第2話:谷川莉子
戦艦三笠の灰色の艦体が、真夏の陽射しを浴びて鈍く光っていた。
見上げるだけで首が痛くなるほどの大きさに圧倒される。
「これが……戦艦三笠なの?」
私が感嘆の声を漏らすと、すかさず直也くんが横で説明を始めた。
「実はこの船は、日本で造られたわけじゃないんだ。イギリスで建艦されたんだよ」
「え、そうなの?」
「当時の日本では、艦船を建造する為に充分な粗鋼生産が難しかったんだ。製鉄所は1901年に稼働開始したばかりだったからね。戦艦みたいな大型艦を国内で建造する能力も乏しかった。だから、当時の日本にとっては大変貴重だった外貨を使って、イギリスで建造された最新鋭艦を導入したんだよ」
その声は、ガイドさんのように分かりやすい。
気づけば、周りにいた観光客までが立ち止まって、直也くんの話を聞き始めていた。
「これって当時のまま残ってるんですか?」と中年の男性が質問する。
直也くんは少し首を振って答えた。
「いいえ、実は戦後に艦の上部構造はほとんど取り払われてしまったんです。一時期は米軍によってダンスホールにされていたこともあったらしいですね。でも、保存会の尽力で復元されて、今の姿に戻ったのです」
「へぇ~」と感嘆の声が広がる。
さらに別の人が手を挙げた。
「どうして日本海海戦でロシアに勝てたんですか?」
直也くんは少し考えてから、落ち着いた声で答えた。
「日本海海戦の当日は晴天で、遠方までよく見渡せたと言われています。しかし対馬海峡は非常に高波だったようです。
ロシアの軍艦は総じて重心が高い、いわゆる “トップヘビー”な造りだったので、高波による揺れに弱かったと言われています。波が高いと、大砲の照準が難しくなってしまうからです。
その一方で、日本の軍艦はイギリス製がほとんどだった為、安定性が高く、照準も訓練を重ねた事もあって、極めて正確だったと言われています。
当時の連合艦隊参謀だった秋山真之が“本日天気晴朗ナレドモ波高シ”という電報を大本営に打った訳ですが、――あれは実は“我が方有利”という意味だったんですよ。
それに当時のロシアの旅順艦隊が全滅したあと、きちんと休養を取り、軍艦も整備をして、万全の態勢で臨めたんです。」
観光客たちは「なるほど」「詳しいなあ」と頷き合い、ついには三笠保存会のスタッフまでもが苦笑しながら直也くんの解説に拍手をしていた。
「いやあ、私たちよりもずっと詳しいですね。まいったぞこりゃ」
直也くんは慌てて手を振る。
「いや、そんな、ちょっと本で読んだ程度なんで……」
その恐縮する姿に、思わず私は笑ってしまった。
そして極めつけは、年配の女性がにこにこと私に言った言葉だ。
「奥さん、旦那さんすごく博識ねぇ」
「っ……!」
顔が一気に熱くなる。
否定しようとしたけれど、喉の奥で言葉がつかえてしまった。
横で直也くんまで小さく苦笑していて、もう逃げ場なんてなかった。
* * *
三笠の甲板を歩きながら、私はぽつりと口を開いた。
「直也くんも……国とか社会を背負って仕事をしてるんだよね」
彼は一瞬黙って、少し遠くを見つめてから答えた。
「オレも進路を考えるときはいろいろ悩んだんだ。官僚とか、金融とか、メーカーとか……道はいくつもあった。でも“立派な仕事”をするためには、どこが一番ふさわしいかって考えて、五井物産を選んだんだ」
その声には迷いがなかった。
「今はAIデータセンターのプロジェクトを担当してる。まだ道半ばだけど、社会を少しでも前に進められるなら、やる価値があると思ってる」
潮風に揺れる彼の横顔を、私はじっと見つめた。
――やっぱり、すごい。
知識や教養だけじゃない。
国や社会を背負って生きようとする志の高さ。
それは、この三笠に立った将官たちと同じくらい、誇らしい事だと思えた。
だけど同時に。
胸の奥に、きゅっと切なさが広がっていく。
直也くんはもう、私だけが知っている幼馴染の直也くんじゃない。
たくさんの人を背負っている人なんだな。
誇らしいと思う反面、そんな彼が少し遠くにいるような切ない気持ち。
相反する想いを抱えながら、私は戦艦三笠の甲板の上で潮風を吸い込んだ。
――でも私は負けない。