第1話:一ノ瀬直也
横須賀・三笠公園。
真夏の太陽が、広場の石畳を白く照り返している。
蝉の鳴き声に混じって、港からは潮の匂いが漂ってきた。
横須賀は今でも世界的な軍港の街だ。最新の自衛艦が多数停泊している。
話題になった事実上航空母艦とも言うべき護衛艦のかが。
イージス艦も見ることができる。
五井物産のグループ内に防衛装備品を扱う専門会社が存在する。
そうした意味でも、国防の観点から軍港自体を直に見ておいたいと思っていたのだ。そして、こうした軍港の影に隠れるようにして“戦艦三笠”がひっそりと佇んでいるのだ。
――行こう行こうと思っていて、結局、一度も来たことがなかったんだよな。
鎌倉には何度も足を運んでいる。
けれど横須賀は、東京から近いのにどこか縁遠かった。
ずっと読んできた司馬遼太郎の『坂の上の雲』や、吉村昭の『海の史劇』に描かれる日露戦争の象徴とも言える戦艦三笠を、この目で見たかった。
――まさか、その願いが、莉子との約束によって実現するとは思わなかったけれど。
果たして莉子がこういうものに関心があるのかは分からない。
だけど、なるべく楽しんでもらえるように、オレ自身の拙い知識でも解説をしてあげようと思っていた。
オレの三笠を一度見てみたいという希望を快く聞き入れてくれた莉子。
幼馴染である彼女とのデートで退屈はさせたくはない。
問題は……保奈美のことだ。
家を出る時、彼女には「鎌倉で約束がある。知り合いの人に会いに行く。帰りはちょっと遅くなるけど、家でご飯は食べるつもりだ」と告げた。
嘘ではない。莉子は確かに“知り合い”だ。
けれど、それが保奈美にとって一番身近なライバルである谷川莉子だとは言えなかった。
胸の奥に小さな棘のようなものが残っていて、歩くたびにちくりと痛んだ。
待ち合わせ場所に目を向ける。
そこに、莉子が立っていた。
思わず、足が止まった。
白いミニスカートが陽射しを受けて淡く輝き、ラベンダー色のニットを身に着けていて、
黒のロングブーツ、それにストローハット。大人っぽさと可憐さが同居していた。
――普段の莉子じゃない。
実家の酒屋を手伝っている時の彼女は、たいていジーンズやパンツルックで、実用性第一の格好だ。
その姿も見慣れていて、もちろんさっぱりした性格の莉子には似合っていると思っている。
けれど今日の莉子は、まるで違う。
まるでモデルのような「女の子」としてここに立っていた。
胸の奥が不意に熱くなる。
だが言葉が出てこない。
「……」
ただ見つめることしかできない自分に、苛立ちすら覚えた。
莉子が小走りに近づいてきた。
「直也くん、何か言ってくれないの?」
少し不満げに唇を尖らせて、上目遣いでこちらを覗き込む。
「え、あ、いや……」
視線を逸らしてしまう。
そして、観念したように言葉を探す。
「……なんか、その……これまで見た事がない感じでカワイイし。
ちょっと目を向けるのが、気恥ずかしいな」
瞬間、莉子は目を丸くして、すぐにぱっと笑顔を見せた。
「ふふっ、直也くんがそんなこと言うなんて珍しいね」
笑い声は弾むように軽やかで、夏の空気に溶けていった。
もうずっと“幼馴染”だと思っていた。
気安くて、遠慮のいらない相手。
けれど、今の彼女は――。
真面目で、可愛くて。
そしてひとりの女性として、目を逸らせないほど眩しかった。