソフィ、ミゲル、ジョナスがソファに身を沈め、ノアはその隣にあるオットマンに腰掛ける。皮の軋む音が静寂の部屋に響いた。


「で、お前らは俺とオトモダチになって、どうしたいんだ?」


 少年は座面に浅く腰掛け、開いた足を投げ出して背もたれに寄りかかる。そうして緊張の面持ちで周囲を見渡すミゲルたちに向かって小さく問いかけた。居住まいを正したソフィが、彼に答えるために身を乗り出す。


「アタシたち実は、はみ出し者同士集まって”ブラックアンカー同盟”ってのを組んでるの。お互いだけは裏切らないって誓いを立てた仲間。アナタの噂を聞いた時、もしアナタも一人なら──仲間に入らないかって、誘ってみようと思ったの」


 ソフィはそう言って肩を竦めた。


「……だから、別に何がしたいとか、どうしたいとか、そういうのは無くて、……ただ、一緒に同じ時間を過ごせたらなって、それだけよ」

「嘘だな」


 瞳だけがぐるりとソフィを捕らえ、ソフィはぴたりと硬直する。静かだがぴしゃりと断言する少年は、まるで蒼炎のようだ。そのまま瞳を彼女に固定し、少年はさらに続けた。


「お前らと俺は、明らかに違う。──異質だ。なのに……特にお前は、まず俺に”不良かどうか”なんておかしな確認を取ってきた。同盟なんてのは建前で、お前は”不良”って存在に用があっただけなんじゃないのか? ……そうだろ?」


 そう言ってまた口角を持ち上げる。今度は心なしか、どこか楽しそうにも見えた。歯噛みするソフィの横で、ミゲルは目の前の少年を観察するようにじっと見つめた。隣のジョナスはまたしても竦み上がり、ミゲルに身を寄せている。


「俺がお前らの望む不良だったとして、お前らみたいなのがその不良に用事があるってのはどういう了見なんだろうな? 誰か黙らせたい奴がいるのか? リベンジしたい奴か? なにか、要求があるはずだろ?」


 少年は圧があるが、語り口は静かだ。しかし気圧された四人は彼の質問にすぐには答えられなかった。このまま沈黙が続けば、ノアが何かしら弁明をするだろう。しかし観念したかのようにひとつ息を吐き、先に少年に立ち向かったのはソフィだった。


「──わかった。観念するわ。アタシたちは……”強さ”が欲しかったの。世間の奴らを見返す”強さ”」

「は?」

「アナタの噂は”強さ”そのものだった。それはアタシたちには必要なもので、──もしアナタが居なかったとしても、”この場所に来た”って事が、勇気を出した証拠になるから……それで、ここに来たのよ」


 腹を括り、ソフィが真剣な眼差しを少年に向ける。しかし少年はそんな彼女を鼻で笑った。そして徐々に笑いを深めていく。小さく喉を鳴らすような静かな笑い方だ。そして背もたれから身を起こし、両肘を膝に置いて前屈みの姿勢を取る。その顔には据わった目と、持ち上がった口角が並んでいる。スタンドライトの暖色に、目鼻立ちのくっきりとしたそれらが浮かび上がっていた。


「つまり、”ゴーストハウス”に度胸試ししに来たってことか。希望通りの不良が居たらそれを味方に引き込んで、幅をきかせたかったわけだ」


 残ったガスを吐き出すように、少年の肩がひとつ揺れた。そして、楽しげにも見えた表情が、突然削がれたように消失する。


「つまんねぇ奴ら」


 吐き捨てるでもない、穏やかとも取れる声でそう呟くと、少年はのそりと立ち上がった。そして目の前の四人に目もくれず、踵を返して玄関の方へと歩き出す。茫然と見送る四人の耳に、玄関扉の開く音が届くと、廊下側から薄らと漏れる光がちらつく。そして扉は閉じられ、光が消え、沈黙が訪れる。


 リビングに残された四人はお互いに顔を見合わせた。ジョナスは胸に手を当てて大きく深呼吸し、軽く咽せる。頬を掻きながらノアが苦笑した。


「怒らせたんじゃないかなぁ?」

「で、でも殴られなかっただけ……マシだったよね?」


 相変わらずのんびりとしたノアとは対照的に、ジョナスは声を潜め、心底安堵したように首を垂れる。しかしソフィは震える息を吐き切ると、腕を組んで眉間に盛大な皺を寄せた。


「まだ分からないわよ。もしかしたらどこかでアタシたちが帰るのを待ち構えていて、不意打ちしてくるかもしれないわ」

「ええ⁈ 僕らじゃ勝てっこないよ! なんであんなこと言っちゃったんだよソフィ!」

「もう、泣き言言わないで! 着いてきたってことはアンタもアタシたちと同じ気持ちだったってことでしょ? 同盟っていうのはそういうものよ」

「そんな、無茶苦茶だよ!」


 ミゲルを挟んでいつもの言い合いが始まる。ぼんやりと二人の間に挟まっているミゲルを見やって、ノアが呆れたような溜息を漏らした。そして小さく肩を竦めると、三人に向かって苦笑する。


「仕方がない。僕が言ってとりあえず非礼を詫びてくるよ。話がついたら呼びにくるから、少し待ってて」


 そう言って立ち上がり、ノアはゆっくりと玄関へ消えていく。再びリビングに静寂が降りた。


「ノア、大丈夫かな」


 ジョナスは心配そうに彼が去った方を見つめる。しかし腰を持ち上げようとはせず、確認しに行く勇気までは無いようだ。ソフィも年長者に任せることにしたのか、腕を組んだまま背もたれに勢いよくもたれかかった。心底不満げな表情だ。


「ちょっと拍子抜けだったわ。不良ってもっとこう、ガタイがよくてガサツで横暴で、頭悪い奴だと思ってたのに。──あんな宇宙人みたいな奴だとは思わなかった」


 散々な物言いをするソフィに、ジョナスは口元を下げて肩を落とす。ミゲルは、こんな状況でも変わらないソフィに目を瞠りつつ、ジョナスの肩に手を添えた。


「……でも、ちょっと格好よかったよね、オーラがあるっていうか」


 当人が部屋から退出したことでいくらか余裕が戻ったのか、ジョナスがそんなことを言い出した。ミゲルも同意するように小さく頷く。確かに、これまでに見てきた誰とも違う人物だ。自分たちに無いものをもっていた。


「凄まれただけでそう思えるなら、アンタって相当ちょろいわよジョナス。──まあ見た目だけで言うなら、身なりもちゃんとすればクールだったかもしれないわね」

「ほら、格好いいと思ったんじゃない」

「見た目だけならって話だからアンタとは違うわよ。ねえ、ミゲル? アンタも”見た目だけなら”クールかもって、それだけよね?」


 問われたミゲルは二人の間を取った意見だったのか、肯定も否定も出来ずにいた。


 そんな話で盛り上がりつつ、ミゲルたちは薄暗がりのリビングでノアが戻るのを待った。まるで、あの廃船の上でいつも通りの時間を過ごしているかのように穏やかに時間が過ぎる。海鳥の鳴く声さえ聞こえてきそうだ。


 ふと、話が途切れたところでソフィが周囲を見渡した。


「ねえ、もう日が暮れたんじゃない?」


 スタンドライトの明かりのみの部屋で、ソフィはカーテンへと向かった。そしてカーテンを開いたところで、戸惑いの声を漏らす。


「な、何これ……」


 声に釣られ、ミゲルとジョナスがそちらを向く。そしてわずかに眉を潜めた。


 白いレースのカーテンを押し付けるように、窓に何枚もの板が打ち付けられている。そんな光景が、遮光カーテンに隠されていたのだ。異様な光景に、三人の間に漂っていた穏やかな空気が霧散する。ソフィが他の窓を確認すると、その部屋の窓の全てに、同じような措置が施されていた。家の外から見た光景を思い出す。確かによく思い出せば、白い布が押しつけられたように、窓の隙間を埋めていた。


「ね、ねえ……これってなんか……まずかったりしない?」


 途端にジョナスの顔が強張り、震える声でミゲルたちに問いかける。流石のソフィも動揺が隠せないのか、カーテンを握りしめ、窓に打ち付けられた板を見たまま絶句している。ミゲルはそんな彼女を固唾を飲んで見守った。


「何がまずいんだ?」


 ジョナスの問いに応えたのは、ミゲルでもソフィでもなかった。三人の視線が一斉に、声の方──玄関へと向かう廊下に集中する。そこには、出会った時と同様に、壁に片方の肩を寄りかからせてこちちらを見下ろす少年がいた。


「何がまずいんだ、って」


 何も応えられない三人に再度、少年から声が掛かる。相変わらず声に抑揚は無いが、それ故に圧がある。竦み上がったジョナスに反して一歩踏み出したのは、やはりソフィだ。


「この家……どうなってるの? もしかして、全部こうして窓が塞がってるの? どうして?」

「さぁな、空き巣にでも入られたことがあるんじゃないか?」

「適当なこと言わないでよ! だからってこんなことするわけないでしょ? ねえ、アナタってこの家の子供なの? それともただの不審者? この家の人たちは? 空き家になったことに、──アナタは関係してるの⁈」


 まるで退路を塞ぐようにして佇む少年に向かって、ソフィが大声で問い詰める。しかし少年は、小さく乾いた笑いを発しただけだった。


「そんな事、どうでもよくないか? ここはゴーストハウスで、俺はお前らの望んだ、噂通りの不良なんだから」


 ジョナスの鼻を啜る音が響き出す。ソフィは握った拳がわずかに震えている。ミゲルも、息をすることすら警戒しなければならないと感じるほど、息苦しさに溺れそうだった。


 三人の様子を順に眺めた後、少年は寄り掛かっていない方の腕を背に回し、シャツの中を探るような動きを見せた。まるで寝起きのような仕草であるのに、三人は警戒を解くことが出来ない。


 すると、徐に何かが三人に向かって投げられた。突然の動作にジョナスが小さく悲鳴を上げる。一番近くの窓辺に立っていたソフィの足元に、放られた物が音を立てて落ちる。それには、暗がりながらも見覚えがあった。


「さっきの奴がさぁ、俺に、お前らの茶番に付き合ってやってくれなんて言いやがったんだ」


 ソフィが落とされたものを拾い上げる。それは、小ぶりのペーパーバックだ。手に取ったソフィは、それを見て短く悲鳴を上げた。


「だから、先にかえしてやったよ。──土に」


 ペーパーバックには、夥しいほど赤黒いものが付着し、ぬるついたそれがソフィの指を濡らす。驚いて手放し、慌ててワンピースでそれを拭い、ソフィは自らの手を握りしめる。少し離れた場所にいたミゲルとジョナスにはそれが視認出来ない。しかしそれでも彼女の様子から、とんでもない事が起こっていると察する事が出来る。


 少年の手には、いつの間にかナイフが握られていた。スタンドライトの明かりを反射させる刃に、まだ血が滴っている。どうやらシャツの下にずっと隠し持っていたようだ。それを見たジョナスが息を荒げる。ミゲルもソフィも、心臓を鷲掴みにされたような恐怖を覚えた。


「はは、アイツがちっともビビってないからさ、何が度胸試しだって思ったんだけどよ──」


 木製の柄を弄びながら、少年は笑う。口角は確かに持ち上がっているのに、相変わらず目だけは何の動きもない。ただじっと、ミゲルたちを視界に捕らえているだけだ。血のついたナイフと見慣れたペーパーバック、そしてここに居ないその本の持ち主──その証拠が、ノアが最悪な状況に陥ったことを物語っている。


「──今ならお前らの度胸試しってやつができるんじゃないか? ……俺に勝ったら、希望通りお前らのオトモダチになってやるよ」


 そう言って、声だけはわずかに弾ませる。それまでの無機質さから、徐々に狂気じみた抑揚が生まれ始めている。まるでおもちゃを見つけた子供のような雰囲気すら感じられる少年に、ミゲルたちは戦慄した。





「俺の名前はレーゲン。──世間に抗いたいなら、まず俺に勝つことだ。……仲良くしようぜ」










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